今回の自民党総裁選で、小泉進次郎氏が有力視されている。現時点ではまだ情勢は流動的だが、総選挙が総裁選の直後に行われるとすると、「選挙に勝てる旗印」を担ぐというのは自民党の衆議院議員の大原則だ。そう考えると、知名度抜群の小泉氏が有利という見方があるのも不思議はない。
父と子では思想も政策も異なるが、今回の進次郎氏の場合も20年前の父の純一郎氏同様に、改革を前面に打ち出して選挙戦を戦うという点では、極めて類似した姿勢を取っている。ならば、今この時点で2001年に始まった小泉純一郎政権による「小泉改革」について、改めて評価をしておくことは必要であろう。
まず、小泉改革の大きな目玉は郵政民営化であった。国の事業として郵政省による郵便事業があり、そこに併設される形で郵便貯金と簡易保険があるというのは、明治・大正以来の日本の伝統であった。小泉氏は、これに対してまず地方の特定郵便局の局長ポストが世襲されているのは特権的だと批判、この種のグループを既得権益、抵抗勢力として敵視する作戦を取った。更には郵便事業や簡易保険は民間と競争して切磋琢磨すべきであるし、郵便貯金も民営とすることで巨額の個人金融資産を民間の産業活性化の資金に回すことが経済成長に必要だとした。
この郵政民営化について、小泉純一郎総理(当時)は徹底してこだわり、郵政解散と呼ばれる2005年の選挙では反対する議員からは公認を剥奪した。それどころか、その選挙区には刺客を立てて議席を奪うことまでやった。その結果、民営化の法案は可決されて、最終的に3つの民間会社、すなわち日本郵便、かんぽ生命、ゆうちょ銀行が発足することとなった。それから20年以上を経た現在、この3社はどうなっているかというと、必ずしも順調ではない。
何よりも、郵便事業としてはEコマースの直接販売においては全く成功しなかった。外資が節税スキームを享受しながら巨額の資金を投下しつつ小売業を一変させるのを見ているだけの20年と言って良い。日本郵便を含めた国内勢力が対抗するには規制が邪魔をしたし、そもそもEコマースによる小売業と物流の改革を先導するという気概もなかったのである。かんぽ事業についても、競争にさらされる中で迷走している。問題は郵貯で、結局のところリスク選好マネーを創出して経済成長の原資とするという構想は全く結果を産んでいない。
更に「小泉改革」として有名なのは、派遣業法を改正して一般の事務仕事を幅広く人材派遣の対象としたことである。多くの論者が、この改正により非正規労働が広まり、結果的に日本の給与水準が低く抑えられたという評価をしている。これは順序が異なる。派遣労働の規制緩和が起きたから給与水準が下がったのではなく、そもそも日本経済の競争力、付加価値創出の能力が下がったので事務部門の効率化が求められたのであった。
更に言えば、事務部門は本当に効率化されたのではなかった。安価な派遣労働に頼ることで、紙とハンコと日本語に縛られた非効率な業務は温存されたのである。今に至る日本経済の生産性の低さというのは、このためだとも言える。その意味で、当時の小泉改革を主導した竹中平蔵氏のことを、労働者の敵であるかのように糾弾するのはお門違いだと思う。
そう考えると、小泉純一郎政権による「小泉改革」というのは、時代の変遷を受けた必要な改革に成功したとは言えないことが分かる。郵政民営化は改革として上滑りしており、経済成長への寄与は限定的であった。派遣労働の緩和に至っては、日本経済の低生産性を延命したという意味で、守旧派的な逆行であったとすら言える。つまり、痛みを伴う改革を実行したといっても、改革の真の目的を定めて確実に成果を得るという意味では、歴史的な評価として合格点には程遠い。
では、今回の「進次郎改革」はどうであろうか。選択式夫婦別姓に関しては、時代の趨勢に乗るだけで当然の行動であり改革とは言えないし、政策活動費や、旧文通費の改革に至ってはこれまた当然過ぎる話だ。問題は、解雇規制の緩和だ。成功させるには、労働市場の流動化、学び直しの体制づくりなど総合的な施策が必要だ。単に各企業が要員をカットし、多くの職種がブラック化するようでは生産性は下がるだけだ。父純一郎氏の改革とは違い、まさに「ダイレクトに痛みを伴う」だけに失敗は許されないとも言える。その意味で、進次郎氏には純一郎氏の「失敗」に学び、同じ轍を踏まないだけの覚悟と知恵が必要と言えるだろう。
(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)