第3回ジャパンパレード、来年5月11日(土)開催

 第3回「ジャパンパレード&ストリートフェア」が来年5月11日(土)に開催されることが決まった。

 同イベントを主催するジャパンデー・インク(会長・山口幸一双日株式会社専務執行役員兼米州総支配人、名誉会長・森美樹夫NY総領事・大使)が8日発表した。行進は過去2回と同じくマンハッタンのアッパーウエストサイドで行われる。日米交流、NYへの感謝、日系社会の連帯強化を目的にしたパレードでは、今年は、お神輿や太鼓、舞踊、武道、ジャズ、アニメパフォーマンスなど伝統文化からポップカルチャーまで、日本の魅力をアピールする99団体約2500人が行進した。また日本から駆けつけたライブスペクタクル「NARUTO」が沿道の5万人のニューヨーカーの声援を受けた。ニューヨークで開催された日系社会のイベントとしては初めてニューヨーク市長が顔を見せ、エリック・アダムス市長がパレードを最初から最後まで歩くという画期的なパレードだった。

 土曜日開催については一部補習校保護者から授業に影響のない日曜開催希望の声が出ていた(4面に関連記事)ことからパレード事務局と総領事館、幹事会社が可能性を検討した。NY日本人教育審議会在籍5校とブルックリン日本語学園の計6校に聞き取り調査をしたが、全校から回答を得られていない段階での決定となった。ニューヨーク市警察から来年のパレード開催可能な日程の提示を受けたが、日曜日は12日の母の日のみだったという。同様の開催目的で2007年から2019年まで13年間開催した「ジャパンデー@セントラルパーク」はすべて「日曜日の母の日」の開催だったが、事務局によると「母の日開催は避けて欲しいという強い声が各方面から出ていた」そうで、母の日の12日・日曜の開催は断念。補習校についても各保護者の中には別の意見を持っている人もいるとの指摘もあり、事務局では総合的に判断した上で5月11日の土曜日開催にしたという。なお、より広い層の参加を可能にするため、イベント開催時間の見直しも検討している。パレードのほかに今年はジャパンフェスの協力を得て、日本のお祭り屋台の食べ物などがストリートフェアとして登場した。日米100社近い企業の支援を得て開催。事務局では来年に向けて協賛・寄付などの支援を募っている。問い合わせはparade@gorgeousentertainment.com まで。

ジャパンパレードに難題

補習校の児童生徒ら見られず

日の丸の小旗を振ってパレードするアダムスNY市長(今年5月)

 沿道を埋める5万のニューヨーク市民。歓声と拍手がセントラルパークウエストに響く。5月13日に開催されたジャパンパレードにエリック・アダムスニューヨーク市長が日の丸の小旗を振って行進する。ゲストパフォーマー、NARUTOナルトたちがメインスタンドに到着し、レッドカーペットに降り立って、アクションバトルを披露する。コスプレのアニメファンたちが大喜びしている。

 だが、そこに日本人の小中学生たちの姿はない。パレード当日は土曜日。補習授業校に通っている日本人、日系人の子供たちは、授業があるため、見たくても見れなかったのだ。

 会場にいた日本人女性は「できれば、日曜日に開催してもらいたいです。昨年は土曜日の授業を早退させましたが、今年は諦めました。郊外からおいでになる人は学校を休ませるしかないですね。夫が迎えに行ってますが、子供にナルトを見せてあげたかったです」(山田美智子さん、仮名、主婦)と残念そうに話した。

 保護者の武田秀俊さん(会社経営)は、次のように語る。「補習校の子供たちとその親たちは、日本人コミュニティにおいてある一定の規模を占めている。日本ではできない経験をする、 海外における日本の位置づけを知る、つまり日本を相対的に見る力をつける、現地校において日本を考える機会を提供するといった教育的観点からも、今後の国際交流を担う子供たちに早くから、そのような体験を、これほどの規模で経験する機会は非常に貴重だと思っている。ジャパンデーはもともと日曜開催だったのが土曜に変更された理由があるのだと思うが、来年以降に関しては、できれば補習校の子供たちも参加できる形にしてもらえれば、よりよいイベントになるのではないか」と話す。

