ストンプ閉幕、29年ロングラン

日本人スター宮本やこ生む

 イーストビレッジの劇場で1994年2月から続いていたオフブロードウエーショー「ストンプ(STOMP)」が、2023年1月8日(日)をもって閉幕する。ストンプは、ほうきやゴミ箱、ホースやジッポのライターなど身近な素材や道具でリズムを奏で、ダンスやコメディで舞台を盛り上げる人気のショーで、英語がわからなくても楽しめると世界中の旅行者に人気がある。

 ストンプは1991年にエジンバラでスタートし、その後ロンドンに渡り、ニューヨークでは94年にイーストビレッジのオルフェウム劇場で初公開された。製作側は舞台終了の理由を明確にしていないが、NY市の観光業と同様に劇場産業もコロナ前の水準には回復していない。同ショーはコロナ禍の15か月の中止を経て21年7月に再開し、劇場街で最初に公演を再開した劇場のひとつだった。最終回までの約29年間で、全1万1472回の公演を果たすことになる。

 プロデューサーは声明で「オルフェウム劇場での閉幕は悲しいが、ストンプが国内外でツアーを行い大きなインパクトを与えたことを誇りに思う」と述べている。北米とヨーロッパでのツアーは継続される。

  ストンプの元出演メンバーで、現在女性和太鼓グループ「鼓舞」のリーダーを務める宮本やこさんは「20年前、英語も話せない一介の学生だった私を、舞台のセンターに立たせ、ポスターとして使い、人生を180度ひっくり返したのがSTOMPです。Welcome to Stomp Family. と電話で言われた日、タイムズスクエアの真ん中に立ち、エンタメをやるならここに自分のポスターが出るくらいやる。と誓った気持ちを、今でも鮮明に覚えています。私の15年がぎっしりと詰まった宝箱であり、かけがえのない家族(仲間)に出会わせてくれた家であり、いつでもウエルカムと出迎えてくれた場所。大好きでした。幕のおりる最後の日まで、あのシアターが悲しみではなく笑いと爆音に包まれることを願います」と本紙にコメントを寄せた。

オペラ座の怪人は閉幕を8週間延長

 また、2月18日に閉幕を予定していたブロードウエーミュージカル「オペラ座の怪人」は、駆け込み需要でチケット完売日が続いたため、閉幕日を4月16日(日)まで8週間延長されている。

人材の再配置が必要な日本

 静岡県の私立保育園で保育士が園児を宙づりにしたりナイフで脅すなどしていた事件では、保育士3人が暴行容疑で逮捕された。これで保育園内部の虐待疑惑は、暴行事件へと進展した。事件を隠蔽した保育園、対応の遅かった市当局も批判を浴びているが、問題はやはり不適格者が保育の現場に配置されていたということに尽きる。

 つまり、事件の責任は個々の保育士たちにあるが、事件を取り巻く背景としては社会的な構造の問題があると考えられる。どうして不適格な人材が大切な保育の現場に配置されていたのか、その原因を解明し、問題については解決の方向へと動かなければならない。

 1つは、何と言っても保育士の待遇だ。過酷な業務でありながら、年収300万円前後という条件では、優秀な人材を集めるのは難しいだろう。勿論、少ない年収であっても高いモチベーションを維持し、勉強にも熱心でコミュニケーションスキルも高く、子どもに慕われ、保護者からも評価され、実際に安全な保育と教育的な達成を実現している人は数多く存在するだろう。けれども、職種として平均年収が低ければどうしても不適格な人材が入ってくる。苦労に報いたいというだけでなく、問題のある人物が現場に入ってこないためにも待遇改善は待ったなしである。

 2つ目は、人手不足の問題だ。人手不足と言うと、人材の「売り手市場」になって待遇が上がるのが普通だ。だが、競争原理の働かない規制業種や、今回の保育園のような料金設定が公共性を帯びたサービス業の場合はそうではない。恐ろしいことだが、人手が足りなければ適性のない、もっと言えば今回の事件を起こした3人のように保育士にしてはいけない種類の人材でも採用しなくてはならなくなる。人手不足イコール賃金の問題だけでは済まないのだ。

