生きづらい女性の素顔

蝶々・著
双葉社・刊

 週末、死にたくなるというあなたへ。日本に生きている女性、若きも中年も、得体のしれない不安を抱きながら。高額所得者であろうと、低所得にあえぐ人であろうと、ここで描かれている女の人たちの心の葛藤とつきあげてくるやり場のなさ。それはどうやら、年輩も若い方も日本の社会の中で、女性としての生きる自立した自信がもちづらい日本の社会制度にあるようだ。
 不安でむなしく愛がほしい女のひとたち。黙っていても何も始まらないのは分かっていても、自分にだけではなく、だれかさんに囁いている優しい言葉「お疲れさま、そんなに頑張らなくっていいよ、そのままでいいんだよ、ありがとう」というような優しい言葉があるだけでハンカチで目頭を押さえてしまう女性のなんとも多いのにびっくりした癒しの講演会もあった。かけられる言葉ひとつで精神の落ち着き具合がまったく異なってくる貴女。恋愛カウンセリング、生活コーチング、似たような境遇どうしでの掲示板でのチャット。身も心も疲れ切った「息してるだけの女子」が心地よくリラックスして生きるための愛の言葉の数々を元銀座ホステスの著者が綴る。
 女性であることの閉塞感は、日本独特のものなのだろうか。世界の中には、女性は人前に出るときに素顔を見せてはいけないとか、車の運転はできないというような、いまの日本人から見るととんでもない男尊女卑がまかり通っている国もこの地球上には未だにあるわけで、日本で日本人として生まれた日本の女性は、世界の中の女性のなかでは生れながらにして人権と生きるための言動の自由も保障されているなかでの、かなり幸せな中での「なんといえない閉塞観」を幸せの対極の心境を味わっているのかもしれない。
 翻ってニューヨークの日本人の女の人たちは、人前で見る限りみなかなり元気だ。しかも、キャリアがある。日本の男の人たちは、留学生の場合は多くは企業の研修留学で、自腹で留学している男性はあまり見かけない。方や、女性は、日本での大手企業のキャリア職を退職して捨て去ってまでして「自分のやりたかったことを実現するため」にやってくる人がかなりいる。しかも資格を取って、手に職がある人が多い。美容師、弁護士、公認会計士。ニューヨークの街を歩いていると、向こうからやってくる人たちのおでこに皆「わたしは〜になりたいです。〜をしたいです」と書いて歩いているのが目に見える。NYはやりたいことがあればやらせてくれる、上手くできれば拍手喝采、できなかったら「またね」だが、その「またね」は「もう来なくていいよ」の「またね」ではなく、「もっと力をつけてまた挑戦してみて」のまたねなのだ。
 やり直しがきく街ニューヨーク。それができずらい東京。失敗が怖いから冒険はしない東京。やってだめだったら、それは、なかったことにしてもらうNY。
 生きづらさは生きる場所や街にもよるのかもしれない。     (三)