 パレードを主催するジャパンデーインクの吉井久美子事務局長は「事務局のスタッフにも補習校に子供を通わせているママさんもいて、日曜日開催も断然候補に入れるべきと考えます。パレードは、そもそもNYPDからの許可が出ないと実施できません。で、許可が出たのが5月13日だったのです。土曜日開催か、実施しないかという二択。「テイク・イット・オア・リーブ」で泣く泣く事務局としては「許可が出た日での実施」ということで、取締役会での承認が得られたのです。この件は、種々ある課題の一つだと思っています。色々な方の生の声をシェアして頂きありがとうございます。今後の参考にさせていただきます」と話している。

 ニューヨーク補習授業校には約600人、ニュージャージー補習授業校には約400人、NY育英学園のサタデースクールに約500人、リセ・ケネディ日本人学校の土曜課程に約150人の児童生徒が在籍している。このほかにも土曜日に授業をしている日系の学校は多い。(この記事は本紙2023年5月20日号に掲載されたものです)

星の王子さま五番街に登場

出版80周年を記念

在米フランス協会とサン・テグジュペリ青少年財団が制作

 メトロポリタン美術館近くにあるアルベルティーヌ書店(5番街972番地)の庭の外側に、サンテグジュペリの児童文学に登場する「星の王子さま」のブロンズ像が登場した。

 高さ4フィートのブロンズ像はフランス人彫刻家ジャン=マルク・ド・パスによる作品で、「星の王子さま」出版80周年を記念してル・スヴニール・フランセ米国協会とアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ青少年財団が製作しもの。

 砂漠に飛行機が墜落したパイロットが別の惑星から来た少年に出会う話で、少年(星の王子さま)は宇宙を旅して得た知恵をパイロットに語る。世界中で2億部以上売れたこの小説は、何百もの言語に翻訳され、歴史上最も売れた本のひとつとなっている。(五番街79丁目で、写真・三浦良一)

日本の芸能一堂に

RANMANカーネギー公演華やかに

トリを飾った原めぐみ

 和太鼓、殺陣、舞踊、盆踊り、歌など、日本の文化や芸能をエンターテイメントとして紹介するチャリティーイベント「RANMAN」が7日午後、カーネギーのザンケルホールで開催された。(主催 : 株式会社J’SHA 、鈴木ひろみ代表/ 芸能プロダクションACTVISION、プロデューサー小澤明美)。

 パフォーマンス出演は、八王子ドリーマーズ、東京ドリーマーズ、若波章柳、チーム桜魁、Rin、後藤修慈、10・QuatreAZUMA-盆ダンスチーム。シンガーの出演は、原めぐみ、瀬戸カオリ、林こずえ、東里香、関口満紀枝、山桜万理華、秋山美保、畑中梨佳、下田藤百史、平田深冬、カルミナ、美花、虹心ひまり、スランジバーほか。ヘアメイク/AMY 一美千葉。日本国内で活躍する芸能人が一堂にカーネギーで観客を楽しませた。

 ステージマネージャーは秋山勇次。音楽制作は佐藤孝憲、総合司会はKOHEI。

日本の不条理描いた天才画家、故・石田徹也展NYで開催中

チェルシーのガゴシアン・ギャラリーで21日まで

 ガゴシアン・ギャラリー(西24丁目555番地)では、9月12日から故石田徹也(1973〜2005)の絵画展「My Anxious Self」を開催中だ。セシリア・アレマーニのキュレーションによる本展は、ガゴシアンによる石田徹也エステートの世界的な代理権取得の発表に続くもので、同エステートは、著名な個人コレクションや静岡県立美術館とともに、本展に80点以上の作品を貸与した。同展は、石田哲也の作品の中で最も包括的な展覧会であり、日本国外では初のニューヨークでの開催となる。

(写真上)Prisoner, 1999, Acrylic on board, 14 5/16 x 20 1/4 inches (36.4 x 51.5 cm)

