日米の認知の差を埋める必読書

北丸 雄二・著
人々舎・刊

 ニューヨークで暮らしていても「LGBT(Q+)」のことはよくわからない、いまさら聞くのも面倒だ、と思っている日本人コミュニティの住人は少なくない。けれどニューヨーカーだって30年ほど前までは同じだった。それが毎日毎日ニュースやトークショーや映画や演劇や本やらで自然とどんどん情報が蓄積され、結果、同性婚もOKだし、職場でもゲイやレズビアンをオープンにする同僚は増えた。街なかのカフェやレストランでは同性カップルが堂々と人生を楽しんでいる。この彼我の差はどこで生じてしまったのか?

 93年に新聞社支局長としてNYに赴任した著者は以後フリーランスになって25年間をここで過ごした。LGBTQ+に関する日米の認知の差の広がりをその目で目撃してきた著者は、85年のロック・ハドソンのエイズ死にその端緒を見る。アメリカの恋人とさえ呼ばれたこのハンサムな「異性愛男性」の死は「エイズ」を、そしてそれが纏った「ゲイのこと」を、多くのアメリカ人にとって初めて他人事から「自分に関係すること」にしたのだと説明する。

 その後の米国に起きたことは、私的な悲憤を公的な言語に換えて政治、経済、文化の全ての領域で日々アップデートされる情報の洪水だった。著者はそれを黒人解放運動や女権運動などの先例を引きつつ日本語の特異な言語環境にも触れて縦横無尽になぞりながら、私たち日本人が見落としてきた「もう一つの歴史」を丁寧に描き出してくれる。本書はだから通り一遍な「LGBTとは〜」といった既存書とは違って、人権問題に敏感なアメリカ人たち自身の数十年に及ぶ気づきを遅ればせながら私たちにも自然と追体験させてくれる時間旅行記でもある。

 日本に戻った著者のちょっとした異和感から始まる文章はあくまで平易で優しく、だが時に皮肉も効いて、450ページ近くもありながら最初から最後までぐいぐい読ませる。特派員としての体験や個人的な”ヰタ・セクスアリス”も処処に差し挟まれ、これも内容を他人事から自分事に思わせるのに貢献している。

 ただし、本書の真骨頂は第一部で解かれる「愛と差別」の歴史体験以上に、第二部の「友情」の解き明かしだ。ここでは『真夜中のパーティー』や『ブロークバック・マウンテン』など数々の米国映画やブロードウェイ劇などが日本の名作佳作との比較で解題され、アンドレ・ジッドの問題作『コリドン』まで引用しながら人間という性的存在の「正体」に迫っている。哲学者ミシェル・フーコーの「同性愛とは友情の問題である」というのはどういう意味なのか、そのゾクゾクする思考は最後にカート・ヴォネガットのある名言に辿り着く……読後、この世界が違ったものに映る、不思議な哲学体験でもある。

 日本では大手通販サイトや書店に並び始めて2週間余りで早くも重版が決まったとか。「LGBTQ+」問題に限らず、ニューヨークの「今」にキャッチアップしたい人には最適書だ。 

ライター、悠木みずほ)