女子柔道の母称えて

道路標識を手にする夫の量平さん(左から3人目)と娘のジーンさん(隣)ら関係者(10月27日、写真・三浦良一)

故・レナ・ラスティ・カノコギさん故郷の道路名に

ブルックリン
コニーアイランド

「女子柔道の母」と呼ばれ、女子柔道をオリンピック正式種目とすることに尽力し、柔道を世界に普及させることに貢献したレナ・ラステレィ・カノコギさん(故人)の名前にちなんだストリート名が生まれ故郷ブルックリンのコニーアイランドで10月27日除幕された。カノコギさんは、2008年に日本政府からその功績により旭日小綬章を受章している。当日は家族や弟子、全米柔道連盟の代表、ニューヨーク日本総領事館から100人以上が集まり、同氏の栄誉を称えた。

 カノコギさんは、米国では女性が柔道の指導を受ける場所がなかった時代に、男性に混じって柔道を始めた。1961年(昭和36年)にYMCA主催のニューヨーク州選手権の団体戦に出場し、優勝に多大の貢献をしたが、女性であることを理由に、メダルの返還を余儀なくされた。その後、同氏は講道館に入門し、研鑽を積んだ結果、外国人で女性としては初めて、大道場における男子との稽古を許された。
 帰国後、柔道家で夫である鹿子木量平さんと共に、生まれ故郷のブルックリンで「キュウシュウ・ドウジョウ・コミュニティーセンター」を開設し、柔道を通じた青少年の育成に貢献した。
 同氏は、女子柔道を世界に普及させるための第一歩として、世界選手権の開催を提唱し、第1回大会をニューヨークで開催することが国際柔道連盟により承認された。同氏は開催のための資金集めに奔走し、自宅を抵当に入れるなどした結果、1980年を機に、同氏を中心とする関係者の強い働きかけ、柔道の家元である日本柔道界からの協力により、女子柔道は1988年のソウル大会で公開競技として、92年のバルセロナ大会で正式種目として採用されることになった。同氏は、これらの功績により、女性スポーツ団体の殿堂入り、ヘンリー・ストーン賞、国際柔道連盟銅メダルなどさまざまな表彰を受け、日本政府からは2008年秋の叙勲で旭日小綬章が授与された。翌年74歳で他界している。

 式典では、ブルックリン第47地区議員のマーク・トレガー議員、全米柔道連盟会長のデビン・P・コーエン氏、米国柔道連盟最高経営責任者(CEO)のキース・ブライアントさんらが祝辞を述べた。日本政府を代表してニューヨーク日本総領事館の村上広報センター長が、「日本の武士道を世界に広めてくれたことに日本は大いなる借りができた」と挨拶し、大きな拍手を受けた。
 夫の量平さん(81)は「彼女が、もしいまこの道路標識を見たら、きっとニッコリ笑うだろう」と話した。標識は、サーフ街と西17丁目交差点に設置されている。大雨だったため、室内での除幕式となったが、標識は、猛烈な風雨の中で毅然として立っていた。