日本映画12本を無料配信

国際交流基金
全作品英語字幕付き

 国際交流基金が日本映画12本を6月15日まで無料で配信している。全作品英語字幕付き、日本全国の6館のミニシアターが2本ずつ作品を選んでいる。ここでは3月15日まで配信される個性的な6本の作品紹介をしたい(残りの6本は3月15日から6月15日まで配信)。

 ドキュメンタリーは2本である。『二重のまち 交代地のうたを編む(Double Layered Town: Making a Song to Replace Our Positions)』(2021年、小森はるか+瀬尾夏美監督)は東日本大震災の津波に遭って崩壊し、嵩上げ工事で新しい地になった町に住む人々にインタビューし、失われたものの記憶に想いを馳せる4人の若者を描く。『風の波紋(Dryads in a Snow Valley)』(16年、小林茂監督)は、雪深い新潟の山中の集落の自然に囲まれた人々の四季の暮らしを丁寧に追う。

 『ほったまるびより(hottamaru-days)』(15年、吉開菜央監督)は、古い家に住み着く妖精たちと家主の女性が繰り広げる幻想的なダンス・音楽映画。『ワンダーウオール(Wanderwall: the Movie)』(20年、前田悠希監督)(写真上:『ワンダーウオール』© NHK)は、京都の伝統ある大学寮廃止を進める大学側と対立する寮の学生たちを描く実話を基にしている。『誰かの花(Somebody’s Flowers)』(21年、奥田裕介監督)では、家族を失う悲劇と認知症という誰もが直面し得る問題が静かに展開する。沖縄の孤島、南大東島には高校がないので15歳で島を離れる少女が家族の離散に直面しながら島の民謡の演奏に打ち込む姿を描く『旅立ちの島唄〜十五の春〜(Leaving on the 15th Spring)』(13年、吉田康弘監督)と、どれも日本各地の風景や人々の暮らしを印象的に描いている。

 作品選定をした劇場は、フォーラム仙台、高田世界館(新潟県)、シネマテークたかさき、シネマ・ジャック&ベテイ(横浜市)、シネ・ヌーヴォ(大阪市 )、シネマ5(大分市)の支配人たちで、商業劇場では見られない映画上映活動という地方でのコミュニティ活性化を果敢に推進するミニシアターの歴史と現在についての彼らのインタビューも読み応えがある。監督インタビューの映像も作品理解に役立つ。(平野共余子)

視聴方法は、URL: https://jff.jpf.go.jp/watch/independent-cinema/でメールアドレスと名前を登録すると無料でできる。

補習校生に奨学金

授業料3分の1相当

ニューヨーク日本人教育審議会

在米日系3銀行が支援

 ニューヨーク日本人教育審議会(JEI)は三井住友銀行、三菱UFJ銀行、みずほ銀行からの支援を受けて昨年に引き続き、JEIが運営するニューヨーク補習授業校とニュージャージー補習授業校に通う園児児童生徒を対象とした奨学金制度の提供を行う。

 対象者は両補習授業校の在籍者(両校併せて20人程度)で、日本語・日本文化等を学ぶ意欲のある園児児童生徒。昨年度の受給者も応募可能。2023年4月から24年3月までの1年間。各授業料納入期の開始時点(4月、8月、12月)で在籍していることを条件として、各期の授業料から給付額の3分の1相当分を減額する。申込み必要書類は、奨学金申込書、世帯全体の所得申告証明(2021 Tax Return Form-1040 Page1~2 のコピー)、現地校成績表のコピー、作文(幼児部については簡単な文や絵、作品など)。応募締め切りは2月3日(金)午後5時、Eメール必着。選考基準は、奨学金の経済的必要性や日本語/日本文化習得に関する意欲・補習授業校及び現地校における学業成績など。申し込みは、表題を「JEI奨学金応募(○○補習校 保護者氏名)」とし、2月3日(金)午後5時までにEメールJEIScholarship@jeiny.orgまで書類をメール送信する。選考結果は、給付者のみ2月中旬ごろ審議会事務局より直接連絡される。申込書・作文用紙は各学校のホームページからダウンロードする。問い合わせも同Eメールまで。

