命のビザ日米でオンライン会議

「父の名誉回復を」長男の悲願叶う
10年続けた杉原作文コンテスト

阿部勝弥

 1990年代当時私はニューヨークで出版と広告代理店を営む傍らNY-NJポートオーソリテイ(港湾局)、ワールドトレードセンターのイベント企画に従事していた。港湾局からハドソン河汚染問題をよく耳にしていて環境問題に興味を持ち、知人の紹介でカリフォルニア在住で環境事業を目指す杉原弘樹氏と知りあった。

 その後しばらく過って、杉原弘樹氏は杉原千畝氏の長男であり「父は元外交官でポーランド、リトニア日本領事館在任中ナチに追われるユダヤ人2000人以上に日本通過ビザを発行、日本帰国後、政府からはユダヤ人ビザ発行不許可勧告に従わなかったという理由で外交官資格を剥奪され不義な生活を余儀なくされていた」また父は生前「国際社会からは勇気ある人道行為として称えられ、数々の栄誉を授かったが、自分だけがユダヤ人救出に携わたのでなく他の国の知られざる外交官、民間人の勇気あるユダヤ人救出努力をも同様に称えられるべきだ」とも言っていたという話を私に打ち明けてくれた。それまで私は杉原千畝という名もどんな人かも全然知らなかった。

(左)阿部さん (右)10年続けた杉原作文コンテスト受賞者の訪日

 弘樹氏の希望は父の遺志を受け継ぎユダヤ人救出に尽力した世界の外交官、民間人を探し日本でその人たちの勇気ある人道行為を称える表彰式を催したい、同時に人道博物館も創りたい、その上で父の外交官名誉も取り戻したい。そこで弘樹氏の私への要望はこの催し計画に協力してほしいというものであった。しかしこのプロジェクト計画追行には多額の基金も必要で募金も容易いなものでなく、ましてや外交官名誉回復には周到な外交渉準備にも望まねばならず私にとって大きな企画挑戦行動が始まった。幸いに理解ある個人、民間事業から必要基金も集まり、名誉回復には杉原千畝幸子夫人と弘樹氏の経験聞き取りと彼女の著書「命のビザ」の文を頼りに資料集めに奔放、杉原家所蔵の写真やワシントンホロコースト博物館などから資料を借り受け東京高島屋において「6000人の命のビザ」写真展を開催すると同時にユダヤ人を救った各国大使、外交官、及び民間人への表彰式典も行われた。一方では米国議員、特にユダヤ系、少数民族系、加州日系議員も加わり当時日本政府の河野洋平外務大臣との間で杉原千畝氏外交官名誉復帰の交渉が行われていた。結果命のビザプログラム開催の2週間前に日本政府による杉原千畝元外交官の名誉回復の正式発表がなされた。式典の中、杉原幸子夫人の目の涙、弘樹氏の安堵と豊かな微笑みが忘れられない。

 同時にADL(Anti Deformation League) による杉原千畝の「勇気ある決断」を学ぶ作文コンテスト”Do the Right Thing”   が全米50州の高校から募集され、コンテスト優勝学生を毎年日本に招聘、日本の学生との交流プログラムも企画されて10年にわたり続けられた。全プロジェクトを成功に導いた全日空、日本企業TIGRE,杉原弘樹氏の活動を支えた上田卓三元議員の支援功績も称えたい。

 リタイアした現在の私は ”Do the Right Thing” の作文テーマが忘れられず全米に広がるヘイトクライム阻止キャンペーンを展開するユースグループの支援に余暇をさいている。www.newheritagetheatre.org

(あべ・かつや、カリフォルニア州サクラメント在住)

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