 最初は自画像だった。弱い自分、情けない自分、不安な自分など、自分自身をジョークや笑いのネタにしようとした。それは、現代人に言及したパロディや風刺として見られることもあった。

Cargo, 1997 Acrylic on board 40 9/16 x 57 5/16 inches (103 x 145.6 cm) 20 21, Untitled

 そうして考えていくうちに、消費者、都市生活者、労働者、そして日本人へと広がっていった。石田はわずか10年の間に、人間疎外をテーマにした印象的な作品を発表している。彼がアーティストとして頭角を現したのは、1990年代まで続いた日本の「失われた10年」と呼ばれる不況期であり、彼の絵画は、この時期の日本社会を特徴づけていた絶望感、閉塞感、断絶感を、急速な科学技術の進歩の後でも捉えている。2005年に31歳の早すぎる死を迎えるまで、石田はカフカのような不条理を湛えた絵画や紙作品によって、現代人が直面する課題を寓意的に描いてきた。

 弟の石田道明さんは展覧会カタログの序文で、「哲也が最期まで持っていた財布には、アメリカの1ドル札が何枚も入っていた。いつか現代アートの中心地であるニューヨークに行きたいという彼の願いだったのかもしれない。ようやく彼がそれを使う機会を得たことに感謝しています」。ラリー・ガゴシアン氏は、この出版物の序文で、石田の作品は「人間の条件に対する壮大な探求であり、緊急性を感じさせ、時代を超越し、これほど若いアーティストとしては異例である 」と述べている。「失われた10年」を描いた石田が逝ってからさらに20年の失われし歳月が続いている。今、もし彼が生きていたらどんな絵を描くのか。それを見ることができなくて残念という気持ちと見れなくてよかったという安堵の気持ちが相半ば交錯する。21日まで。詳細はウエブサイトnewyork@gagosian.com   (三浦良一記者、写真も)

過疎化に耐えられない地方をどうする

 日本では地方の過疎化がより深刻化している。例えば、全国的にバス運転手の不足が問題となっており、続々とバスの便数削減やバス会社が丸ごと廃業という事例も出てきた。このバスの問題は、大都市部でも同じような問題に直面していることもあり、過疎化の問題としてはやや特殊な部類に入る。だが、交通手段が行き詰まるとコミュニティとしては成立しないわけで、過疎化にとって深刻な問題であることは間違いない。

 バスと並んで、切迫しているのが水道の供給だ。水道管の耐用年数は日本の場合、法令で40年と定められている。だが、多くの水道管が老朽化しており、100年近く運用されているものも多い。物理的な耐用年数としては、鋳鉄製で80年、塩ビ製で60年が限界と言われているが、全国で更新は遅れている。そのために水道管が破裂して、断水が長期化するなどの事故が増えてきた。

 ところが、日本の場合は水道の「民営化」には世論の強い反対があって進んでいない。アメリカの場合は、民営化と広域化が進むことで、コスト構造が炙り出されて持続可能な「受益者負担」が成立しているが、小規模な日本の水道事業にはそのまま応用はできない。そんな中で、一つの現実的な方策としては、自治体の枠組みを超えた水道事業の広域化が考えられる。この公共水道の広域化というのは、ほとんどこれが唯一の現実策と思われるが、改革のスピードは遅い。

 アメリカもアパラチアから大平原、更に西部山岳地帯と巨大な分散集落地帯があるが、多くの場合は大規模農場やエネルギー産業など「経済が回る」構造がある。だが、日本では引退世代が山間部で暮らす『ポツンと一軒家』が数多く残っていて、これが多くの場合に行政コストを押し上げている。

 この問題を解決するために、コンパクトシティ化というスローガンが叫ばれたことがあった。例えば青森県の弘前市、富山県の富山市などである。山間部に分散した集落から人口を10万規模の都市圏に集約して、居住と福祉サービスの距離を縮め、生活の質を維持しながら人口を集約するという発想だ。その裏には、分散集落と都市をつなぐ道路に関して、これ以上「冬場の除雪を行う費用もなければ人手もない」という現実があった。