 待遇改善にしても、人手不足にしても問題を指摘するのは簡単だ。では、実際にこうした問題を解決するにはどうしたら良いのだろうか。

 まず、待遇改善については公的な援助を更に拡充するしかない。岸田総理は2022年の初頭に公約として掲げていた保育士の待遇改善を全国で実施した。計算によれば、一人あたり月額9000円の改善がされるという触れ込みであったが、実際は非正規などの場合も多く、そこまでの改善にはなっていない。少子化を緩和し、少なくとも現在政府が考えている中長期の人口減少を、これ以上悪化させないためにも拡充は待ったなしだ。

 次に人手不足だが、これは保育士だけの問題ではない。今後、労働力人口がどんどん減少してゆく中で、保育士や介護福祉士など人のケアを行う現場には優秀な人材を回すことが益々困難になる。その一方で、仮に世界のサプライチェーン見直しの中で、半導体など日本のハイテク製造業を再度拡充するとか、電気自動車の基幹部品で中国と競争する、その一方で観光産業を再度活性化するとなれば、全くもって労働力は足りないということになる。

 人口は一朝一夕には増えないのだから、例えば日本が世界から見捨てられる前に優秀な移民に来てもらうなど労働力の確保は待ったなしだ。だが、拙速に移民を導入しても福祉や観光の現場の戦力にするのは難しい。そこで切り札になるのがDX(デジタル・トランスフォーメーション)だ。先進国の中で日本のDXは遅れに遅れている。そのために、ペーパーを使った手仕事による膨大な事務作業が残っている。事務のための事務があり、そのために専門の事務要員が存在する。DXに本気で取り組む、つまり単に電子化するだけでなく官庁も企業も標準化やペーパーレスに本気で取り組めば、事務要員の相当な部分、それも高い教育を受け、市民としての倫理も標準以上の人材を新たに必要な現場に回すことができる。

 仮に現在年収400万の事務職をDXによって省力化し、その人材の中から希望する人、やり甲斐を求める人を福祉の現場に回して年収500万円を保証するとする。そうなれば、福祉サービスの質の向上で多くの受益者が安全と安心を享受でき、企業や官庁では生産性が劇的に向上する。一石二鳥であり、現在の日本の低い生産性を考えると、経済効果を差し引きプラスにするのは十分に可能だろう。こうした人材の再配置に成功できるかは、中期的に日本の衰退をスローダウンできるかの大きな岐路となるに違いない。(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

NY日系人会晩さん会

助けあって115年

 ニューヨーク日系人会(JAA、佐藤貢司会長)は12日夜ハーバードクラブでJAA115周年記念晩さん会を開催した。会長の開会の挨拶に続き、ニューヨーク総領事の森美樹夫大使が祝辞を述べた。

 当日は、企業のコミュニティーリーダーシップ賞が三菱UFJ銀行(MUFG Bank Ltd)に贈られた。MUFGはJAAの奨学金、東日本大震災、米国同時多発テロなどのコミュニティーのボランティア活動に長年にわたり積極的に貢献してきている。個人でのコミュニティーリーダーシップ賞はJAAの会長を6年間務めた弁護士のゲーリー森脇JAA終身顧問にスーザン大沼名誉会長から授与された。

 登壇した米州MUFGホールディングスコーポレーションの小森谷正敏取締役会会長は、受賞への感謝の言葉を述べた後、次世代へのサポートについてスピーチした。同社が『世界が進むチカラになる。』をモットーに携わっているJAA奨学金プログラムで「今日の紛争や複雑な世界の対立の答えを求められる明日のリーダーである若者たちを支援できることを光栄に思う」と述べた。また、プロジェクト弁当や3・11や9・11の追悼イベントなどのボランティア活動においては喜んでJAAと協力しているとし、日本のことわざ、「情けは人のためならず」を日英語で紹介した。 