小説家・映画製作者・禅僧、ルース・オゼキ氏講演

ドナルド・キーンセンターで2月9日に

 ドナルド・キーン日本文化センターは2022〜23年度第15代目千宗室レクチャーの定例行事として2月9日(木)午後6時からコロンビア大学で小説家・映画製作者・禅僧のルース・オゼキ氏の講演会を開催する。

 オゼキ氏の小説は、科学、宗教、環境政治、グローバル ポップ カルチャーの問題をユニークでハイブリッドな物語形式で高い評価を得ている。 彼女の最新作 『The Book of Form and Emptiness 』(バイキング2021年)が 複数の賞を受賞、『My Year of Meats』 (1998年)、『All Over Creation』 (2003年)、『A Tale for the Time Being』 (2013年) なども評判となった。オゼキの映画には、ドキュメンタリー「Halving the Bones」(1995年)などがある。 長年の仏教修行者である同氏は、2010年に曹洞宗の僧侶として出家。

 当日は日本と日系アメリカ人の作家としての経験や、 禅仏教への彼女のコミットメント、 環境問題などについて語る。講演は英語。入場無料、要予約。参加希望者はウェブサイトwww.keenecenter.orgの「Sen Lecture 2023」から登録する。入場の際は、コロンビア大学が定める安全対策(IDとワクチン接種終了の証明カードの提示など)に従うこと。会場のファカルティー・ハウスは(64 Morningside Drive, NY, NY 10027) モーニングサイドとアムステルダム通りの間の西116丁目に面するWien Courtyardの正門より入場。問い合わせはEメール donald-keene-center@columbia.edu(新谷さん)まで。

ヒラリー・クリントン氏コロンビア大学教授に

 元米国国務長官で大統領候補のヒラリー・クリントン氏が、2月からコロンビア大学の教授に就任する。コロンビア大学の学生新聞「The Columbia Spectator」が5日付で報クリントン氏は国際公共政策大学院(SIPA)の実務担当教授と、コロンビア・ワールド・プロジェクツの大統領研究員となる。

 リー・ボリンジャー学長は学生・教職員に向けた電子メールで「ヒラリー・クリントンは、その類まれな才能と能力、そして特異な人生経験から、研究・教育、公共サービス、公益活動という大学の使命に貢献できるユニークな存在であり、最も重要なこと」と書いた。  

 発表によると、クリントン氏はSIPAを通じて、世界の政治と政策、およびそれらの職業に従事する女性リーダーに関するイニシアチブに取り組む。また、フェローとして、民主主義を守り、世界中の女性や若者を巻き込むためのプログラムを支援することが期待されている。クリントン氏は、2023-24年度からは教壇にも立つ予定だ。SIPAには企業派遣日本人大学院留学生が多いので受講の機会に恵まれそうだ。

フランスとスペイン巡礼

100日で1600キロの道行く

NJのハリー西谷さん

 ニュージャージー州在住の日本人、西谷尚武さん(79、通称ハリー西谷さん)が、フランス・スペイン巡礼1600キロの旅を昨年達成し、このほど本紙に道中の思い出などを語った。(写真上:7月24日、スペイン・アラゴンの道にて。左前方の集落はウンドゥエス・デ・レルダ村)

 西谷さんの生家が四国88か所の巡礼道に面していたので、幼少の頃から巡礼を見て育ったという。成人すると、四国88か所を回るのが家のしきたりだったが、西谷さんは、関西学院大学を卒業後シャープに入社し、すぐに海外駐在に出たので、2003年に同社米州統括事務所長を最後に定年になってから1200キロを全部歩いて回ったそうだ。2018年に渡米50年記念の際にも歩いて回った健脚の持ち主だ。 