 だが、基本的に『ポツン』という物件は評価すればほとんど無価値であって、等価交換で都市部に移ってもらうのは不可能だ。また、そこに助成を行って無理に集約してしまうと、駅前のシャッター通りなどの担保価値が下がって地方金融が崩壊する。そんな中で、本格的な「コンパクトシティ」は事例として実現していない。そこで、多くの地方自治体では、除雪や水道、電気など必要な行政とインフラのサービスを続けながら、住民が更に高齢化して「山を降りる」ことで、集落が一つ一つ歴史を閉じるのを待つしかないのが現状だ。

 だが、地方自治体の財務状況悪化や人手不足が加速しており、このように「なんとか維持しつつ、集落の自然減を待つ」というアプローチは破綻しつつあると言っていい。東京の中央官庁からは、通院や買い物は自動運転でカバーする、とか、水道管の更新が無理ならタンク車で給水するなどという「対策」が提案されているが、解決策としては現実的とは言えない。

 その一方で、人口の集約を加速せよという議論も増えてきた。維持できない行政サービスは止めて、多くの『ポツン』の住人は里に降りてもらう。これに更なる町村合併を進めて人口を集約してすべてを効率化するという発想だ。だが、その場合は巨大な耕作放棄地の発生による植生の荒廃、人獣の力関係が更に逆転することで脅威が都市部に及ぶなど、新たな問題が出てくる。離島や沿海部では、極端な人口減は国境防衛への問題になる。総合的な対策は待ったなしであり、地方創生などという美辞麗句で対応できる段階は過ぎたと言える。

 水道民営化の議論もそうだが、安易な改革論者はすぐにアメリカの真似をしたがるが、それが日本には必ずしも合わずに事態を悪化させる危険もある。むしろ、アメリカの小規模な町村を丁寧に見れば、独立採算制を活かした成功例で、日本の参考になるケースもあるかもしれない。いずれにしても、日本の過疎問題は私達にとっても、他人事ではない。(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

堀江さんの「最後の乗客」5部門で受賞

グローバル・ノンバイオレント映画祭

 ニューヨーク在住で宮城県出身の映像ディレクター、堀江貴氏(51)=写真右=が監督した映画「最後の乗客」がこのほどグローバル・ノンバイオレント映画祭で最優秀賞を含む5冠を受賞した。受賞したのは最優秀音楽賞(徳家”Toya”淳)、最優秀脚本賞(堀江貴)、最優秀女優賞(岩田華怜)、最優秀監督賞(堀江貴)、最優秀作品賞(「最後の乗客」)。

 堀江監督は「このような映画祭でこんなにたくさんの賞を頂き大変光栄です」と喜びを語っている。同映画は東日本大震災から10年目の2021年3月の公開を目指して制作を進め、ドキュメンタリーではなく、親子の関係が震災で変わってしまったドラマ。今年ニューヨーク映画祭でも上映された。これまでサンディエゴ芸術映画祭で「最優秀インデペンデント映画賞」を受賞、またカンヌ世界映画祭の最優秀インディペンデント映画(低予算部門)、スウェーデンの映画祭ボーデン・インターナショナル映画祭(BIFF)の初長編映画ノミネート、モントリオール・インデペンデント映画祭の最優秀フィクション映画など数々の映画祭で受賞やノミネートされている。

ジャパンフェス・ラーメンコンテスト、鬼そば藤谷が優勝

昨年に続き3回目

 10回目となるジャパンフェス大人気のラーメンコンテストが10月7日と8日にマンハッタンで開催され、昨年に続き、鬼そば藤谷が3度目の優勝を飾った。今回は6店舗が優勝を競い合った。2位は麺屋たいそん、3位はらーめんチキン野郎だった。優勝した藤谷拓廊さん(42)は、日本のモノマネタレント(芸名・HEY!たくちゃん)で一世を風靡した人。

