40+プラス 女の人生  第1話 恋愛について

恋愛と潤い:ニューヨークで出会うということ

 ニューヨークで恋愛をするというのは、まるで異文化のシャワーを浴びるような体験だ。この街での出会いは、東京では想像もしなかった視点や価値観に触れるチャンスでもある。ニューヨークという多様性の塊のような場所では、人々がそれぞれ異なるバックグラウンドと物語を持ちながら、自分の色で輝いている。それは、まるで無限に広がるアートギャラリーを歩くような感覚だ。

異文化の中での出会い

 ある夜、バーで、隣に座ったパリ出身のアーティストと出会った。その会話は、まるで異なる文化同士が響き合うセッションのようだった。アートや人生観、彼の故郷の話に引き込まれ、気づけば夜も深まっていた。その日のうちに意気投合し、クラブで朝まで踊り明かした後、早朝のセントラルパークを一緒に散歩した。彼のユーモアと飾らない話し方、そしてニューヨークならではの自由な空気に包まれたそのひとときは、私にとってまさに「ニューヨークでしか味わえない洗練された異文化体験」だった。

ニューヨークのリアルな恋愛事情

 もちろん、この街の恋愛には現実的な厳しさもある。忙しいニューヨーカーたちは、キャリアや夢を優先することが多く、恋愛が後回しになることも珍しくない。時には、デートの約束が直前でキャンセルされることや、突然関係が途切れてしまうこともある。でも、そんなときでも決して相手を追いかけてはいけない。

潤いある恋愛とは

 ニューヨークでの恋愛は、自分が自分であることを許せる安心感から生まれ、ただのロマンスや感情の高まりに留まらず、自分を洗練させるプロセスそのもの。自分の価値観を再構築するきっかけは恋愛だけでなく人生全体に「潤い」をもたらしてくれる。相手に対して心を開き、自分が持っているものを与え、時には脆くなる勇気を持つことの大切さ。この街での恋愛は、ただ自分を満たすだけのものではなく、相手との間に築かれる信頼や共感が、どれだけ深く豊かなものになるかを教えてくれる。与え、受け取り、そして互いに影響を与え合うプロセスが、ニューヨークという多様性に満ちた環境の中で、特別な意味を持つのだと思う。だからこそ、自分自身を磨き、新しい知識を学ぶための勉強や、メディカルスパやエステでのセルフケア、加圧やピラティスなどのエクササイズで体を動かす時間——外見を飾ることに焦点を当てるのではなく、心と体の内側から自分を整えることが、私にとっての「自分を潤わせる時間」だと感じている。

ニューヨークでの恋愛を通じて

 ニューヨークで味わえるこの感覚。失敗も含めて自分の人生を受け入れることを学び、異文化に触れることで自分の価値観を磨き直す。恋愛であれ、友情であれ、出会いは必ず心に何かを残してくれる。それは、異文化に包まれながら、自分自身を見つめ直し、与え合うシャワーのようなものだ。そしてそのシャワーを浴びた後、私はまた一歩先の自分になっている気がする。


藤田カンナ

美容クリニック「Re:forma」と「Kirei House」代表として日本の美の哲学と、米国および世界中から取り入れた先進的な技術を融合させ、心身の調和を重視した総合的な美容と健康ケアを提供。女性の健康をサポートするために開発、Femtechアワードを受賞した幹細胞製品の米国代表。KAATSUスペシャリスト認定資格およびインテグレーティブ・ニュートリション認定ヘルスコーチの資格を持ち、コロンビア大学で学んだビジネスと経営の知識を活かし、事業運営や顧客サービスにおいて、常に最先端のアプローチを追求している。

SAKAI アートショー2025  ウクハットで元旦から


 マルチアーティストのSAKAIによる絵画展「SAKAI ART SHOW 2025」が1月1日(水)から2月2日(日)まで、ロングアイランドシティーにあるウクハット(36-01 36th Avenue)で開催される。同展では毎週、ほかのアーティストとのコラボ企画も行われる。また、12月31日(火)午後6時からオープニングレセプションとカウントダウンコンサートが行われる。入場無料(オープニングレセプションとライブミュージック等のイベントは有料)。問い合わせはEメール[email protected]まで。詳細はウェブサイトhttps://www.sakaiartnewyork.comを参照する。

