命のビザ日米でオンライン会議

日本での活動を報告

杉原千畝

 第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人たちにビザを発給し、約6000人のユダヤ人難民を救ったとされる杉原千畝(すぎはら・ちうね、1900〜1986)。彼が残した人道主義の軌跡と現在を語る「日米を結ぶ『命のビザ』オンライン会議」が11月12日開催された。主催したのは国際ビジネスマンクラブ(International Businessman Club、略称IBC)で、杉原を当時支えた日本人に関する著作『命のビザ、遥かなる旅路』(交通新聞社刊)と杉原以外の外交官のユダヤ人救出に焦点を当てた『続命のビザ、遥かなる旅路』(パレード刊)を執筆したフリーライターの北出明さんが呼びかけた。

 会議の冒頭、ニューヨーク総領事の山野内勘二大使がメッセージを寄せ、ロンドン在住の梶岡潤一監督によるドキュメンタリー映画「杉浦千畝を繋いだ命のビザの物語」が上映された。このあと日本国内にある杉浦千畝ゆかりの地とも言える4施設の代表がそれぞれの活動や歴史を紹介した。

 杉原の出身地である岐阜県八百津町の金子政則町長が2000年に開館した「杉浦千畝記念館」について現在までの活動を紹介、中でも「決断の部屋」という執務室を再現した部屋では来館者が机で自らの決断をできるという趣向も紹介した(7面に記事)。

 続いてポーランド孤児・ユダヤ難民が上陸した唯一の港・敦賀港について渕上隆信市長が解説し、明治時代から昭和初期にシベリア鉄道を経由して日本とヨーロッパを結ぶ国際港として発展した同港が、第二次世界大戦中には多くのユダヤ難民の受け入れ港となったことや当時の港街の建物を復元した人道の港 敦賀ムゼウムの様子などを披露した(9面に記事)。

 続いて愛知県教育委員会の稲垣宏恭教育管理監が、杉原の母校の伝統を受け継ぐ愛知県立瑞陵高等学校の顕彰施設をビデオで解説した。ここには、「杉原千畝氏とユダヤ人家族のブロンズ像」、「カウナスとプラハのビザリスト」といったメインモニュメントに加え、杉原氏からビザを受けたユダヤ人のその後の人生、彼らを支援した人々、第五中学校時代を始め、杉原氏の生涯などを紹介する29枚のパネルを展示している(9面に記事)。最後に沼津市の長興寺住職、松下宗柏さんが杉原の妻、幸子夫人の誕生地が沼津であったことを紹介し、「新型コロナ収束後には、杉原サバイバーの子孫をはじめ海外からの観光客が立ち寄るスポットとなるよう努力したい」と述べた。顕彰碑設置場所については頼重秀一沼津市長が協力し、港口公園を選定したという。

天草丸で乗員を世話したJTBの大迫さん(北出さん提供)