美容室NYで半世紀、画廊オーナーの顔も

ミチ・ビューティーサロン、ギャラリー60NYCオーナー

田原みちさん

 来年2月に、ニューヨークで美容室を営んで50周年を迎える。現在、レキシントン街近く60丁目の「みち美容室」を中心に、ミッドタウンイースト、ロウアーイーストサイド、ニュージャージーに計4店舗の美容室を経営している。12月には、60丁目の美容室内にこれまで仮設アート展示場として使っていた壁や場所を改装して本格的なギャラリースペースを作り「ギャラリー60NYC」として営業を開始、美容サロン経営者のほかに画廊オーナーの新たな顔も加わった。

 田原さんが来米したのは1972年。日本では雑誌、テレビCMのヘアスタイリストとして活躍し、東京のスタジオで一緒に仕事をしていた須賀勇介さん(故人)がニューヨークへ旅立ったことがニューヨークに目を向けるきっかけとなったという。74年に日本クラブ地下の美容室で働き始め2年後に独立。美容師のほかに、もう一つ大事なニューヨークでの仕事となったのが着物の着付けだった。来米した当時のテレビドラマでの着物は、中国、韓国、日本のごちゃ混ぜの時代だった。それが残念で気に入らなかった。天皇皇后陛下ご結婚の時には、米国のテレビ局での日本の花嫁のデモストレーション、ABC、NBCの全米ネットで着物、着付けの紹介、ボタニックガーデンの桜祭りの着物ショーなど引っ張りだこで、チャンネル1で「New Yorker of the week」に選ばれたことが「私の人生の中で一番嬉しいことでした」と振り返る。「日本の文化をきちんと紹介するために頑張りましたよ。今では、若い人たちの活躍もあって、本当の日本の着物、綺麗な着付けをニューヨーカー達もお寿司と同じように理解してくれてますね。私の着付けは、長い間大使夫人達のささやかなヘルプをさせていただけたことでしょうか」と話す。

 画廊開設のきっかけとなるアートとの関わりは、ニューヨーク東京姉妹都市の日米文化交流事業として1996年にスタートした陶芸コンテスト。主催者として来年で24年目、通算20回目の開催を予定している。日本クラブでの同コンテストは今後も続けていくが、ギャラリー60NYCは、貸し画廊として若い作家たちのNYデビューを応援できるような存在を目指したいという。だがギャラリーはあくまで副業で、本業は美容室の経営という軸足はぶれることがない。「私は美容師が大好きなんです。死ぬまで髪結でいたいんです」と笑顔を見せた。

 (三浦良一記者、写真も)