 カミノ・デ・サンティアゴについては、2010年ごろ友人から聞き「ああ、ヨーロッパにも巡礼道があるのか、それならぜひ歩きたい」と2013年、古希記念に、フランスのトウルーズから、1200キロ彼方のサンティアゴを目指したが、ピレネー山脈が綺麗に見えているところで車にはねられ一週間入院し、やむなく断念。2回目はフランスを避けて、2015年仏西国境の町から800キロ彼方のサンティアゴに無事到着した。しかし、やはりアルルから出発する1600キロのアルルの道を歩きたくて2020年、喜寿を記念して再度巡礼を計画。しかし世界的な新型コロナ・ウイルス蔓延のためにやむなく延期、昨年やっと念願が叶った。

(地図出典:ウィキペディア)

 5月28日、イベリア航空でパリに到着し、そこから南仏のアルルに向かった。2日間準備をして、6月1日に一歩を踏み出した。7月14日にはピレネー山脈の麓に到着。「ヨーロッパと呼んでいいのはピレネー山脈まで」とルイ16世が言い、「ピレネーを越えるとそこはアフリカだった」と ナポレオンが言ったように、7月18日に国境のピレネーを越えると、景色は一変した。フランスでは緑が主体だった景観は、峠から先は、茶色が主体となった。スペインは、大部分が乾燥地帯だった。

 峠から一週間、7月25日にハビエル城に着く。この城は、日本人にとっては大事な場所だ。この城で、日本にキリスト教を最初に布教した、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1506年に生まれた。彼はその後パリに行ってイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、イエズス会を結成。その後紆余曲折を経て1549年に訪日している。1549年といえば、織田信長15歳、豊臣秀吉12歳、徳川家康6歳の頃だ。主に山口県で布教した。 

キリスト教を日本の武士に説くザビエル(ハビエル城内に展示されている掛け軸から)

 最後の10日余りの間は、レオン山地などの山を越えて歩くことになり、今までの平原歩きとはかなり異なって、起伏の多いカミノになった。スペインのカミノの中での標高1505メートルにある鉄の十字架やガリシア州の山頂にある村を越えて9月8日には、サンティアゴに到着し、そこで巡礼証明書と、公式距離証明書をもらった。翌日正午のミサに出席し、9月10日、サンティアゴ発マドリッド経由のイベリア航空で米国に戻った。

 今の気持ちは「私は常に次の目標に進みます。次の目標は、アルルからローマへの1300キロ巡礼、四国88か所に番外霊場20か寺を加えた四国108か所1500キロ巡礼の2つです。趣味でやっている合唱の目標は、今年8月、ウェストミンスター寺院で歌うことです」と元気に語った。巡礼の紀行日誌は西谷さんのブログ https://harrynishitani.com/ で見ることができる。

「自分の街NY」を実感して舞台に立つ

俳優・プロデューサー

高野 菜々さん

 東京を拠点に全国で活動してオリジナルミュージカルを創作する音楽座ミュージカルの俳優兼プロデューサー、高野菜々が、まもなく1年間のニューヨークでの文化庁新進芸術家海外研修を終えて春に帰国する。

 ニューヨークで昨年春に行われたジャパンフェスに出演をしたのを始めに、最近ではブロードウエー俳優たちが出演するコンサート「ブロードウエー・セッションズ」のオーディションに合格して出演するなど精力的に活動した。夏にはハリウッドで名アクティングコーチのイヴァナ・チャバックに師事して演技漬けの日々を送って昨年秋ニューヨークに戻ってきた。現在は2月17日(金)にニューヨークで行う初の単独コンサートに向けて準備を重ねる毎日だ。

 1年間で得た最大の収穫は? と尋ねると「日本にいたときに忘れていたものを思い出させてくれたこと」という返事が返ってきた。こちらでレッスンを受けているときに、同じ仲間から「あなた何をするためにニューヨークに来たの?」「将来はどんなことをしたいの?夢はなに?」といきなり聞かれた時、日本語のように謙遜して控えめにいうという表現が英語ではとっさにできなかったこともあり、素直に「日本のオリジナル作品を世界に発信すること。故郷広島で育ち感じた平和の尊さをミュージカル作品を通して発信すること」と心の中で常日頃思っていることを正直にストレートに話した。すると、「すごい!」と大いに称賛してくれて、仲間として迎え入れてもらえたような新鮮な感覚を味わったという。日本では、軽々しく大きな夢や希望を口にすると呆れられたりすることが怖かったが、ニューヨークには世界中から、自分の目的に向かってまっしぐらに生きている挑戦者たちばかりなのを実感した。