高級百貨店バーグドルフ・グッドマン 堂園まり子さん4年連続展示販売

 ニューヨーク在住のジュエリーデザイナー、堂園まり子さん=写真=が手がける絵画が5番街57丁目の高級百貨店バーグドルフ・グッドマン(BG)7階の特設催し物会場で展示販売されている。今年で4年連続の展示で世界各国から同店に訪れる顧客たちの人気を集めている。展示作品点数は14点。作画はオイルパステル、金箔、アルミ箔のほかに今年の特長は金、銀のキラキラと光るグリターを使っている。価格は2000ドルから2万4000ドル。堂園さんの作品には、カタールや

バンコク、米国内他州からもファンがリピーターとして来場するなど世界の富裕層に注目されているだけに、バーグドルフ側も異例の4年連続の出展と意欲的だ。開催は12月31日までだが、何点かはその後も常設される予定だ。

編集後記

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。マンハッタンのビルの谷間の編集部に昨日、1通のJAPAN POSTの国際郵便が届きました。友人のノンフィクション作家、川井龍介さんからでした。袋から出すと『別れのサンバ』、帯に「歌とギターが語る人生という名の旅」とあります。川井さんが監修した本です。表紙を見ただけで、本のタイトルを目にしただけで、長谷川きよしの、あの、流れるような歌声が記憶の彼方から甦ってきました。初めて私があの曲を聴いたのは、中学生の頃ではなかったでしょうか。長谷川きよしは、1949年に東京で生まれ、2歳半で失明。6歳からギターをはじめ18歳の時にシャンソン・コンクールで4位となり、銀巴里はじめ都内のレストランなどで弾き語りをするようになり1969年自作の「別れのサンバ」でデビュー、ラジオ深夜放送で流れ大ヒットとなります。現在も京都を拠点に活動を続けていて今年75歳になったそうです。70歳をこえて体の衰えを感じるようになったそうですが、パンデミックが明けてからは、再婚した奥さんのサポートもあって歌うことをまた始めて、80くらいまでなら、マイペースでやっていけるのではないかという気持ちを本書で綴っています。いまは便利な時代です。YouTubeで往年の名曲がどこにいてもすぐ聴けますから。クリスマスホリデーシーズンで賑わう五番街も深夜午前0時を回ると静かなものです。長谷川きよしの「別れのサンバ」を聴きながらグランド・セントラル駅まで歩きました。そんな書評を今週号で書きました。デジタル版だと音声変換して記事が読めるそうで、川井さんが長谷川きよしさんにさっそく記事をメール転送したら「元気づけられた」と言っていたとのこと。元気づけられたのはこっちの方です。今週号19面に掲載しています。Happy Thanks Giving!です。それでは、みなさんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2024年11月30日号)

(1)トランプ次期大統領の移民政策 合法移民、不法移民への影響

(2)もみの木 香る師走

(3)支倉常長の足跡尋ねて 慶長遣欧使節団から410年の節目

(4)年末年始に夢の初共演 フィラデルフィア管弦楽団

(5)年収103万円の壁 主婦は働けない国、日本!

