玉置 美智子・著
文藝春秋・刊
「マジソン街に日本人がシャツ屋を出店する? 悪いことは言わない、辞めた方がいい。あんたアメリカ人が銀座のど真ん中に寿司屋を開いたら食べに行くかい? 行かないだろう。それと一緒だよ」。47丁目と48丁目の間のマジソン街の店舗を借りたいと日本から駆けつけたメーカーズシャツ鎌倉の会長、貞末良雄に、恰幅のいいビルのオーナーはにべもなく断った。返す言葉がなかった。だが自信満々のニューヨーカーにも弱点はあった。英国コンプレックスだ。日本人が米国のアイビースタイルを守ったと書いた『THE IVY LOOK』の英国人著者、グレアム・マーシュの推薦状で「そうか、イギリス人が言うのなら」とオーナーは納得し交渉は進展した。
2012年10月30日。前日からハリケーン・サンディーがNYを直撃し、25万世帯が停電、バス、鉄道、地下鉄も全部止まったが39丁目から北側は停電しなかった。47丁目の店は無事だった。午前7時。マジソン店は予定通り開店した。
鎌倉シャツは、その後米国最大の口コミサイトと言われる「Yelp」で5つ星の好評価を得ただけでなく、「GQ」マガジンではベストメンズストア100のスーツ・シャツ部門で世界のブランドと肩を並べるまでになった。鎌倉のコンビニの2階から夫婦2人で始めたシャツ屋は、日本の縫製工場による最高品質のメイドイン・ジャパンのシャツを徹底した中間コストの削減により、求め易い価格で販売することを可能にした。この本は、日本のアパレルメーカーが苦戦を強いられる中、25年で鎌倉シャツを世界的ブランドにした成功物語だ。
しかし2018年8月31日、妻で社長のタミ子が朝出社した会社1階のエレベーター前で倒れた。脳出血だった。一命は取り留めたが重度の障害が残った。
5月に2代目社長に就任した長女の奈名子と実務で支える次男の哲兵らの家族愛と、若き日に妻と働いたVANジャケットという戦後日本のメンズファッションの歴史に大きな影響を与えた会社の栄枯盛衰も描かれているビジネス小説でもある。同時に一人の人間、夫としての良雄の愛と葛藤を描いた感動のノンフィクションだ。(三浦)
(写真左)NY店開店直後、店頭に立つ貞末夫妻(2012年11月3日付週刊NY生活より)