 思えば、広島音楽高校を経て、2008年6月から音楽座ミュージカルに参加。初舞台で主役に抜擢、圧倒的な歌唱力と大胆な演技が注目され、以降、常に主要な役柄をつとめてきた。時に求められているものに追いついていない自分を感じていたことにも気がついていた。

 14歳の時にミュージカル「キャッツ」を観て、あまりの衝撃に全身が震えたのを覚えていて「こっち(客席)じゃなくて、あっち(舞台上)に行くんだ」とその瞬間ミュージカル俳優になることを決意した自分が今、ブロードウエーにいる。

 NYで活動したことで、自分のパフォーマーとしてのターニングポイントになったことだけは確かだ。「ここは私の街」と自分の心を上機嫌にしている自分のマインドに幸運も引き寄せられるのだということも学んだ。春に帰国して9月にはミュージカル『生きる』(企画制作・ホリプロ)にヒロイン役で出演も決まっている。再びNYに戻ってくるつもりだ。(三浦良一記者、写真も)

      ◇

 ■高野菜々ライブ ・インNY「Brilliant」は2月17日(金)午後7時開演「ドント・テル・ママ(西46丁目343番地)15ドル。問い合わせはEメールimamuramasayoshi@gmail.com 詳細は文化面(16面)に掲載。

米国のゴーゴーカレー、日本製造業事業グループ傘下に

 米国でゴーゴーカレーを運営しているスマイル&ホスピタリティー・インク(本社ニューヨーク、大森智子社長)は6日、日本最大手のM&A仲介会社、日本M&Aセンター(本社東京、三宅卓社長)の仲介により、ファクトリー・オートメーション(FA)機器製造メーカー、MJG株式会社(Manufacturing Japan Group、本社東京、田邑元基社長)の買収に応じグループ会社となった。

 MJGは日本でさまざまな装置を開発設計し製造するワンストップメーカー大手で、今回の買収で、現在全米10店舗ある店を進出ニーズが旺盛なフランチャイズを中心に5年後に300店舗までの拡大を見込む。店舗の少スペース少人員の全自動化やセントラルキッチン全自動工業化による供給事業を米国で本格始動するため、今回の買収に合わせ、米国現地法人MJGインターナショナル(田邑元基社長)を設立した。今後はゴーゴーカレーのみならず全米食品製造企業、海外展開を狙う日本企業の受け皿としての態勢も構築する。

 スマイル&ホスピタリティーインクはMJGインターナショナルのグループ会社として大森氏は引き続き同社社長を続け発展に寄与すると同時にMJGインターナショナルの役員として食品供給工業化事業のマーケティングと人材育成、全米でのフランチャイズ展開のパターン構築に専念する。

 ゴーゴーカレーは2007年にNYタイムズスクエア地区に1号店をオープンし、2012年に大森社長が引き継いで店舗を10店まで広げた。値上げをすることなく5年間で売り上げを10倍にするなど手腕を発揮した。

 日本M&Aセンターとしては北米本土初案件となる今回の買収を手がけた同センター顧問の板越ジョージ氏は「今回の買収の組み合わせでいいと思うのは、食品をサービスするための全自動化を考えた場合、機械装置の米国でのPL認可取得などで直面するさまざまな問題に対応するためには、外食産業のサービス業と組むより、日本が得意とするもの作りを手がける機械加工メーカーそのものが出てきた方が機械装置の開発設計ノウハウがあり、対応が早く、双方にメリットがあるところ」と話す。