 パンデミック期間中、弁当プロジェクトで多大な貢献をしたヨシダレストラングループの好田絵里奈さんと北米伊藤園のエグゼクティブ・バイス・プレジデントのロナ・ティソンさんに2020年度のコミュニティーリーダーシップ賞がスーザン・マコーマック副会長から授与された。 

 JAAにとっては大きな募金活動ともなる晩さん会で、当日はハーバードクラブ名物の大きなクリスマスツリーの下で、170人の参加者がディナーを楽しみながらニューヨーク混声コーラスのクリスマスソングや、クニ・三上バンドのジャズ演奏とメグ・ジョンソンの歌声を楽しんだ。

 また、NY日系人会の方向性をリードしてきた理事のスキ・ポーツさんの88歳の誕生日をお祝いした。 

 最後に野田美知代事務局長が登壇し、「コロナ期間中の2020年5月4日から21年5月27日までに4200個のお弁当を日系シニアに届けることができました。プロジェクト弁当から学んだことは、有事の際に日系社会が総領事館を中心に協力して助け合えるということです。9・11の時はどうしていいのか分からなかったが、3・11を乗り越え、助け合って115年を迎え、これからもコミュニティーに寄り添った活動をしていきます」とクロージングの挨拶をした。

 JAAは、来年1月に同じビルの5階に引っ越す予定だ。

(写真上)クリスマスツリーの下で170人が参加した晩さん会

日系二世の元米兵ミヤムラさん死去

朝鮮戦争の英雄

 朝鮮戦争で、米兵として中国共産党と戦い軍最高位の勲章を授与されたミヤムラ・ヒロシさんが11月29日、アリゾナ州フェニックスの自宅で死去した。97歳だった。12月1日付ニューヨークタイムズ紙が大きく訃報記事を掲載している。それによると、ミヤムラさんは1925年10月26日、24時間営業の食堂を営む日本からの移民の子としてギャラップに生まれた。44年に徴兵され、日系二世部隊、442部隊戦闘団に配属された。この日系部隊は、第二次世界大戦でヨーロッパでの輝かしい戦闘記録を残した。一方、西海岸の日系人たちは、治安上のリスクとして恐れられ、荒廃した内陸部の強制収容所で武装警備下に置かれた。

 ミヤムラさんが訓練を終えて海外に派兵された時、既にドイツの降伏は数日後に迫っていた。46年に除隊後、陸軍予備役に入隊し、50年の朝鮮戦争勃発とともに現役に復帰。第二次世界大戦後に人種差別が撤廃され、統合された陸軍の第三歩兵師団の分隊長になった。51年4月24日夜、韓国の首都ソウル近郊の前哨基地を防衛していた部隊(機関銃兵と小銃兵15人ほど)は攻撃を受け、激戦の中でミヤムラ伍長の活躍によって部隊を救った。53年10月、ミヤムラさんは、ホワイトハウスの式典でドワイト・D・アイゼンハワー大統領から、勇気を示す軍最高位の勲章を正式に授与された。朝鮮戦争後は、ギャラップに戻り、自動車整備士として働き、サービスステーションを経営した。孫娘のミヤムラ・マリサさんは、米国空軍士官学校を卒業後、米空軍に入隊、イリノイ州のスコット空軍基地の通信部隊に中尉として配属され2010年5月に同基地で開催されたアジア太平洋アメリカ遺産月間の会議で「祖父がいたからこそ、私は今、軍で働くことができています。彼は生涯を名誉のために生きてきました。それは私にとって大きな遺産です」と挨拶している。

(写真左)1953年に撮影された写真(国立公文書館所蔵)

