2ドルと友情 ニューヨークの魔法

 財布を開けながら、何かおかしい、と思う。

 カフェでジェネファーと昼食をとった。私はバーガーで、ジェネファーはラップサンドを注文する。私のほうが、2ドル高かった。

 消費税とチップは大して差がないから、その分は折半しよう、とジェネファーが言った。合計で26ドルだったので、もし食べたものが同額なら13ドルずつ、という計算になる。

 中学校までの数学は得意だったはずなのだが、こういう計算に私は疎い。

 ジェネファーが計算して、と私が頼む。彼女の頭の回転は、やけに速い。

 ミツヨのほうが2ドル多いから、ミツヨが15ドルで私が11ドルよ。

 彼女が断言する。

 私は財布をテーブルの上に置き、彼女を見つめて、遠慮がちに聞く。

 ねぇ。食事の差が2ドルで、消費税とチップが同額なら、払う額の差も2ドルのままじゃない?

 ジェネファーは呆れた顔で、首を5回ほど横に振る。

 私がテーブルの上のナプキンを広げ、そこに数字を書き込んで説明する。

 二人の額が同じだったら、13ドルずつでしょう? 2ドルの差なんだから、私が13に1ドル足して14ドル、ジェネファーが1ドル引いて12ドルじゃない?

 ミツヨ、よく見て。二人が同じ額だったら、13ドルずつでしょ。

 そこまでは、私の主張と同じだ。

 でも、ミツヨのほうが2ドル多いから、ミツヨはそれに2ドル足して、15ドル。私は2ドル少ないから、2ドル引いて、11ドルよ。

 なるほど。いや、待てよ。それだと、ふたりの差額は4ドルじゃない?

 当たり前でしょ。ジェネファーはきっぱり言い切る。私は頭を抱える。が、ジェネファーは大手企業の副社長だ。こんな簡単な計算で間違えるわけがないではないか。それに、見よ、この自信に満ちた言いっぷりを。

 アメリカ人に堂々と押し切られると、ジャパニーズな私は、すっかり弱腰になる。

 納得し切ったわけではない。が、わかったわ、と引き下がる。 

 私がクレジットカードで支払い、ジェネファーから11ドルを受け取る。

 Now do you get it?

 もう、理解できたわよね。

 ジェネファーがほほ笑む。

 No. と言えば、こんな簡単な計算がまだ理解できないの、と悲し気に首を10回は横に振るだろう。

 まあ(Yes.)。

 私は首を縦に振る。納得できてはいない。

 よろしい(Good.)。

 ジェネファーは満足気だ。

 これから1週間分の洗濯をしなきゃ、と言って、彼女は荷物をまとめ始めた。

 私はどこかのカフェで仕事をしようと思った。

 ここに残って仕事すれば? 誰もいないから大丈夫よ。それに、誰かいたほうがお客さんも入りやすいだろうから、お店の人も気にしないわよ。

 ジェネファーは私をハグし、店を去っていく。

 ひとりテーブルに残され、私は数字が書き込まれたナプキンを見つめる。再びペンを取り、小学1年生でもすぐに解けそうな計算を、ナプキンに書いては消し、消しては書き、さらに30分間、悩み続ける。

 なぜ、差が4ドルにもなるのか。やはり、おかしいではないか。

 そして、ついに結論に達する。私は正しかった。

 ジェネファーにそう伝えたい。何も1ドルを返してほしいわけではない。

 が、ときにこういう些細なことで、うまく思いが伝わらず、意図してもいない方向へ話が進んでいく、という経験がないわけではない。まして、お金がからんでいることだ。

 わかったわよ。1ドル払えば、いいんでしょ?

 などとジェネファーがへそを曲げて、友情が一瞬で壊れないとも限らない。

 いや、そんなことで壊れる友情なら、それまでのことだ。だが、こんな計算を間違えるなんて、副社長としての沽券に関わるのではないか。ほかの人と食事をしたときに、恥をかくかもしれない。

 私は悶々と、さらに30分間、悩み続ける。

 その夜、私はジェネファーとまた会った。が、2ドルの話を切り出す勇気はなかった。

 私はナプキンを捨てずに、その後、フランス、スイス、デンマークへと渡り、日本に戻るまで、スーツケースのポケットに、破けないようにほかの書類の間にはさんで、丁重に保管しておいた。

 帰国早々、おもむろにナプキンを広げて、夫に見せる。

 夫は腕組みをし、考え込む。そして、15秒ほどで結論を出す。

 食事の差が2ドルなんだから、払う金も2ドルの差だろ。

 さすが、数学に強い日本人だ。

 では、方程式にあてはめて、解いてみよう、と夫がペンを取る。

 方程式が必要か。私は首を傾げる。

 しかし、こんな計算ができないのに、アメリカでは副社長になれるなら、私は社長だ。

 やっぱり、ジェネファーに言うべきね。私が正しかったと。たとえ、友情が壊れようとも。

 夫は首を縦に振らない。

 これが150ドルじゃなくて、よかったね、と笑う。

 差が1ドルではなく、10ドルだったら、ヘソを曲げられようと、友情が壊れようと、迷うことなく伝えていた。

 でも、私が正しかったことを、知らせたいわ。

 夫がにやりと笑いながら、提案する。

 何も言わずに、今度、一緒に食事するとき、彼女より2ドル安いものを頼めばいいんだよ。

 このエッセイは、「ニューヨークの魔法」シリーズ第6弾『ニューヨークの魔法をさがして』に収録されています。

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