(6)HASHIさん 葬儀しめやかに

(7)日米の企業を縁結び 東京都がNYで誘致活動

(8)岸田理生「糸地獄」ハンター大で演劇上演へ

(9)ホリデーイベント・イン・ハドソンバレー

(10)『別れのサンバ』 長谷川きよし・著、川井龍介監修

トランプ次期大統領の移民政策 合法移民、不法移民への影響

 次期大統領のドナルド・J・トランプ氏は、就任初日に合法・非合法を問わず移民を大幅に削減し、強制送還を強化すると公約していると11月25日付ニューヨークタイムズが1面で報じた。それによると、移民たちは、トランプ政権による取り締まりに先んじて手を打とうと急いでいるとし、外国生まれの米国在住者たちからの問い合わせで移民弁護士事務所の電話が鳴り止まない状態だという。人々はコミュニティ団体など非営利団体が主催する説明会に詰めかけ、来年1月20日の就任後にトランプ氏が実施すると公約している大規模な取り締まり措置から身を守るためにあらゆる手段を講じていると報じた。

 「本来なら恐れるべき人々が流入し、グリーンカードで問題ない人々が殺到している」と、オハイオ州の移民弁護士のコメント引用し、「米国永住権(グリーンカード)保持者はできるだけ早く米国市民権を取得したいと考えているようだ」とも報じた。法的地位が不安定な人々や不法入国者は、亡命申請に殺到しているという。その理由は、たとえ主張の根拠が薄弱であっても、ひとたび申請書がファイルされれば、現行法の規定では強制送還を免れることができるためだとしている。また米国市民と交際中の人々は、グリーンカードの申請資格を得るために結婚を急いでいるとも報じている。

 米国に合法的に滞在できる永住権を持つ人は、米国内に合計で約1300万人いるという。また2022年の統計で1130万人の不法滞在者がいると推定されているとしている。ニューヨークで移民法を専門とする日系の加藤法律事務所にも電話やEメールでの問い合わせが増えているという。代表の加藤恵子弁護士によると具体的には▽今年中に米国の永住権申請をしたい▽合法的なビザを持っていてまだ1年も有効期限があるが12月までに更新申請をしたい▽永住権の期限が2025年5月とか6月に切れるので、必ず12月末までに永住権の更新をしたい▽米国の永住権を持っていてReentry Permit(2年間の再入国許可証)を取得して日本に滞在しているが、このReentry Permitは、今後申請できなくなるということを噂で聞いたが本当か▽外国人の親のもとで米国で生まれた子供は市民権を剥奪されると聞いたが本当か。またこれから生まれる子供は市民権を与えられないのか、など、中にはまだ永住権を申請していないのにも関わらず多くの問い合わせが続いている。

 加藤弁護士は、強制送還の対象となるのは、合法的滞在ステイタスが期限切れなどして不法滞在になってしまった人と国境を違法に越えて入国してきた不法滞在者だとしている。

 現在有効なグリーンカードを所持している人は、次期トランプ政権の移民政策がたとえ厳しさを増したとしても、その滞在ステイタスが脅かされることはないだろうという。ただし駐在員のビザの新規審査に時間がかかったり発給条件が厳しくなる懸念はあるようだ。前トランプ政権下では、寿司シェフのビザが取得困難になりNYの老舗寿司店が撤退に追い込まれたケースもある。

 10年毎の永住権更新については、現政権下では、ニューヨーク州の場合、手続きは既得権益の更新として簡略化され、従来課せられていた移民官との面接なども省略、カードが2週間程度で申請者の手元に届くスピード化が計られており、他州でも同様の傾向が見られる。 

第2次トランプ政権下での移民法の規則

 11月5日の大統領選挙で、再度トランプ氏が大統領に選出されました。トランプ氏が選挙演説で繰り返し主張したように、不法移民の強制退去が来年1月から始まるようです。不法移民とは、すでになんらかの条件で移民の滞在資格が与えられている人たち、つまり永住権を持つ人たちのことではありません。ビザや滞在資格が切れてもそのままアメリカに滞在している人たちや、アメリカとの国境を超えて滞在資格がないままアメリカに滞在している人たちを指します。その方法として次のような方法が上がっています。

● 建設途中だったメキシコとの壁の建設を完成させること

 メキシコとの壁は、第1次トランプ政権下で建設され、バイデン政権下では取り壊されることもなく放置されていました。その建設途中の壁を完成させるようです。それによりメキシコから地続きでアメリカに来る人たちを排除する方法です。

