日米の安全保障論議、歪みの是正は可能か?

 今年も8月がやってきた。日本にとっては先の大戦の記憶を呼び起こす季節となる。これを否定するつもりはない。加害の記憶と被害の記憶を維持することは、基本的に日本の安全の保障に資するからだ。けれども、79年になろうという長い戦後の時間の中で、日本の安全保障の論議は常に歪んだままであった。世界情勢が不安定化する中で、日本が決定的な孤立や苦境に立たないためにも、このタイミングで本質的な議論をしておきたい。

 特に重要なのは、在日米軍の問題である。NATO見直しを公言してはばからないトランプ氏が大統領に返り咲く可能性から、日本では「もしトラ」論議が盛んだ。つまり在日米軍の費用負担に上乗せ要求をしたり、米軍の撤退をチラつかせて脅されるのではという恐怖である。岸田政権が防衛費の増額を進める理由はこれと関係している。

 問題はカネだけではない。在日米軍は日本にとって本当に友軍と思われているのかという根源的な問題がある。沖縄では基地の経済効果が県の経済を支えている一方で、基地への世論は厳しい。沖縄に関しては激しい戦闘に巻き込まれ、27年にわたる米国による占領と軍政に苦しめられた経験から仕方のない面もある。けれども、関東地方でもヘリが水田に不時着したら批判されるなど、在日米軍イコール危険で迷惑という感情論には抑えが効いていない。

 説明は可能といえば可能だ、日本人の心情には平和主義が根強いので、今でも世界で軍事プレゼンスを維持する米軍に対しては不快感があるということだろう。その奥には、左派も含めて、敗戦や占領への反発といった自覚のないナショナリズムがありそうだ。

 その先にあるのは、どうして在日米軍が存在するのかという根源的な理由である。敗戦経験から重武装を嫌い軽武装を選択した日本は、米国の軍事力に依存しなくては自国の安全を確保できないので、そのような選択をしているというのが一般的な解釈だ。けれども、その奥には屈折した心情がある。左派には国家や国軍への不信があり、自主重武装をすれば必ず自滅するというネガティブな信念のようなものがある。彼らの抱いている、自国が武装することへの不信感ゆえに在日米軍を必要としているという構造もある。

 けれども、こうした心情はテコでも動かせない。そこで、歴代の政権は湾岸戦争のようにカネで済むことはカネで済ませ、イラク戦争の場合は輸送支援と井戸掘りで済むならば、それで済ませるということをしてきた。そんな中で、自衛隊には国民から十分な尊敬が集まっているのかというと疑わしい。

 一方で、自衛隊や在日米軍の応援団であるべき保守派はどうかというと、彼らも問題を抱えている。具体的には歴史認識において枢軸日本の名誉を回復しようという無謀な心情を隠さないことであり、これに加えて必要以上に近隣諸国との協調を壊そうとしたり、核武装論まで口にする勢力がいることだ。こうした姿勢はアメリカの利害と対立するだけでなく、日本を孤立と破滅に追いやる危険思想に違いない。そのような、日本の「保守派」の主張は「在日米軍が瓶の蓋」となる中では、「瓶の中の人畜無害な国内向けの議論」だとみなされ許容されてきた。

 こうした構造の奥にあるのは恐ろしい一つの事実である。それは、在日米軍にとって日本国内には本当の味方は少ないということだ。在日米軍を歓迎する「親米保守」は、心情的には枢軸日本の名誉回復を望み、中国や韓国との関係悪化を厭わず米国のパワーバランスを撹乱する勢力を抱えている。一方で在日米軍を忌み嫌う左派は、自主武装に強く反対することで米軍駐留の原因を作っているとも言える。つまり、在日米軍にとっては歓迎しつつ足を引っ張る勢力と、歓迎しないくせに自分たちに依存している勢力があるだけで、真の理解者はいないことになる。

 この構図は、幸運なことに米国の一般世論には知られていない。日本が武装に消極的なのは、軍事大国化して米国に再挑戦しないので結構だという印象論と、必要なコストを負担しないのならズルいという印象論があるが、そこを踏み出すものではない。けれども、友軍であるにもかかわらず、ヘリが水田に不時着しただけで非難轟々となるような実態が知られれば、早晩大問題になる可能性はある。この点では、「もしトラ」という事態も心配だが、民主党の新世代から反発が上がる可能性も中期的には否定できない。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)