日本の骨董品が米国で新たな命

 ALLU(ブロードウエー568番地4階)では、「日本の古美術と写真展」を24日(土)まで開催している。日本の伝統工芸品やデザイン、生活用品は、日本の日常生活の一瞬を切り取った美しい記念品として米国で今新たな命を蘇らせようとしている。骨董品に対する価値観は時代とともに変化していることから今回は、3人のアーティストとコラボレーション展となる。マリロウ・ダウベ、プリア・キショア、カラ・ピアザの3人のアーティストが、骨董品本来の美しさに光を当てている。これらのアーティストは、これらのオブジェの新しい展示方法や使用方法を生み出し、新たな価値観を提示している。ALLUは、日用品のライフサイクルを考え、「ネオ・アップサイクル」を「ALLUアンティークスプロジェクト」として提案している。同時に写真家・井田貴子の同テーマに沿った写真展も開催されている。

 企画したバリューエンス・インターナショナルUSAリミテッドの堀真彰社長=写真左=は「日本で生まれた伝統工芸の作品が、アメリカ人によって生活の中で使われることによってまた新しい命が生まれ、商品が生きる道を探ることができれば嬉しい」と話す。使い方は自由に新しいスタイルを展示作家が提案している。買い物袋を下げた来場者は「日本好きの娘の結婚祝いにお椀を買った」と嬉しそうにエレベーターに乗って行った。同展のアート部門のディレクターは近藤奈津子さん(ALLUスタジオ)がキュレーションを務めている。月・火休館。正午から午後5時まで。

写真を撮ることで自分自身と出会った

フォトグラファー

井田貴子さん

 写真を撮ることで自分自身を取り戻すことができた。ニューヨークで現在、フォトジャーナリストとして活躍する井田貴子さんは、自身と写真との出会いについてこう振り返る。

 「子供の頃はムツゴロウさんに憧れる動物や自然の好きな子供でした。活発的で外に出たら帰ってこないタイプで親に心配ばかりかけていたと思います。14歳の時に癲癇(てんかん)という病気を発病し、発作が起きるごとに記憶を無くしてしまっている自分をどうにか防ぎたいと、身の回りや友達、風景を写真を使って記録に残すことで自分の存在を守ってきました。高校生の頃は常に使い捨てカメラを2、3個カバンに入れて毎日現像していました。初めての一眼レフは高校3年生の時でした」。カメラ小僧ならぬカメラ少女は、記憶の投影という形で被写体に向かってシャッターを押し続けた。

 その後、もっと写真の技術や知識を学ぶため、東京にある専門学校バンタンデザイン研究所に入学し、フィルム写真の知識を得た。

 卒業後、四ツ谷にあるレンタルフォトスタジオに入社。デジタル写真や撮影機材知識を学び、ファッション撮影やプロダクト撮影などのコマーシャル撮影の現場でアシスタントフォトグラファーとして携わったことがプロとしての道に歩み出すきっかけを井田さんに与えた。

 「そこで以前から憧れていたNY在住の憧れのフォトグラファーが来日した際に撮影のアシスタントとして携わることができ、弟子入りを決意。2009年、NYに渡りました」。結局フルタイムでの弟子入りすることは叶わなかったが、今でもその人がとてもよく指導してくれている。

「ニューヨークに来て、このダイバーシティでたくさんのいろんな人がこの世にいることを知り、全員違う人間でいい、ありのままの自分でいいんだということに気付かせてもらいました。どんな人間でもいい、病気を持った自分でもいいんだと思わせてくれたのはNYです。持病のことをこうやってオープンにして、それが写真を撮るきっかけ、理由だったことを説明して、それを自然に受け入れてくれるニューヨークがあったから今の自分があるんだと思います」と話す。

 来米してもうすぐ14年になる。多くのニューヨーク在住フォトグラファーのアシスタントを経て、2014年に独立した。現在は、フォトジャーナリストとして取材撮影などの仕事もしながら、プロダクトやフードなどのライフスタイル的コマーシャル撮影、またウェディングやファミリーフォトまで幅広く活動している。現在、ソーホーのALLUスタジオで日本の骨董品とアメリカの生活との融合をテーマにした展覧会が開かれており、3人の作家をモデルにした写真展を24日まで同時開催中だ。埼玉県出身。(三浦良一記者、写真も)