 2011年に東京ラーメンショーで優勝し、12年渋谷センター街に自身の店鬼そば藤谷を開店した。16年には大つけ麺博のラーメン部門で優勝。2019年10月、ジャパンフェスラーメンコンテストに初参戦、プレミアムロブスター味噌ラーメンで初優勝を飾る。22年、3年ぶりのジャパンフェスラーメンコンテストに向け服部栄養専門学校に夜間通い、さらに進化したロブスター味噌ラーメンで再度優勝。来米直前の9月に自身の店が入るビル1階で火災が発生。その影響で12年守り続けた5階の店の営業が一切できなくなり負債を抱える状態に。一時は渡米参戦の断念も考えたが新たなる出発になると渡米を決行したという。「来てよかったです」と男泣きして優勝を喜んでいた。

孤独な人物のバランス 巨匠ジム・レナート作品展

チェルシーのキャバリア・ギャラリーで28日まで

 キャバリア・ギャラリー(西24丁目530番地)は、アーティスト、ジム・レナートの新作彫刻、ドローイング、ペインティングの個展「Balance」を開催している。2014年以来、ニューヨークの6番街と55丁目の角に立つ男性像をはじめ街角を彩るビジネスマンたちのブロンズ彫刻で知られ、今回新たに全米彫刻協会フェローに選出されたジム・レナートの最新作を紹介している。プロトタイプの台座に置かれた粘土彫刻には、詳細なスケッチが添えられており、アーティストのスタジオでの制作過程をギャラリーの空間に持ち込んでいる。一連の孤独な人物は、バランスを取りながら奮闘している。10月28日まで。

ウェグマンズ18日に開店へ

 米人気スーパーマーケットのウェグマンズが18日(水)午前9時、マンハッタン・アスタープレイス(ブロードウエー770番地)に新店舗をオープンする。日本人にとってうれしいのは、アメリカのスーパーで初の本格的「魚屋」がオープンし、100年続く日本の老舗「魚力」の職人が、ニューヨークに滞在し、日本の「魚屋」のコンセプトをそのまま再現するようにしていることだ。豊洲から届いたばかりの魚や捕れ立てのローカルな新鮮な魚が楽しめる。ウェグマンズは1915年ニューヨーク州ロチェスター市に創業した老舗スーパーマーケットチェーンで、NY州郊外を中心にニュージャージー州、ペンシルベニア州、メリーランド州、バージニア州など、米東海岸に100店舗ほどを展開している。19年10月にはNY市1号店をブルックリンのダンボ地区にオープン。NY市の2店舗目は、21年に閉店したKマートのビルに2フロアを使って営業する。詳細はhttps://www.wegmans.com/astor-place-nyc/

Photo by Meg M

ホテル「幽霊屋敷」体験談

ニューヨーク州に散在する84軒

 日がすっかり短くなった10月、大きな月が田舎道を明るく照らすとハロウィーン祭でなくとも幽霊の出没をが肌に感じられる。アメリカの幽霊は収穫の秋に出てくる。

 ハロウィーンに限らずニューヨーク州には84軒の幽霊屋敷が、ニューヨーク州の観光促進スローガン「アイ・ラブ・ニューヨーク」の「幽霊の歴史の小道(Haunted History Trail)」にリストアップされていて、旅行者は年中いつでも訪れ、宿泊できる。「幽霊」は宿によってさまざまな背景のストーリーがあり、史実に基づいて語り継がれた幽霊が出没する屋敷からアーティストの創造による娯楽性満点の幽霊屋敷まである。

  マンハッタンから車で3時間足らずのハドソンバレーにある「ウイング夫妻の城(Wing’s  Caste)」に1泊してみた。客室たった3室のB&B(Bed and Breakfast)だが、筆者が泊まった部屋は正に中世ヨーロッパの「城」の地下牢獄。部屋もそこへたどり着く回廊も全て石造り、清潔なシャワーとふわふわの心地よいベッドがあるが、凝った照明とインテリアがあっても、あくまで牢獄を演出。それでも床石に暖房仕掛けがあり、足も冷えず晩秋の寒さでも部屋はホカホカ暖かくて快適。居心地の良さにすっかり幽霊を忘れていると、深夜に自然にロウソクの灯が点り、夜明けと共に静かに消えた。

