ジャズピアニスト浅井岳史のロンドン旅日記(5)
相変わらず夜は涼しくよく眠れる。やっと時差ボケから解放されて体が正常になってきた。今日は快晴、朝食を作ってあげることになり、ベーコンエッグを美味しくいただいた。モニカは歌いながらメイクをして、2人で気持ちよく郊外のスタジオに出かけた。なんだか彼女はハイになっていて、たくさんの写真を撮って喜んでいる。
その名もポーキュパイン・スタジオ、ハリネズミのような顔をした(笑)優しい紳士が出迎えてくれた。なんと50年代からやっているスタジオだという。まだマルチトラック・レコーディングが出現する前だ。 今日はビッグデーである。まず、朝10時から日本のFM局の番組の収録。電車が遅れて思う時間にスタジオ入りできなかったが、モニカと2人、カメラの前でインタビューに答える。日本語なので、もちろん通訳をしながらであるが、私の曲にモニカが歌詞をつけてニューヨークとロンドンでレコーディングした2曲と私のソロピアノを1曲かけていただいた。日本の皆さんにモニカと私のメッセージが伝わっていることを願う。
そしてレコーディング。ロンドンでレコーディングするには、まずロンドンでスタジオを選ばなければならない。モニカが探してピックアップしてくれた候補の中から、ピアノがスタインウェイということで私の希望でこのスタジオが選ばれた。と言っても、スタインウェイならなんでも良いわけではないが、このスタジオのスタインウェイはなかなか良い。モデルAという、自分のお気に入りのBよりも一回り小さいピアノである。鍵盤は確かに現代のものとは違うが、チューニングも良いし、エンジニアのニックのマイクが非常に良いリバーブを醸し出してくれる。久々にピアノの音からインスパイアされ、それが演奏内容を決定していった。良いシェフは素材を見てから料理を決める。その素材を最大限に活かすからであろう。残響豊かなそのピアノで、モニカの透明な声を最大限に生かすように弾いていった。
そのモニカは極度に緊張していたが、私は最近、年の功であろう、淡々と曲をこなして非常に良いレコーディングになった。私の曲が2曲、彼女の曲2曲。自分が書いた曲にフランス語で歌詞が作られ、ボーカリストに歌ってもらう、それがロンドンでレコーディングされる、なんという名誉なことか。メンバー全員もレコーディングをモニター室で聴いて喜んでくれた。モニカは嬉しくてエンジニアとダンスまでした。彼女の無邪気さが可愛い。
午後3時、スタジオを出ると陽がさんさんと照っていて、まるで南フランスのようだ。が、湿度が低くて非常に気持ちが良い。インタビューとレコーディングでそれなりに疲れていたのであろう、流石に今日は街に観光に行く気にはならないので、家に帰って午後をニ人で過ごした。家に着いたらモニカがいきなり私に面と向かって、「来てくれて一緒にツアーしてくれてありがとう」と改めて言われてしまった。でも、お礼を言いたいのはこちらである。ツアーというものは、食べ物も宿泊も交通機関も思うままにいかない不慣れな環境で、繊細な音楽を演奏しなければならない。これははっきりいってかなりの精神的な負担である。が、今日が素晴らしいレコーディングセッションとなったのは彼女のおかげだ。本当に感謝。
明日のコンサートの曲順を決めなくてはいけないが、途中で眠たくなりソファでうたた寝である。無理もない。開け放した窓から入る風が気持ちよい。ロンドンは良いとこだ! ロンドン子のミュージシャンは生粋のイギリス英語を喋る。時々、アメリカ英語と違っていて戸惑うこともあるが、仕事には全く支障が無い。外国なのにこうして同じ言葉で仕事ができる。日本では考えられないことだ。こうして世界中に音楽家の輪が広がっていくことに感謝の気持ちが込み上げてくる。
昨日からフィッシュ&チップスが食べたいと言い続けていたら、今夜はモニカの旦那さんが大きなフィッシュ&チップスを買って来てくれた。これぞブリティッシュという大きさの丸ごとの魚のフライにてんてこもりのポテトが乗っていた。ビタミンはどうするのかって? でも大きな魚とフライドポテトを食べてお腹はいっぱいになり、9時でも白夜のように明るいこのロンドンでゆったりとした。
明日はいよいよコンサート、生まれて初めてのロンドンでの演奏だ! 何が来ても音楽を楽しんで、お客さんと楽しいひと時を過ごそう。(続く) (浅井岳史/ピアニスト&作曲家) www.takeshiasai.com