● アメリカ合衆国国土安全保障省内に不法移民強制退去部を設けること

 この新たな管轄部署は、地続きでもなく何らかの方法でアメリカに入国して、正規の滞在資格のないままアメリカで暮らしている人たちを強制退去させるために設けられます。その部署では、職員が不法滞在移民の存在を調査し、発見とともに退去を促すようです。このことを聞いたときに私の脳裏には第2次大戦中のドイツでの秘密国家警察が思い浮かびました。21世紀の現代で当時のような過激な行動は阻止されるでしょうが、不安は残ります。 

 また、今後、外国人の両親のもとからアメリカで生まれた子供達に米国市民権を与えないのではないか、ということが噂されていますが、もしそのようなことをした場合、アメリカ合衆国憲法の改正第14条に反することになります。ゆえに憲法改正をしない限り、この規則は施行できません。それゆえ、アメリカで生まれた子供達はそのまま市民権を与えられるでしょう。そうなると、以前からあった子供と親が引き離されるという状況と問題が再現します。

 この流れで難民受け入れを止めるという案も噂されています。こちらも来年度以降に明確な方針が出されるでしょう。

 通常の移民法の規則に関しての変更はおそらくないと思います。ただし、抽選永住権がこのまま残されるか否かはわかりません。

 非移民ビザに関しては、このまま現状が続行されると思います。毎年申請者が多くて抽選で選考されていた専門職に従事する人たちに発行されるH-1Bビザ申請ですが、このビザの申請者の大半はエンジニアなどコンピューターやIT関連の人たちです。このH-1Bビザの発行数を増やすことは以前から議論の対象になっていましたが、トランプ次期大統領はアメリカ人の労働者の権利を守ることを公約していましたので、おそらくH-1Bビザの発行数は増えずに今後も抽選での申請は続くと思われます。

(加藤恵子/ニューヨーク州弁護士)

もみの木 香る師走

 街にクリスマスツリーが並び始めた

ホリデーシーズンの主役は

なんと言ってもこのツリー

 もみの木の香りが家の中に広がる季節

遠いいつか、クリスマスツリーを見ただけで、

もみの木の香りを思い出せたなら

それはきっと、大きな大きな人生の宝物だ

(11月23日、6番街で、写真・三浦良一)

支倉常長の足跡訪ねて 慶長遣欧使節団から410年の節目

宮城県民合唱団コロ・はせくら

NYからJCHともが合流


 伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団がスペインに到着して410年目の節目の今年、宮城県民から参加希望者を募り「令和遣欧使節団2024」として10月16日から9日間スペイン・イタリアの慶長使節団の足跡を辿るツアーが開催された。2019年以来5年ぶりに日本人の血を引く末裔とされるハポンさんたちとの交流も深めた。さらに、新たに合唱団「コロ・はせくら」を結成し、使節団ゆかりの深いコリア・デル・リオ市とチビタベッキア市で現地の市民合唱団と合同演奏会を開いた。この「コロ・はせくら」にニューヨークの合唱団JCH「とも」が加わり、NYから一緒にツアーに参加した。4世紀の時の流れを超えて現代の令和遣欧使節団一行が見たものは何かー。  (写真・マウリシオ・ラミレス)

(写真上)コリア支倉像の前で

支倉常長

 日本人の血が流れる私たちにとっては、不思議な縁を感じる魅力的な町がある。スペインの南部、アンダルシア地方にあるセビリアの郊外、コリア・デル・リオだ。

 今から410年前、1614年10月「日本初の外交官」と呼ばれる支倉常長率いる使節が、この村に上陸。税関のような役割を果たしていたこの村からセビリア・マドリッドを目指し、最終的にはローマ法王に謁見するという道のりを辿ったのだ。奥州王伊達政宗の命を受けての慶長遣欧使節団だったが、結局は日本との通商条約を結ぶことなく、失意のうちに支倉常長は日本に戻っていった。しかし、この使節団の何人かは、コリア・デル・リオに留まり、村の女性との間に子供が生まれたと言われている。それ以来、苗字が「ハポン(日本)」という人が出てきたというのだ。