クリスマスだから

 私は最近、大失敗を犯した。あまりに最近のことなので、そのことについて書くのも胸が痛い。

 ある仕事関係者から、締切を予定より早めてもらえないかというEメールがクリスマス・イヴに届いた。前に一度、無理だと断わったが、とても困っているらしく、再度の相談だった。

 お世話になっているので、なんとかしたかったが、ほかの仕事との兼ね合いで、不可能に近かった。パニック状態で、「もう、メリークリスマスどころじゃ、ないわ!」と、愚痴っぽいEメールを日本にいる夫に送った。

 と、思い込んでいた。ところが、私は気が動転していたのだろう。うっかりそれを、その仕事関係者本人にEメールしてしまったのだ。 

 あわてふためき、私はアメリカのインターネットのプロバイダーに電話をかけた。週末にさしかかるので、彼女がそれを目にするまでに数日ある。

 Is there anything you can do about it?

 なんとかならないですか? と泣きつく私に、

 No, there’s nothing we can do about it.  Sorry.

 いえ、なんともならないですね、残念ですが、とつれない返事が返ってきた。

 できることと言えば、その人にお詫びのEメールをすぐに送ることでしょう。

 そんなこと、もうとっくにしました。 

 そうですか。

 もう一巻の終わりだ。これだからインターネットなどというのは、便利なようで不便なのだ。

 でも、と電話の相手が言う。

 Yes? と私は期待に胸が高鳴り、受話器を握る手に思わず力が入る。

 It’s Christmas.

 クリスマスですよ。

 電話の向こうで彼が言う。

 だから、その人も許してくれるでしょう。

 あるテレビ局の取材で、全米を回った時のことを思い出した。録音機材が規定のサイズより大きかったり、荷物の量が多かったりで、利用する航空会社のカウンターの女性に、数百ドルという追加料金を払わなければならないと言われた。彼女は奥の方で誰かと話をし、しばらくして戻ってきた。

 こちらも覚悟し、払おうと思っていると、

 It’s Christmas.

 女性はそう言って微笑み、特別に見逃してくれたのだ。

 私はすぐに例の日本の仕事関係者にお詫びの電話をし、ひたすら謝った。

 It’s Christmas.

 この思いが伝われば、と祈るばかりであった。

 このエッセイは、文春文庫「ニューヨークの魔法」シリーズ第1弾『ニューヨークのとけない魔法』に収録されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4167717220

レトロな電車ホリデー走行

 本紙12月3日号3面で告知した都市交通局(MTA)の復活ホリデーシーズン・ビンテージ列車の撮影に11日出かけた。R33形、R33WF形、R36形など1960年代製の車両が走行する。午後1時すぎに地下鉄駅135丁目駅で待っていると、ダウンタウン方面に降りてくるケール・グリーンの通称『グリーン・マシーン』が走ってきた。古さが渋い。12月の運行は18日の日曜にも。上りチェンバーズ・ストリート駅発は午前10時、正午、午後2、4時、下り137丁目発は午前11時、午後1、3、5時。(写真・植山慎太郎)

