歌声、時空超え秋のNYに響く

バーチャルでNY公演した歌手
八神 純子さん

 日本クラブは10月23日夜、秋のスペシャルイベントと銘打ち「八神純子バーチャルディナーショー」を開催した。当日は八神の大ヒット曲「みずいろの雨」を始め、「Mr.ブルー 〜私の地球〜」など5曲を披露し、日米の時差を超えて東京の朝スタジオからライブで1時間生出演した。

 ショーでは、歌を挟んで歌手デビュー当時のエピソードや渡米、アメリカ生活、結婚、子育て、2011年の東日本大震災を受けて同年5月に自身で企画し、被災地となった岩手県の陸前高田市や宮城県の南三陸町での支援活動「トランス・パシフィック・キャンペーン」への思いなどを語った。公演後は、参加者からの質問にも丁寧に答えて、バーチャルとは思えないほどのリアル感あるやりとりが双方向でなされた。参加者は、八神の美しい歌声、そして日本クラブ・シェフの特製弁当を家庭で、オフィスで、思い思いの場所で食べながら秋の夜のディナーショーを楽しんだ。

 八神は1978年「思い出は美しすぎて」でプロ歌手としてデビュー。「みずいろの雨」「ポーラー・スター」「Mr.ブルー 〜私の地球〜」「パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜」などの数々のヒット曲を持つ。デビュー3曲目の楽曲だった「みずいろの雨」が当時の歌謡番組「ザ・ベストテン」のスポットライトのコーナーで紹介され、それがきっかけでベストテン入りしてメジャー・ヒットにつながったエピソードや、人気歌手として活躍する中で、心の中では自分の歌声に何かが欠けていると自問するようになり、「バーバラ・ストラザンドやダイアナ・ロスにあって自分にないものは何か、これはアメリカに一回行かなきゃだめだ」と一念奮起して渡米した経緯などを披露した。

 その後、冬と夏に帰国して国内でリサイタルはしていたが、2001年9月、米同時多発テロがあり、アメリカを離れるのが怖くなり、子育ての時期とも重なりその後、10年間現役歌手生活を休んだ。しかし「歌わない自分は、私らしくない。どんどん間口が狭くなっていく」。そんな思いに駆られていた2011年3月11日、東日本大震災が起こった。5月には「トランス・パシフィック・キャンペーン」を自身で企画し、被災地支援活動を後継続して行い、2013年3月11日、東北支援チャリティーシングルCD「翼/かれ木に花を咲かせましょう」、また同年にアルバム「Here I am 〜Head to Toe〜」、2016年アルバム「There you are」を発表している。

 被災地で初めは、自分の一番の大ヒット曲「みずいろの雨」を歌うことにためらいがあって歌わなかった。歌詞の中に「崩れてしまえ」「流されてしまえ」というフレーズがあったからだ。会場で津波に遭った被災者が言った。「どうしてみずいろの雨を歌わないんですか。みんなファンだけどCDを流されてしまってもう聞けないんですよ」。その言葉を聞いた瞬間、「みずいろの雨」は、八神の中で懐メロではなく「今を生きる歌」として蘇った。そんな思いも語ったNYライブ。八神の歌声がニューヨークの秋の夜空に大きく、そして力強く響いた。新型コロナウイルスの感染拡大に耐えるニューヨークの参加者、当日70人とその家族の胸に、熱い思いが染み入るように伝わった感動のライブコンサートだった。

(三浦良一記者、写真は本人提供)