セビリア市庁舎古文書館、政宗の親書を見て激論

 それを裏付けるかのようにこの町の教会のカトリックの洗礼台帳にも1646年にはハポンさんが洗礼を受けた記録がある。今ではこの町だけでも700人近くがハポンという苗字を持っている。 この町に今年10月、支倉常長から14代目にあたる支倉正隆さんを団長に、この町に日本から令和遣欧使節団がやってくるという。この使節団を企画したニューヨーク在住の白田正樹氏から話を聞いてこれは参加するしかないと同行を決めた。

 そして、驚いた。この旅は単なる観光旅行ではなく、一部で言われている410年前の慶長遣欧使節はスペインとの通商交渉を結べなかったから「失敗だった」との見方を、少なくとも私の中では大きく覆す旅となったからだ。

 その瞬間は、幾度となくやってきた。

後方の天井には着物を着た聖母マリア(写真上左)と支倉常長(同右)の壁画が描かれている

 まず、コリア・デル・リオでは、この旅のために宮城県で結成された「コロ・はせくら」(団長:川上直哉)という合唱団とニューヨークから参加した「合唱団JCHとも」(団長:阿部友子)が、現地の複数の合唱団とともにコンサートを開き、支倉正隆さんは、祖先の常長がローマ法王に謁見するときに纏った着物と袴を思わせる衣装で登場。ハポンさんたちを始め、町から集まった観客は大喜び。司会をつとめた私は、その様子を舞台裏で見ながら、410年後に、これだけ盛り上がる国際交流を目の当たりにして、慶長遣欧使節がこの町に残した縁は今も脈々と続いていると実感したのだった。

 令和遣欧使節は、その後イタリアへ。正隆さんにとっては初めてのイタリア。自分の祖先の足取りを辿るべく、支倉常長がローマを目指して上陸したチビッタベキアという港町まで足を延ばした。

聖殉教者教会でのコンサートの後で。

 この町で、令和遣欧使節団は、チビッタベキア市長を始め、議会議員が勢揃いした市庁舎に招かれた。そこには、コリア・デル・リオの市長の姿もあった。支倉常長が結びつけた2つの町の市長が目の前で演説をしている。「各地で戦争が続く今だからこそ、こういった国際交流こそ大事なのだ」その発言を聞いた瞬間、思わず涙が溢れ出た。「やっぱり慶長遣欧使節は失敗じゃなかった。410年後、こんな素晴らしい瞬間が生まれたのだから」そう思うと涙が止まらなかった。正隆さんを始め団員たちも目を赤くしていた。

 この高ぶる思いのなか、日本人画家が壁画を書いた日本聖殉教者教会で、この夜コンサートが開かれた。着物姿の聖母マリア様が見守るなか、「コロ・はせくら」と「JCHとも」が当時のスペインの大作曲家ヴィクトリアの「アベマリア」を熱唱した。歌声が響くなか、私の目は、マリア様イエス様から、壁画に書かれた支倉常長の姿、そして、それを見つめる正隆さんへと移って行った。常長さんと正隆さん、410年の時空が超えた瞬間だった。

 最終日、正隆さんは、語った。「14代ということでいろいろな場所で講演します。他の侍の子孫が、過去を振り返って話す時、私はあえて、今そして未来に向けての話をするのです」

 この瞬間、私にとって、支倉常長は日本史の教科書の1ページに出てくる遠い昔の侍ではなく、この目の前にいる正隆さんの祖先で、このつながりはこれからも続いていくのだと実感した。歴史は教科書の中から飛び出して私の目の前で現実として動いていた。そして未来に向けて、支倉常長に縁がある世界の町が繋がって行ったらどんなにいいだろうと410年前の侍たちの描いた夢が、今、私の夢となった。(我謝京子、ドキュメンタリー映画監督、壁画写真も)

