仙石紀子さん逝く

舞台芸術通して日米交流に尽力

 演劇プロデューサーの仙石紀子さんが、9月30日、ニューヨークの病院で亡くなった(享年83歳)。手掛けた作品は、蜷川幸雄演出「Ninagawa マクベス」、野田秀樹演出「彗星の使者」BAM公演、セントラルパークでの梅若六郎による薪能など多岐にわたったほか、米国のブロードウエー作品を日本に紹介した。

追悼 日米交流を舞台芸術で実現

演劇プロデユーサー仙石紀子さんの軌跡
ラ・ママ実験劇場の存続危機に支援活動

 演劇プロデューサーの仙石紀子さんが、9月30日午後3時すぎニューヨーク市の病院で永眠した。 

 蜷川幸雄演出「王女メデイア」、「Ninagawa マクベス」、野田秀樹演出「彗星の使者」、セントラルパークでの梅若六郎による薪能など、数々の日本の舞台をプロデュース。目の肥えたニューヨークの人々に日本の古典芸能や先端芸術を見せたいという思いは、「オズの魔法使い」「ビッグ・リバー」などブロードウエーの秀作を日本に紹介する情熱に勝るとも劣らなかった。 

 1939年、名古屋生まれ。中高生のころからの芝居好き。南山大学を卒業した1963年、縁あって劇団四季の浅利慶太に出会う。日生劇場のこけら落としをはじめ、同劇団の実験的な作品や海外からの招聘に制作部として携わるうちに〈本場体験欲〉が高まり、米国留学を決意する。組織の支えなき身でアメリカの地を踏んだ瞬間、「自由」を実感。その重みを感じながら、開放感に包まれたという。 

 1968年からニューヨーク大学演劇科の特別研究生に。劇場に通う毎日を送る。1971年から劇団四季のニューヨーク事務所長を務めたのちの1980年、満を持してインター・アーツNY社を創設。舞台を軸とした文化芸術のプロデューサーとして、アーチストのエージェントとして、日米文化のハブ的役割を果たした。 

 劇団四季時代からの盟友、ヨシ笈田が演出・出演する芝居やオペラの「追っかけ」を自認。ホンモノを体験するためにミーハーに世界中を飛び回った。ふたりの息子を育て上げたシングルマザーは、テレビ・映画のコーディネーターとしてアメリカ全50州のうち48州を訪れてもいる。 

 イーストビレッジにあるラ・ママ実験劇場の財政危機時にNPO法人を立ち上げ支援した行動の人。教わること・教えることに労を厭わなかった好奇心のひと。美しいもの、心あるもの、共鳴できるもの=芸術こそが、国を超えて私たちに力を与えてくれるーー。

 日米の文化が〈接続可能〉であることを50年前から信じ続けた自由人の意思は、彼女と接したすべてのひとに受け継がれている。(カタガミ・ユーコ)

 葬儀は10月9日(日)午後1時から4時まで、アッパーイーストサイドのフランク・E・キャンベル葬儀場(マジソン街1076番地、81丁目)で行われる。詳細は www.frankecampbell.com

(写真左)ラ・ママ実験劇場の創設者エレン・スチュワートと courtesy of the La MaMa Archive