「遠くとも一度は参れ善光寺」

長野県長野市 善光寺

 長野を代表する観光名所で、本堂が国宝に指定されている善光寺。江戸時代から人々の間で「遠くとも一度は参れ善光寺」と語り継がれ、一生に1度お参りするだけで極楽往生が叶うといわれているお寺だ。そんな善光寺は、まだ仏教の宗派ができる前(約1400年前)に開山されているため、どこの宗派にも属さない無宗派ということもあり、誰でもお参りできる門戸の開かれたお寺として古くから広く人々の信仰を集めてきた。日本最古の仏像といわれる一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)を本尊としてご利益が多いことで知られていて、コロナ禍の今年はともかく例年だと年間600万人以上が参拝するのだという。

 仁王門を抜けてにぎやかな仲見世通りを過ぎると、大きな山門が見えてくる。手水で清めてお参りをしてから靴を脱ぎ152畳ある本堂に座って心を鎮め、金色に輝く来迎二十五菩薩像や、優しいお顔をした地蔵菩薩・弥勒菩薩を眺めた。見ることはできないがここにある瑠璃壇の最奥に御本尊が祀られている。ここでぜひ体験したいのが「お戒壇巡り」だ。瑠璃壇の脇から地下へと続く急な階段があり、瑠璃壇の床下にある真っ暗な回廊を手探りで歩き、戻ってくると生まれ変わることができるというもので、死の疑似体験なんだとか。階段を下りて2〜3メートルも進めば完全に光が遮断されて何も見えず、暗さに目が慣れることもなく、とにかく壁づたいに触れた指だけを頼りに進む。あまりの漆黒の闇に心臓がドキドキしてくる。後から入ってきた女性が私の背中に少し触れているが、この暗闇に果敢に立ち向かっているという連帯感からか、それがちっとも嫌でなかったくらいだ。

 この回廊の醍醐味は、途中に仏具の独鈷(とっこ)の形をした「極楽の錠前」があり、これに触れることができれば晴れて極楽往生が約束されるというもの。暗闇の恐怖に打ち勝ち何が何でも錠前に触れるぞと意気込んでいたのだが、とにかくこの闇から1秒でも早く抜け出したい気分ですっかり忘れて出口にたどり着いてしまった。これでは極楽へは行けないじゃないか。係員にもう一度入っていいかを確認して2度目の挑戦で無事に錠前に触れることができた。私の前にいた若いカップルが「ここにあるぞ」と錠前をガチャガチャさせていたのが大きな助けとなったのだが。回廊の長さは45メートル、壁が円を描くように丸いところがあったり、どの方向に進むべきかわからないので想像以上に長く感じ、このまま明るい場所に戻れないのではないかと不安がこみ上げてくる。自分を試す試練として、暗闇エンターテインメントとして、そして極楽往生のため、お戒壇巡りはおすすめする。

 お戒壇巡りの緊張から解放されたらお腹がすいてきたので、善光寺を出て信州グルメが揃う仲見世に戻る。山門周辺の蕎麦屋で手打ちそばを食べてから、信州土産の定番とも言える七味唐辛子の老舗「八幡屋礒五郎」の本店でレトロなパッケージの商品を選んだり、野沢菜や切り干し大根などが入った焼きたてアツアツのおやき、味噌風味のソフトクリームを食べ歩いた。ソフトクリームに七味唐辛子を少しかけるととてもおいしいことも学んだ。

 さて、「牛に引かれて善光寺参り」という民話をご存知だろうか。【むかし、欲深くて信心のないおばあさんがいた。ある日、川で布をさらしているとどこからか現れた牛がその布を角に引っ掛けて走り去ってしまった。慌てたおばあさんは牛を追いかけ、走りに走って善光寺にたどり着いた。ところが牛の姿を見失い、日も暮れたので仕方なく善光寺の本堂で夜を明かすことにした。するとその夜、夢枕に如来様が立ち不信心を諭した。翌朝目覚めたおばあさんは今までの行いを悔いて信心深くなり、その後たびたび善光寺を参拝したため、ついに極楽往生を遂げた】というもの。「思いがけない縁がきっかけで今までとは違う方向に導かれ、それが良い結果へと繋がる」という意味がある。そんな物語が生まれた善光寺、知れば知るほどその奥深さに魅了される場所だ。後で考えたら、善光寺参りをしたあの時が人生の分岐点だった、と思うこともあるかも知れない。

 また、善光寺では7年に一度、御本尊の分身である前立本尊の御開帳が行われ、この時に本堂前にご本尊との縁を結ぶ「回向柱(えこうばしら)」と呼ばれる巨大な木の柱が立つ。これに触れることができれば前立本尊に触れたと同じご利益があるという。次回の御開帳は本来なら来年4月の予定だったが、新型コロナウイルス感染防止のため延期され、2022年4月から5月まで開催されることが発表されている。御開帳の延期は現本堂が建立された1707年以降、初めてのことだ。いまは日本に里帰りしてもなかなか国内旅行を楽しめる雰囲気ではないが、いつかこの世界規模の危機が終わったら、一生に1度の機会だと思って、善光寺を訪ねてみてはいかがだろうか。 (本紙/高田由起子)