その10:地中海へ

ジャズピアニスト浅井岳史のエジプト旅日記

 朝5時半に目覚ましが鳴って急いで起きる。今日はエジプト9日目、最後のコンサート。明日はNYに戻るが、最後のコンサートはここから電車で3時間の地中海沿いの街、アレクサンドリアである。地元の人はここをアレックスと呼ぶ。コンサートは夜7時なのであるが、列車の予約がいっぱいで、ヤミ市で辛うじて手に入れたチケットは早朝の列車しかなかったそうだ。

 朝7時に相棒とラムゼス駅で待ち合わせ。ラムゼス? ラムゼスとは古代エジプトの精力絶倫だった王で、長生きをしたために50人の息子たちのお墓を作ったそうだ。アメリカでは避妊具の名前に使われており、昔ジェイ・レノがネタにしていた。

 地下鉄で駅に向かう。眠いのでぼーっとして乗り越してしまったが、なんとか戻って、例のごとく強烈に歩きづらい道を人混みと絶対に譲らない車を掻い潜って、隣にあるモスクの大きさに感動して写真を取りながらもギリギリで待ち合わせ場所に到着。

 さて、駅にはホームが4本しか無いものの、エジプト6回目の百戦錬磨の相棒にも我々のホームを見つけるのは大変であった。でも面白い。困っていると必ず人が助けてくれる。この朝は、軍服を着た若い男性たちがホームを教えてくれ、それが間違っていたと言ってわざわざ後から修正に来てくれた。ホームでも待っている年配の男性が教えてくれる。しかも私たちにベンチを譲ってくれようとする。

 エジプトの人は非常に親切でお互いを助ける国民らしい。では、あのぼったくりや物乞い、平気で嘘をつく商人はなんなんだろう。お金が絡むと人が変わるのか。

 ホームで待っていると凄い光景が目に入ってくる。車両はボロボロ、窓は傾いて開けっ放し、しかもドアが最初から無くて、人々はまだ動いている電車に乗り降りする。線路の上を思い荷物を持った人達が移動する。これには驚いた。

 私たちが乗る電車もそうなのかと心配していると、流石に長距離だけあって新幹線のようなまともな列車が入ってきた。ちゃんとドアもある。が、この電車、車で走れば2時間の距離を3時間かけて走る。私は勝手に「超低速鉄道」と名付けた。

 エジプトは地図で見ると分かるが、カイロから北は緑のナイルデルタである。カイロを出てしばらくすると砂漠の砂の色が緑になり畑が続く。畑のあぜ道を農夫がロバに乗って移動している。どんな小さな集落にもモスクがあり、天辺に月のマークを掲げた塔にはお祈りを放送するためのメガホンが付いている。モスクの色は緑と決まっているらしい。

 3時間後、「超低速鉄道」はアレクサンドリアに着いた。駅を出た瞬間カイロとは全く違うエジプトがあった。海からの爽やかな風を感じる。街が綺麗で人々が開放的なのだ。なんだか嬉しくなってきた。GPSで会場を探すと、Jesuit Cultural Centerと言うキリスト教の施設は徒歩で10分だ。敷地内では華やかな女子学生と猫が広場で楽しく集う。この街はイギリスの植民地であったはずで、そのためか顔立ちが西洋的な女性が混ざる。ここはみんなが楽しそうなのだ。控え室に案内され、荷物を置いた。夕方4時のサウンドチェックまでかなり時間がある。ランチじゃ!

 相棒と海まで歩く。荒々しいが綺麗な海辺に出た。これが地中海だ。この海の対岸が2週間前まで過ごしていたヨーロッパである。ルイ9世率いる第7回十字軍が南仏から出航し、このエジプトに上陸した。この夏、私は地中海をヨーロッパとアフリカ両側から眺めたのだ。

 お腹が空いていたので、海沿いのレストランに入る。メニューを見るとシーフードが美味しそうだ。早速、魚介類フライの詰め合わせ定食を注文。美味い!アレクサンドリア最高!

 これだけの海辺、西洋であれば一大ビーチリゾートになるはずであるが、ここは海に入る人がいない。相棒は水着は持ってきてはいるが、ここでビキニを着てビーチに出ると大変なことになるという。ふん、2週間前までいたコート・ダジュールではビキニどころかトップレスの女性がたくさんいた。女性がビーチに来て、さっとトップを外す。そういう女性から話しかけられて会話をしながら相手のどこに視線を持って行ったら良いか迷ったことがある(笑)。地中海の対岸で女性の肌の露出度が全然違う。おかしいなぁ。かつては同じローマ帝国であったのに、どこで変わっちゃったんだろう(笑)。

 集合までまだ時間があるので、折角来たアレクサンドリアの観光をしない訳にはいかない。相棒とふたりでUberを使って、砦とローマの劇場跡に行く。プロヴァンスのオランジュと規模は違うがほぼ同じローマの野外劇場跡がある。このエジプトがイタリアやフランスと同じローマ帝国であったと言うことは今さらながら驚愕する。ここからライオンやら何やらアフリカの珍しい動物がローマのコロセウムに届けられたのだ。

 ただ、オランジュは世界中から人が集まる華やかな観光地であるが、ここは夏というのに人がほとんどいない。そして「写真撮ったら撮影料いただきますよ」と言うおばさんが中からじっと私を監視している。あの、まだ入場券買ってもいないんですけど(笑)。入る気を無くしたのは言うまでもない。資本主義ではこれを「販売機会の損失」と言う(笑)。

 夕方に会場に戻る。そこで驚きがあった。今夜の会場は、あのウッディー・アレンの映画「カイロの紫のバラ」の撮影に使われたイタリアン・シアターである。映画のスクリーンから主人公が飛び出てくるあのシーンを今も強烈に覚えている。神様ありがとう!(続く)

浅井岳史(ピアニスト&作曲家)www.takeshiasai.com