翌朝、城のダイニングホールで朝食を取った後、「城主」のトーニ・ウィングさんが館内やそこに「宿る」幽霊を案内してくれた。約50年前、当時23歳のアーティストであり新婚夫婦だったトーニさんと夫のピーター・ウィングさんは、1888年からウィング家が所有していた12エーカーの土地に「城」を建てるというロマンチックな構想を立てた。その時のスケッチに基づいて、ピーターさんは「城」を設計し、ハドソン渓谷で購入したり見つけたりしたリサイクル材や回収材を使用して構築した。1980年代になると、この城は地域の観光名所になり始め、訪問者が増えていった。城が完成すると、ピーターさんは「B&B を始めよう」とトーニに言った。 以後22年間、夫婦は城の後半となる客室の建設を始めた。

 「ゴシック様式の城には 7 つの塔、堀、金魚の池があり、ハドソン川渓谷の素晴らしい景色を眺めることができます」と、トーニさんはガイドしながら説明してくれた。2人がウィングの城を宿泊客に開放する段階に近づいていた矢先の2014年、ピーターさんは交通事故で亡くなり今はトーニさんが「ウイング夫妻の城 B&B」を経営している。(ワインスタイン今井絹江、写真も)

編集後記

【編集後記】



 みなさん、こんにちは。日本は世界からどう見られているのか。日本人自身は日本をどう見ているのか。いつの時代にも気になるところですが、ブルッキングス研究所のミレヤ・ソリス博士が先月、『Japan’s Quiet Leadership』(ブルッキングス・インスティチュート・プレス刊)という日本関係書を出版しました。同書は、日本の経済的・政治的進化の過去30年間を俯瞰し、グローバリゼーションの経験、経済的国家運営の影響と再調整、そしてインド太平洋での日本の安全保障のプロファイルを徐々にではあるけれど、その外交ネットワークで大きく変化させる引き金となった地政学的挑戦の数々を紹介しています。9月27日にコロンビア大学で、この本についての講演と質疑応答がありました。モデレーターとしてコロンビア大学のジェラルド・カーティス名誉教授が「重要なメッセージは、日本がインド太平洋地域の再構築と自由主義的国際秩序の擁護において重要な指導的役割を果たしているということだ」と解説しました。詳しくは本紙1面と10面の書評欄で紹介していますのでご覧ください。日本関連本といえば、今をさかのぼること 40年以上前の、1979年に出版された、かの有名な日本でのベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン』でしょうか。戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本人の高い学習意欲、日本的経営、日本特有の経済・社会制度を再評価するきっかけとなった1冊で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉は、いまだに1980年代の日本経済の絶頂期を表わすものとして用いられています。著者のハーバード大学名誉教授のエズラ・ボーゲルさんは2020年にお亡くなりになってます。今の日本の状況を見たらなんと言うかは別にして、今度出た日本の静かなるリーダーシップ、静かなると言うところがミソですね。モーレツからビューティフルを超えてクワイエットな時代に。外交を武器としたネットワーク大国日本の姿が浮き彫りにされています。日本では少子高齢化でまったなしの危機感でそのうち人口の4分の3になるであろう高齢者の年金危機を煽る論調ばかりがネット上に溢れていますが、日本の存在感は日本人が思っている以上に海外では高まりつつあるのかもしれません。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2023年10月7日号)

(1)「獺祭」米に製造蔵 旭酒造が現地生産

(2)新著『日本の静かなるリーダーシップ』

(3)第15回風の環コンサート トルコ大地震復興支援

(4)花と芸術の祭典 カーネギーホールで

(5)NYでステーキを食べる。芸術的味わいの最高傑作をね。

(6)在外投票を混乱させる衆議院抜き打ち解散 海外日本人サポート

(7)NYPDにロボコップ 試験運用を開始

(8)家と家の名義の片づけ ヘルスフェアで山口さんオンライン解説

(9)イメルダ夫人礼賛  ブロードウエー界隈 40

(10)NYで幼児教育続け半世紀 こどものくに幼稚園園長 早津邑子さん