SAITO LAW GROUP 法律事務所 代表 弁護士
齋藤 康弘さん
日本人では希な米国での訴訟弁護士だ。企業訴訟とホワイトカラー犯罪弁護を専門としている。慶應義塾大学法学部法律学科を1989年に卒業と同時に、ニューヨークのセント・ジョーンズ大学法科大学院(JD)へ留学し、2年後修了を経て連邦裁判官ロークラーク(ニューヨーク西部地区、1992年から1994年)となる。1人の連邦裁判官の補佐官のポジションに届く願書は全米のトップレベルの学生から500通に上る。そのなかから任官された。通常は米国市民権保有者のみに許されるポジションに特例で任官したことが、齋藤さんにとってはのちに米国における法曹界で生き抜く大きな原動力となったという。
退官後ニューヨーク大手法律事務所の訴訟部パートナーや訴訟プラクティス部門リーダーを歴任。企業訴訟・不祥事対応および企業の米国顧問に特化した齋藤ローグループ法律事務所を2011年に設立して独立した。齋藤さんは、企業の重要な訴訟案件において実際に法廷に立って弁護を行ってきた数少ない日本人弁護士だ。
これまでに代理対応した案件は、山一證券破綻事件、ヤオハン破綻事件、足銀破綻事件、アーサーアンダーセン破綻事件、グローバルクロッシング破綻事件、リーマンブラザーズ破綻事件、グーグルブック和解事件(日本の全著作権利者を代理)、オリンパス事件、米国イラン核合意人質交換関連事件などを含み多数。
米国企業顧問として、法的リスク管理や内部統制・コンプライアンス・規制遵守のアドバイスを頻繁にするほか、各種コーポレート案件における代理経験も豊富。講演依頼も多く、最近では企業への法務セミナーに加え、ニューヨークのロースクールや弁護士会でトライアル(審判)での弁論技術を教える講師も務めている。母校ロースクールでは奨学金を設立し後進を育成するなど社会貢献にも余念が無い。
齋藤さんが就いた2年間限定の連邦裁判官の補佐官は、米国の訴訟弁護士の中でもエリート中のエリートが通る王道で、大手企業訴訟のメイン部分を司り、いずれは大手法律事務所のパートナーの席が約束されたコース。「考えてみれば、いまの自分が数々の大きな訴訟を担当できたのも、もとを辿れば、あのとき連邦裁判官が自分を採用してくれたからだと思いますね」という。出会いに恵まれた人だ。四大監査法人の中央青山監査法人の創業者、村山徳五郎氏からも絶大の信頼を寄せられ、日本企業が巻き込まれた様々な事件の日本側を代表する弁護団のリーダーも務めている。
「我が社が司法省に起訴され、関係者が逮捕されました」「数百億円の賠償金を求めた訴訟を起こされました」ーー。法律というものは時に残酷である。どうにも逃れ難い困難に人を陥れることがある。「わが社は破綻するのでしょうか」「私は投獄されるのでしょうか」齋藤さんはこの数十年、そのように嘆き心配する大手日系企業のクライアントを代理し弁護してきた。
法科大学院を出て法曹の世界で生きる道は3つある。人を裁く裁判官になる、権力を持って人を糾弾する検事になる、訴えられた人の権利を守り擁護する弁護士になることの3つだ。「自分は人を裁いたり、権力を持って糾弾したりっていうのは向いてないんでしょうね性格的に。困っている人を救いたいということが根底にあるんですね」と話す。故郷秋田の進学校秋田高校時代はエレキバンドを作り慶大時代もバンド演奏に夢中になり、エレキの若大将で生きていく予定だったのが、日本で就職もしないでアメリカへ。「こっちで落第したらみっともなくて帰れないですからね、失恋してアメリカに来たんでなおさら。生まれて初めて一生懸命勉強しましたね、あのころは」と振り返る。趣味は休日に乗るオートバイ。 (三浦良一記者、写真も)