(写真)大森社長

編集後記 2023年 1月1日号

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。ブルックリンの南端、コニーアイランドから東へ2駅行った海岸沿いの町、ブライトンビーチには、ロシアや東欧からの移民が多く住んでいます。繁華街の地下鉄駅を降りると、ロシア語の看板が目に飛び込んできて、ロシアやウクライナ独特のものを売っている露店やスーパー、衣料品店、レストランが軒を並べていて賑やかです。ここではロシア系移民とウクライナ系移民とが互いに共生社会を築いているようです。本紙新年号では、歴史のルーツを辿れば同じウクライナとロシア。アメリカに暮らす彼らの「二つの祖国」に揺れる思いを聞き、NY日系社会の支援の1年を取材してみました。「戦争と平和」という新年には重いテーマかとは最初思いましたが、むしろ今でしか書くことのできないイシューだと思い切って取り組んでみました。ジャーナリスト石黒かおるさんのインタビュー記事が読み応えがあります。ぜひご覧ください。無事に新年号の印刷も終わり、NY市内、マンハッタン地区での配布も終わりました。今年も1年、ご愛読ありがとうございました。また来年もどうぞよろしくお願いいたします。それではよいお年をお迎えください。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2023年1月1日号)

(1)在米ウクライナ、ロシアの声

(2)あめりか時評

(3)成田陽子のSCREEN スピルバーグのインタビュー記事 

(4)眞子さん晩餐会出席『女性自身』誤報でNY日系人会が困惑

(5)マッド・アマノの新春パロディ


(6)世界は色彩に満ちている 千住博

(7)LAは着心地と機能を重視 街角ファッション

(8)生き生きEATS

(9)本当にやりたいことを続ける  大江千里

(10)シン ウルトラマン 11日と12日に全米劇場公開

激動の時代を生きる

在米ロシア系、ウクライナ系市民の証言

 ブルックリンの南端、コニーアイランド遊園地からジョン・F・ケネディ国際空港方面へ2駅行った海岸沿いの町、ブライトンビーチには、ロシアや東欧からの移民が多く住んでいる。繁華街の地下鉄駅を降りると、ロシア語の看板がかかっていたり、ロシアやウクライナ独特のものが売っている露店やスーパー、衣料品店、レストランが軒を並べている。ここではロシア系移民とウクライナ系移民とが互いに共生社会を築いているようだ。

 薬局から出てきた70代の男性は「この通りはみんな、ウクライナ語放送のテレビばかり見ているね。ウクライナ人もロシア人もいっぱい暮らしている。ロシアは嫌いだけど、ここで暮らしているロシア人は嫌いじゃない。ロシアのルールが嫌いなんだ」と話した。

 21歳という青年は、半年前にロシアから来たという。「この20年間でロシアはすっかり変わった。科学も学術も無くなった。金さえ払えば大学の学位だって手に入る。両親は、モスクワで生まれて今は、ウクライナに住んでいる。親戚は両方の国にいるよ」。

 店先でロシア人形などを並べていた男性は「ロシアは世界で孤立しているよ。ここに暮らしているのはユダヤ系の人が多い。もう市民権を取ったから俺はアメリカ人さ」と威勢よく答えてくれた。ロシアとウクライナはルーツを辿れば同根。アメリカに暮らす彼らの「二つの祖国」に揺れる思いを聞き、NY日系社会の支援の1年を取材した。

侵攻からまもなく1年

東欧の食品が多く売られているスーパー(ブルックリンのブライトンビーチ)

「終息見えない」

デミトリー・トルゴヴィツキーさん(52)

 ロシア人男性のデミトリー・トルゴヴィツキー(52)さんに聞いた。

本紙:率直に言って、今回のロシアのウクライナへの侵攻について、ロシア政府がロシア国内の国民に伝えている内容と、欧米、日本で報道されている内容とは大きな隔たりがあります。どちらの政府の主張していることが真実なのか、わかり兼ねることが多いですが、立ち位置が異なることでどちらを信じていいのかわからなくなることはありませんか。

:質問を読ませていただき、私は最適なインタービューイーではないと思います。アメリカに30年住んでいますし、ロシアとのコネクションもそんなにありません。ロシア国内で発表されているニュースの意図は明確に分かりますが、ロシア語のニュースは読みませんので、どちらを信じていいか分からなくなることはありません。