辿る夢から叶える夢へ

支倉都市同盟構想実現に向けて

 支倉常長家の第14代当主の正隆氏(中央)と支倉本家の末裔の支倉紀正さん(左)と神田常美さん(右)

 「日本の歴史上最初の外交使節を知っていますか?」と自称「歴史通」に聞いてみる。「咸臨丸で渡米した勝海舟一行ではないか」とか「明治維新後に欧米に派遣された岩倉使節団だろう」という答えが返ってくる。私はシタリ顔で答える。「クラはクラでも岩倉ではなく支倉(はせくら)使節団ですよ。岩倉使節より約260年も前の話です」と。相手は大抵ここで引っ込むが、中には「でもあれは結局失敗したんだろう?」と食い下がってくる「通」もいる。そこで私は切り返す。「派遣した政宗の真の目的が謎なのにどうして失敗と決めつけられますか? ハポン姓を名乗る末裔たちを知っていますか?」と。

 かように慶長遣欧使節は世間には知られていない。一言も書かれていない歴史の教科書さえある。宮城県生まれの私としては心外な話だ。歴史上最も過小評価されている事実の一つではないか、と怒りさえ覚える。

 スペインの人口3万人の町コリア・デル・リオには、32年前に宮城県が寄贈した支倉常長像がある。そこに住むハポンさん達との交流が始まったのは大震災の翌年の2012年だ。ハポンさん達が支倉像の前に集まって、仙台・石巻の復興を願う俳句を詠んだというニュースを聞き、居ても立っても居られない気持ちになったからだ。それから毎年のように合唱コンサート、サッカー大会、俳句交流会などの文化交流が始まった。コリア・デル・リオ、セビリア、コルドバ、トレド、マドリッド、バルセロナ、ローマそしてチビタベッキアなど何度も足を運んだ。政宗と常長の夢とロマンを辿る旅だった。

 パンデミックが落ち着き、今年交流の再開を決意した時私の気持ちは変わっていた。これからは夢を追いかけるのではなく実現させる旅にしようと。そうして企画したのが「令和遣欧使節団2024」である。

 宮城県で生まれ育った県民を対象に募集した。県民からなる合唱団「コロ・はせくら」も新たに組織した。ニューヨークの合唱団JCH「とも」にも加わってもらった。故郷の生んだ偉人たちに畏敬の念を持つ県民達と長い交流を通じてハポンさん達と心を通わせてきた合唱団員のユニークな混合チームである。団長は支倉常長家の第14代当主の正隆氏。さらには支倉本家の末裔のお二人、支倉紀正さん、神田常美さんも加わった。総勢約50名の豪華な顔ぶれである。普通の観光コースでは行けない支倉所縁の場所を廻ってきた。政宗直筆の親書も見ることができた。実は、使節団には宮城県議会議員と仙台市議会議員も加わった。コリア市長のモデスト・ゴンザレス氏が描く「支倉都市同盟(仮)」を進めるためである。常長らが辿った世界の各都市と日本の常長所縁の都市で、経済・文化・スポーツ・教育・観光などの分野で連携を深めていこうという大構想である。アンダルシア州議会議員、セビリア県議会議員、セビリア市副市長、チビタベッキア市長らとの会談が実現した。皆熱心に話を聞いてくれた。どこからも異論は出なかった。それどころかとても前向きだった。 410年前の「夢」が、今現実のものとして歩み始めた! 身が震える思いでローマを後にした。(白田正樹、ハポン・ハセクラ後援会会長)

年末年始に夢の初共演 フィラデルフィア管弦楽団

大晦日にHIMARI
年明けに久石譲

 バイオリニストのHIMARI(吉村妃鞠・写真左、Photo Hitoshi Iwakiri)が大晦日の12月31日(火)、作曲家の久石譲(写真右、Photo Nick Rutter)が指揮者として新年明けて1月3日(金)と4日(土)にフィラデルフィア管弦楽団とそれぞれ初共演する。会場は楽団本拠地、同市内キンメル・センター・フォー・ザ・パフォーミングアーツ。