編集後記 2022年12月10日号

【編集後記】



 みなさん、こんにちは。本紙新春特別号は「大切なものを守り生きる」という大きなテーマで、このアメリカで生きる日本人や、ロシアのウクライナ侵攻で逃れてきたウクライナ人、ロシア人たちのコミュニティにも取材し、厳しい時代に逞しく生きる人々の姿を紹介します。アメリカの歴史的なインフレの中での円安基調はしばらく続くものとみられます。円安を追い風にして日本の地方からアメリカに輸出する機運が高まっています。官民あげて高品質の日本製品を消費者に届ける越境EC元年とも言われています。ジェトロが今年初めて試みたオンラインでのJAPANSHOPプロジェクトも好調です。改めて「日本を売る」「お買い得ニッポン」の商機到来と捉えている企業も多そうです。新年号では、ポストコロナ時代の働き方の変化や生活の方向などにも光を当て、今なお続くウクライナでの戦争状態からも目をそらすことなく、海外にいる日本人ができることは何か、まさに激動の2023年の幕開けを飾る新年号をお届けします。第2部では児童作文コンクール「ことばの泉」、伊藤園新俳句グランプリ、書の散歩道、硬筆コンクールなどの本紙主催の文化・教育企画の年間大賞の発表もあります。アート、教育、健康、シニアの暮らしなど、盛りだくさんの企画です。新年特別号をお楽しみにしていてください。今週号を無事に終えて、あと、年内のレギュラー号は来週号12月17日号で最後です。新春特別号は、年内の仕事納めに間に合うよう12月28日~29日の配達となる予定です。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2022年12月10日号)

(1)「日本へ行きたい」 ブロンクスで日本語学ぶ高校生

(2)師走が今輝く ロックフェラーにツリー点灯

(3)麻衣さん見事優勝 第34回国際ミス・ミセスコンテスト

(4)街角ファッション SOHOを颯爽と歩く女性

(5)アートコンテスト作品募集 ジャパンパレード2023

(6)喜多流の能NY公演 ジャパン・ソサエティーで 

(7)くるみ割り人形主役に抜擢 バレエダンサーの髙山まりさん 

(8)新年号企画で大高さん講義 12月17日ZOOM方式

(9)NY育英学園が快挙 海外子女文芸作品学校賞に5校

(10 )林世宝 ゴールデンエイジ展

「日本へ行きたい」

ブロンクスで日本語を学ぶ高校生たち

訪日計画コロナで中止、寄付求める

 ブロンクスのコラボレティブ高校では、日本語を学ぶ生徒のための研修旅行の資金援助を呼び掛けている。呼びかけ人は、同校の日本語教師である山﨑枝美さんと日本滞在経験のあるデブラ・キャッツ教諭。「ゴー・ファンド・ミー」を通じて来年3月までに1万ドル集金を目指し、5月に15人を連れて行く計画だ。

 二人は、2018年に同計画をたて資金調達に成功、生徒を東京と和歌山に連れて行った。19年にはオーロラ日本奨学金基金5000ドルを受け取る権利を獲得してロサンゼルスでの授与式に参加したがパンデミックで旅行が中止された。奨学金の授与権利は1年の延期が認められたものの日本政府が外国からの訪問者受け入れを開始した際には間に合わず辛酸をなめた。

 山﨑さんは、「本校の生徒は貧困家庭の子供が多い。家では暖房やコンピューター、本やインターネットがなく、勉強がままならない子もいる。また両親が2つ仕事をしていて放課後は幼い兄弟の送り迎えや食事の世話、自分自身も仕事に出るなど、想像を超える障害がある。それでも生徒たちはがんばって日本語を学んでいる」と話す。ジャパン・ソサエティーのパートナーシップスクールとしてオンライン授業や文化イベントに参加したり、放課後の日本クラブには37人が在籍、本旅行計画にも25人以上が参加を希望している。「今年は物価高騰のせいか寄付が伸び悩んでいて現状では7人ほどしか連れていけない。1月末頃までに飛行機代だけでも集めたい。温かいご支援お願いいたします」と呼びかけている。問い合わせはEメールeyamasaki@bxchs.org(山崎さん)まで。募金ウェブサイトは、https://www.gofundme.com/manage/2023-bronx-public-school-trip-to-japan

(写真)和室で意見交換する高校生たち(2018年)

師走が今輝く

 ロックフェラーセンター恒例のクリスマスツリーが11月30日に点灯され、連日多くの観光客や市民の目を楽しませている。「きっと君は来ない」と歌った山下達郎のクリスマスソングが心の中でこだまする。ライトアップは深夜午前零時まで。 1月6日までホリデーシーズンのNYを照らす。

(写真・植山慎太郎)