本紙:ロシア国内に住んでいる親戚や知り合いの人たちとの現状理解について、ギャップを感じることはありませんか。ロシアの国民の多くは、どう思っているのでしょうか。

:私の親戚や知人はウクライナを支持しています。アメリカに移住したロシア人はこの戦争についてさまざまな意見を持っています。ソーシャルメディアで見ることができます。一概にロシア人はこう思っているとは言えないと思います。また、公ではウクライナを支持していると言うでしょう。それはそう発言することがアメリカで期待されているからで、個人的には別の意見を持っているかもしれません。ロシアの国民(ロシアに住んでいる人)もさまざまな意見を持っているのはプロテストの映像が報道されているので分かると思います。オーストラリアに移住した大学時代の友人がいます。彼の父親はロシアに住んでいてプーチン派です。友人はウクライナを支持しているので、連絡を取る時はいつも口論になると言っていました。

本紙:あなたは、この事態について、どう思っていますか。この戦争状態を終わらせるためには、どうしたらいいかアイデアがあったら教えてください。

:私自身、この紛争において100%親ウクライナです。ロシアやウクライナに長く住んでいないのでわかりませんが、ウクライナのロシア人およびロシア語話者に対してある種の差別があったというロシア政府の主張にどれだけの真実があったのでしょうか。

 アメリカや西側のテレビでインタビューを受けているウクライナ人の兵士や難民の多くは、その約半分がウクライナ語でなく、ロシア語を話しています。したがって、もしロシア政府が言っていることが真実ならば、それらの人々はロシアの侵攻と占領について大喜びするはずです。しかしそれどころか、私の知る限りでは、彼らはロシア軍に対して激しく戦っています。差別はあったかもしれませんが、今はもう関係ないことになってしまいました。ひとつの過ちを、別のもっと大きな過ちを犯して元に戻すことはできないと思います。

 私はこの戦争の良い結末を予見していません。終戦は皮肉なことにキーウではなく、ワシントンDCとブリュッセル(EU)が決めることになると思います。共和党が下院の多数派になり、ウクライナへの兵器援助の予算は削られ、エネルギー施設の大半を破壊されて、厳しい冬を迎えるウクライナの状況は過酷です。したがって、ウクライナはロシアとの間で最悪な和平協定を受け入れることになるかもしれません。この戦争状態を終わらせるためのアイデア…、全く分かりません。

最大のロシア系地区ブライトンビーチの市街

本紙:ニューヨークに、日系社会があるように、ロシア人コミュニティもあるかと思いますが、どこに行けば、ロシア系市民に会って、話を聞けるでしょうか。ブルックリンのグリーンポイントとか、コニーアイランドの方に、ロシアンコミュニティがあるように思ったのですが、ご存知でしたら教えてください。

:ニューヨークには約60万人のロシア語を話す人が住んでおり、トライステートエリアには 160万人が住んでいます。最大かつ最古のコミュニティは、 ブライトンビーチとその周辺です。それほど大きくはありませんが、他にも多くの場所があります。 ワシントンハイツ、レゴパーク、ベンソンハーストです。ロシア語メディア(新聞、ラジオ、テレビ局)もあります。

新聞:Novoe russkoe slovo (New Russian Word)、Russian Bazaar(ほとんどがクラシファイド)、Vecherniy New York (“Evening New York”という別名もある)

ラジオ局:RUSA Radio

テレビ局:RUSSIAN TELEVISION NETWORK OF AMERICA(RTN)

本紙:似たような質問をできるロシア系の友人はNYにいますか。

:私はニューヨークにいるロシア人をあまり知りませんし、私が知っている何人かのロシア人がインタビューを受けることにオープンになるとは思いません。 特にロシアを支持する人は公に答えたくないかもしれません。

日本語の再生は「敬語の再構築」から

 新しい年が明けた。終わらないコロナ禍に加えて、ロシアの軍国化、中国の統制強化、西側各国でのポピュリズム禍など、日本を囲む環境は依然として厳しい。経済にも世相にも暗い影が濃くなるのを感じる。加えて日本では、雇用システムも、教育も、IT活用も、また日本語と紙による非効率な事務作業にしても、改革が実行できずにズルズルと生産性を下げており、競争力もジリ貧だ。そんな中で、変化するだけのエネルギーも失いつつあるようにも見える。