 フィラデルフィア日米協会が同楽団との相互協力によりチケット購入時の割引コードを提供している。また、この割引コード利用者限定の交流スペースを会場内に設けるという。

Photo Jeff Fusco

 日米協会副理事長であり、同楽団大使も務める穎川廉さんは「各地から集まったファン同士が、演奏前の楽しいひとときを共に過ごせるように割引コード利用者限定の交流スペースを会場内に設けた。名高く華麗なフィラデルフィア・サウンドが、久石譲の作品をどのように表現し、HIMARIの演奏をどのようにサポートするのか、ファンにとって忘れられない体験になるでしょう」と話している。

 大晦日に演奏するHIMARIは、2011年東京都生まれ。本名は吉村妃鞠。3歳のころにバイオリンを始め、 10歳までに出場した国内外の42のコンクールすべてで1位を獲得し、22年、超難関のアメリカ・カーティス音楽院(大学に相当)に合格。慶應義塾幼稚舎を小5で一時退学し、同年9月から米国に在住しながら日米を行き来して演奏活動中。

 年明けに演奏する久石譲は、1950年長野県中野市生まれ。本名は藤澤守。国立音大時代に活躍していたクインシー・ジョーンズの名前(ク=久、インシー=石、ジョーンズ=譲)をもじり漢字に当てた。映画音楽を中心に手掛け、特に宮崎駿監督作品においては、「風の谷のナウシカ」以降、「君たちはどう生きるか」まで39年間すべての長編アニメーション映画の音楽を手掛けた。多数のソロアルバム、映画音楽など幅広く活躍し、1992年から3年連続日本アカデミー賞最優秀音楽賞をはじめとした数々の音楽賞を受賞。現在はクラシックに戻り、今年4月から3年の任期で、英ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のコンポーザー・イン・アソシエーションを務めている。

 チケットは、楽団の公式ホームページ(https://www.philorch.org/)から購入可能。割引コードの問い合わせはEメール[email protected] 

年収103万円の壁  主婦は働けない国、日本! 

 今日本では、「年収103万円、106万円、130万円の壁」が政治問題となっています。「壁」とは、夫に扶養されてパートなどで働く主婦らが、税金負担などを避けるために勤務時間を伸ばせない年収額のことです。この「働き控え」となる年収の額は、それを超えると所得税が生じる103万円の他、超えると年金や健康保険の支払いが生じる106万円と130万円など6つと言われます。10月27日の総選挙で躍進した国民民主党の政策を自民党と公明党の少数与党が受け入れて、103万円を超えることは合意しました。

 近年の最低賃金の上昇に伴い、パート社員が壁に達する勤務時間は短くなっており、「手取り額」の減少で生活が苦しくなっても勤務時間を伸ばせない働き控えが増え、企業にとっても人手不足の一因となっています。

 しかし、国民民主党が主張する178万円の引き上げでは税収が7兆6000億円も減り、教育費や医療費などが減少する全国知事会などから慎重意見も出ています。政権維持のために、28名の国会議員による国民民主党の要請を受け入れたものの、財源も不明で、値上げ幅は今後の交渉次第です。

 根本的な問題は、今の税と社会保障は、働く夫を妻が支える「片働き世帯」を前提に設計されていることです。会社員や公務員の妻で年収が一定以下なら保険料負担なしで国民年金や健康保険に加入できる「専業主婦の無年金対策」の制度もあり、労働組合の代表の連合は、今年段階的な廃止を提案しました。

 「主婦は働けない」制度設計を、今の夫婦共働きの時代にあった制度に変更することが重要です。介護職員の待遇改善など育児や介護を社会で担う仕組みを整備し、長時間労働の男性社員の働き方を変えて育児休暇をしっかりとれる政策と社会作りが必要です。

 11月6日の米国大統領選挙と10月27日の日本の総選挙の共通点はStatus Quoの否定だと思います。特に日本では、これまでの一党支配から群雄割拠状態にある各政党が、来年7月の参議院選挙までは、政策を国民に競う「政策コンテスト」の期間を迎えます。

