月が変わり早今年も神無月、日が暮れるのが早くなってきました。はい、秋めいて参りましたね。Autumn in New York… Why does it seem so inviting…..でございます。
ニューヨークでは日本の様にドラマティックな衣替えをすることはあまりないです。昔、季節の変わり目に服をまとめてクリーニング店に持って行くと、”おまえ日本人だろ!?”と言われたものでした(笑)。こちらでは一般に私たちほど季節ごとに服を細かく分けませんし、冷暖房も日本より強めですよね。おそらくこちらの皆様は私たちより暑さが苦手で、逆に寒さに強い体質なのかもしれない、と思っているのですが。
さてさて、スーツがビジネスの場において以前より着られなくなっている、そのことは事実ですね。男性、女性を問わず言えることかと。
今回以降、近未来のスーツについて、どういう役割を負っていくのか、今までとは違うのかetc. 少し触れてみたく思います。
まず、振り返ってみますとスーツが世界中に広まって行ったのは20世紀中盤以降、つまり第二次世界大戦以降なんですね。最大の理由は資本主義社会が世界中に広まって行き、主義主張、価値観を同じくする人たちが世界中のビジネスの場でスーツを着る様になって行ったことかと。
今までに何度か触れているかとは思いますが、スーツのルーツとは詰め襟の軍服にあり、と。実は19世紀まで詰め襟の軍服こそが国家エリート最上級であったのです。なぜならば騎兵の軍服であったから。エリザベス女王の国葬、御覧になられて御気付きかと思いますが、古代ローマ以来、国家エリートその最高峰は騎兵であり、騎兵こそがヨーロッパ貴族のルーツとなり、皇帝や国王を守りつつ、いざ戦争の際は国防の要として先陣を切って戦いの最前線で踏ん張り続けたのです。その名残の一つにヨーロッパの超高級ブランドその全てが馬、馬具に関係し、フェラーリやポルシェ等スペシャルな自動車のエンブレムにも馬が描かれておりますね。
騎兵の軍服は風を受けてスピードが鈍るのを防ぎ、かつ首回りを保護するという理由から詰め襟であったのですが、平和時においても王族の警護、儀仗、パレードな極限の緊張を強いられるon dutyの状況から、At ease!!休め!!の掛け声に始まってoff dutyの状況になりますと、何が出来るかと言いますと、まず詰め襟のホックを外しますよね。次は上着の前身頃の第1ボタンを外し、も少しリラックスしたく、第2ボタンも外します。胸周りが楽になりました。さて、その時残りのボタンは幾つ?例外もありますが、詰め襟の上着のボタンの数はほぼ5個。今、2個外しましたね、残りは幾つ?はい、3個ですね。これが前のボタンの数が3個のジャケット誕生秘話?でもないのですが、ま、そういうことなのです(笑)。
も一度要旨を書きます。本来スーツとは、スーツの上着とはフォーマルな服なのではなく、大人の男性が寛ぐ際に着用する、まあまあキチンと紳士に見える普段着と言って良いモノで、決して堅苦しいフォーマルな装いではなかったのです。
こうしたスーツ、背広服のオリジン、当初はソファーに座ってリラックスして着ることを目標としていたのでLounge Suit等と称され、出来上がったのは1860年頃と言われ、さらに欧米において広まり出したのは1870年頃、つまり日本の明治維新のタイミングであった、ということなのです。
ですから、スーツ、背広服とは本来男性にとってキチンとは見えてもリラックス出来て、適度なカジュアル風味がある服だったということなのですね。
今日、スーツ=背広がまた昔のような位置付け、つまり男性がリラックス出来るおしゃれ着となって行く、ある意味、先祖帰りしていくのではという近未来が見えてきた様に思うのです。それではまた次回。
けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス.カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。