 社会の変革というのは難しいが、人の生き方を変えることはできる。そんな中で、日本社会における閉塞感を解きほぐす対策として、年のはじめにあたって、日本語の再生を考えてみたい。

 日本語の再生というと、美しい日本語を取り戻すべきだとか、反対に若者の気軽な表現を認めようなどというイメージが浮かぶかもしれないが、そうではない。問題は日本語における広い意味での敬語にあると考えられる。現代の日本語文法では、敬語など日本語の待遇表現には3種類があるとされる。目下が目上を敬う「尊敬語」、つまり「先生がおっしゃった」という種類、自分を低めて相手への敬意を示す「伺う、申し上げる」などの「謙譲語」、そして話し相手に敬意を示す「です、ます」表現などの「丁寧語」である。

 私は、このような日本の「敬語」の全体は「乱れに乱れている」と考えている。最大の問題は謙譲語で、とにかく新しく店員になる人や、就職する人には「上司と取引先(消費者)は制御不能な暴君」だという大前提から、その暴虐から自身と組織を守るためにミサイル迎撃システムのような防衛表現が推奨される。その結果が「〜させていただく」の連打ということになる。ゲーム感覚で対応できればいいが、相手の攻撃を交わすことで、自分のメンタルを守るのはゲームとしてもかなり難度の高い部類になる。

 また、若い世代には敬語を駆使して自分を守ることへの疲労と嫌悪から、敬語抜きの表現、つまり「だ、である」調のことをタメ口と呼んで過大評価する傾向もある。実は「だ、である」調というのは「よ」とか「ね」などの強調や感情を表す助詞と容易に結びついて「同調圧力」を湧き起こす厄介な存在だし、その結果として内輪言葉の「内閉化」とか「新入メンバーの排除」などの暴力性も生んでしまう危険すらある。けれども、若者にはそうした自覚はなく、嘘くさい尊敬語や、卑屈な専守防衛である謙譲語に疲弊したメンタルを解放するのは「タメ口」だと思っているから始末が悪い。

 著書の『関係の空気 場の空気』(講談社新書)で詳しく述べているが、私はこうした状況を救うのは「です、ます」表現であると考えている。一般的には「丁寧語」と言われているものだが、「だ、である」が文語(書き言葉)のデフォルトなら、この「です、ます」は話し言葉のデフォルトだと言っても良い。話者が話し相手の人格を認めて大切にする、また余計な感情や権力行使を避けつつ、相手との適度な距離感を保つことができる、これが「です、ます」の最大のメリットである。若い人は、冷たいとか事務的と言って嫌うが、実はメンタルへの負荷も少ないのがこの「です、ます」ではないだろうか。

 新しい年にあたって、一つだけ提案をしてみたい。それは、俗に言う目上の立場から、目下の立場に対して「です、ます」を使用するということだ。客から店員へ、上司から部下へ、教師から生徒へ、親から子へ、先輩から後輩へ、従来であれば「タメ口」に「ね」とか「よ」といった助詞を絡ませて権力行使を行い、対等性を壊していた関係が、「上から下へのです、ます」を徹底することで、自然な距離感とともに健全な対等性を持ってくるはずだ。その上で、例えばビジネスの現場で「下から上への積極的な情報提供、問題提起」がされるようになれば、低迷する日本の生産性も向上するに違いない。

 具体的な例としては、昨年12月のサッカーW杯では日本のTV中継を解説した本田圭佑氏が、自分の下の世代の現役選手を「さん付け」で呼び、その品格が話題になった。この発想法は大いに参考になる。また、同じく昨年暮れに13代目を襲名した歌舞伎の市川團十郎丈は、記者会見などの席で、息子さんの8代目新之助に対して「あなた」という二人称を使い「です、ます」を混ぜた表現で応対していた。役者人生へと向かう9歳の少年を一人の人格として認める姿勢は、芸道に人生をかける者ならではの重みを感じると同時に、新時代の親子関係を示唆しているとも言える。