 これを機会に、国民の「手取りを上げる」とともに、若い人々の負担感も解消して、全世代が負担を分かち合う税と社会保障制度の抜本的改革の道筋をつけてほしいと思います。

 ふじた・ゆきひさ=慶大卒。世界的な道徳平和活動MRAや難民を助ける会で活動した初の国際NGO出身政治家。衆議院・参議院議員各二期。財務副大臣、民主党国際局長、民進党ネクスト外務大臣、横浜国立大講師等歴任。アメリカ元捕虜(POW)の訪日事業を主導。現在国際IC(旧MRA)日本協会会長。岐阜女子大特別客員教授。

HASHIさん 葬儀しめやかに

 11月12日にNY市内の入院先で亡くなった写真家、HASHIさんこと橋村奉臣さん(享年79歳)の葬儀が11月24日午後、グリニッチビレッジ葬儀社でしめやかに行われた。1980年代から米広告業界で写真家として活躍した当時の写真作品が会場に並べられた。当日はニューヨークの広告業界関係者、写真関係者が多く集まり、喪主の長男、賢太郎さんと長女の光(あかり)さんから来場者に生前のHASHIさんへの親交と応援に感謝の言葉が述べられた=写真=。

 橋村さんは1945年大阪府茨木市生まれ。1968年に来米。74年にHASHIスタジオを設立。1980年代前半より肉眼では捉え難い2万分の1秒の世界をとらえた独自の技法、「アクション・スティル・ライフ」で一世を風靡し、広告業界において、その地位を不動なものにした。橋村さんは自宅近くのスーパーで買い物の帰り、マンハッタンの路上で暴漢に突き飛ばされて転倒、後頭部を強打し、緊急入院から3週間後に亡くなった。

日米の企業を縁結び 東京都がNYで誘致活動

スタートアップ企業対象に
TOKYO SUSHI NIGHTブルックリンで

 東京都は21日夕、ブルックリンのネイビーヤード内にあるスタートアップ企業の集積ラボ「ニューラボ」で米国スタートアップ企業の東京誘致を促すイベント「TOKYO SUSHI NIGHT」を開催した。ニューヨーク市経済開発局、ジェトロNY事務所、ニューラボ共催。当日は、東京都の宮坂学副知事が来米して登壇、東京でのビジネス展開の魅力をアピールし、東京への進出を呼びかけたほか、ジェトロニューヨーク事務所の三浦聡所長がジェトロが行っている海外企業に対する日本進出サポートなどについてスライドを使って説明した。

 都は「世界から選ばれ・世界をリードする都市」を目指し、都内経済の活性化や都民の生活の向上につながる、海外スタートアップの誘致に向けた取組を推進しており、ニューヨークでは今年1月に第1回のイベントを開催。5月には場所を東京に移し、参加者4万人を超える規模で「SUSHI TECH TOKYO」に改名して開催している。NYでの実施は2回目。SUSHI TECHは「サスティナブル・テクノロジー(持続的な技術)」にかけたタイトルで、エコ、環境エネルギー関連のニューヨークのスタートアップ、投資家、アクセラレーターら350人が参加した。これらスタートアップ企業と日本企業とを結びつけるのが狙いで、当日は、アンモニア燃料、バッテリーメーカー、オンライン購入サイト、遠隔介護システム、海洋航行省エネ技術の全米から集まった5社が自社をプレゼンテーションした。パネルディスカッションも行われた。

  宮坂副知事は「海外企業が来るのを日本で待っているだけではなく、また委託業者に任せきりにするのではなく、都自身が実際にやってきて、直接対面で対日進出を呼びかけることが大切だと皆さんに会って実感した」と話した。プログラム終了後には、日本の伝統的な食文化を通じて日本文化を体験できるネットワーキングセッションも行われ参加者たちが交流した。

日米の企業から約350人が参加して開催されたNYイベント