少子化の元凶は異常な教育行政

 6月2日に2022年の人口動態統計が発表された。まず出生数だが、2月に発表された年間79万9728人という数字は、実は大甘で、実際はこれを大きく下回る77万747人だった。団塊世代のピークが270万人弱、団塊二世のピークが209万人だったことを考えると、国家の異常事態である。合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの数)も1・26となり、前年の1・30から大幅に悪化した。

 この数字だが、短期的にはコロナ禍の影響と見ることはできる。コロナ禍で披露宴の自粛を迫られて結婚を繰り延べたとか、陽性なら自動的に帝王切開になると言われれば妊娠を先送りする夫婦も多かったと思われる。コロナ禍だけが原因ならば、揺り戻しが期待できるかもしれない。けれども、現在に至っても日本社会では、更なる少子化へ向かって重苦しい絶望感が広がっている。その原因は、教育コストの負担という問題だ。「もう1人子どもを持つことを諦める」理由を問うアンケートなどでは、多くの場合この問題が5割を超えている。

 そこで岸田政権は、「子育て政策」などと称して、一律にカネを配る準備を進めている。だが、その前に日本国内の議論で根本的に欠落している点があるという指摘をしておきたい。それは教育行政が異常ということだ。異常な政策が続いているために、子育てにおける教育費への不安感が、若い夫婦を追い詰め「子どもを産むのを諦め」たり、「2人目はムリ」という絶望へ追いやっている。

 それは、塾社会という問題だ。塾の横行は1970年代に都市部から始まり、現在では全国に広まっている。学校教育だけではカリキュラムについていけない学習困難児をサポートする塾などは、儲け主義であってはならないが、社会的に必要とも言える。同様に、飛び級制度の対象となるような特別な才能を伸ばす塾などにも存在意義はあるだろう。

 問題は現在の中高生にとって、塾へ行くことが必須となっていることにある。まず高校入試だが、普通科の中でも大学進学を前提とするような上位校に入学するには、各県や私学の入試に合格しなければならない。ということは、大学進学を計画している中学生は高校受験のために十分な「受験勉強」をする必要がある。ところが、この「受験勉強」は公立中学では教えてもらえない。教員はその訓練を受けていないばかりか、そもそも教科書を逸脱した「受験勉強」を教えることは禁止されている。そこで、将来大学進学を計画している中学生は塾に行くことを余儀なくされる。

 高校から大学も同様だ。大学に受かるには受験勉強が必要だが、これも塾に行かないと指導が受けられない。一部の医学部などだけではない。明治以降の日本社会を支えてきた国立や私立の一流大学に入るためには、塾に行く必要がある。このように社会的に重要性の増している塾であるが、その塾というのは、文部科学省の所轄ではない。事実上は経産省の所轄となっていて、営利企業が運営することが多く、株式上場している場合もある。教員は無資格で良く、経営は無認可で構わない。

 例外は地方各県で、高校が時間外に教員による「補習」を行い、多くの県ではこの「補習」だけで東大京大をはじめとする難関校に子どもたちを合格させてきた。だが、この「当たり前」の良き習慣も、働き方改革を理由に破壊されつつある。これは塾産業の地方進出と裏表の関係にある。

 つまり、文部科学省は国策として、エリート教育を放棄しており、そのコストを個々の家庭に押し付けているのだ。その結果として、現在の日本では大卒正社員というのが一種の階層となっている。これが世襲され社会の保守化、停滞化を招いていると言えるだろう。何よりも教育コストへの不安が少子化をここまで悪化させてきた。これを異様な国策と言わずして何であろうか?

 対策は簡単だ。公教育における「能力別クラス」を許可し、受験指導を行うことを認める。それだけだ。高校数学「iii」の教科書は公立校では高校3年生にならないと使用できないなどという馬鹿げた規制も撤廃すべきだ。その上で、優秀な塾教師には教員免許を与えて、正規の学校における受験指導を任せれば良い。そうすれば教員不足も解決するであろう。

 こうした問題の本質を無視して、財源の怪しい中でカネを配ることが「異次元の少子化対策」などというのは、笑止千万と言わずして何であろうか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)