 新しい年、「だ、である」を使った同調圧力、権力行使を一旦止めてみて、「上から下」への「です、ます」を試してみてはいかがだろうか。まず、人間関係が健全化され、チームのモチベーションが向上し、個々人のメンタルにもいい影響が出るはずだ。そんな一人一人の改革が積み上がることで、社会に明るさが出てくる、そんな年になればという思いを込めつつ新年を迎えたい。(ジャーナリスト、プリンストン在住)

映画少年だったスピルバーグが世界の巨匠になるまでの話

成田陽子のTHE SCREEN

 今でも昨日の事のように覚えているスティーブン・スピルバーグとのワン・オン・ワン・インタビューは、「シンドラーのリスト」(1993年)の時。第2次大戦時期にユダヤ人を救ったドイツ人起業家の実話映画である。

 「実は私の祖父はベルリンで日本大使館付き武官となってヒットラーの愛犬と血がつながっているシェパードを日本に持ち帰って母たちが飼っていたのですよ」と私が言うと「おお!何という恐ろしい話!」と体全体を動かして恐怖の反応を見せたのである。ナチと聞いただけで多くの親戚をホロコーストで失った彼の条件反射だった。こちらは愛犬を通しての珍しいエピソードと思ったのだが、彼の驚愕の表情を見てこちらも怯んでしまい、その後はギクシャクしたやりとりになってしまったのである。

 さて新作「ザ・ファーブルマンズ」は彼の生い立ちを描いた半自伝記で、小学生の時から日本製の8ミリカメラで妹達を配役して作り始めた「映画愛」のドラマと言えよう。

 「この映画は今のアメリカに住むユダヤ系の人々のために創った。僕の家族を描いたホームムービーの延長と言えるだろう。アリゾナでの少年期ではもっぱらジョン フォードに心酔して、映像のアングルなどしこたま真似をしていた。その影響で西部劇や戦争ドラマを創って得意になっていたが、カリフォルニアの高校に転校して、初めてユダヤ系だと言うだけで酷いイジメにあった。ただ僕がかなり高級なカメラを構えて撮影していると周囲が受け入れてくれると知り、「カメラは社会へのパスポート」だと悟ったのですね。

 2020年はコロナ全盛期でどこにも行かず、ひたすら家族との結びつきに集中していた。その時に今、最も創りたい、人々に伝えたいストーリーは自分の若い時の経験だと気が付き、家族たちも僕のアイデアを揃って支持してくれた。

 16歳の時、撮影したフィルムに偶然母と母の恋人が写っているのを見て完璧な結婚をしている両親だと信じていた僕は物凄い打撃を受けてしばらくカメラを持てなかった。自分のコントロールの及ばないところで巨大な悲劇が起こっている事実に打ちのめされてしまったんだ。しかし若かった僕はやはり映画を作るのが自分の生きる道だと確信して、そこから僕は一直線で監督業に邁進して来た。

 ホロコーストで亡くなったユダヤ人の親戚がかなりいて、彼らのために「シンドラーのリスト」を映画化し、世界中から高い評価を受け、大きな励ましになったのが30年前。今回は僕自身のアメリカでのユダヤ人家庭を描いてみたかった。

僕の母はピーターパンのような、夢を追う、歌って踊ってピアノを弾くのが大好きで、ミシェル・ウイリアムズがそのイメージにぴったりだったし、何もかも理論に従って物事を進める静かで優しい父をポール・ダノに演じてもらって、ふたりとも、それは豊かで瑞々しい役作りをしてくれて感謝している。僕を演じたガブリエル・ラベルは撮影当時19歳、カナダ生まれのユダヤ系で、かなりオタクタイプの多感な高校生を素直に演じてくれた。その昔、僕のホームムービーに勇んで出てくれた妹達は今、映画業界で働いているのだが、僕が次は本物の西部劇を創りたいと言ったら「女性の役を多くして下さいね」とやんわり忠告されてしまった。

 今だにDVDやLPを集めて鑑賞するのが好きな「オールド ファッションド ガイ」だと半分恥ずかしそうに、半分誇り高く告白する世界の巨匠であった。