ドアマンとの会話 

ニューヨークの魔法 29
岡田光世

 その夏、私はバッテリーパークシティの友人宅にひとりで泊まっていた。友人夫婦のサラとビルがコネティカット州の避暑地で一か月ほど過ごす間、二匹の猫の世話を頼まれたのだ。 

 ここはマンハッタンの最南西に位置する高級住宅地だ。友人のアパートは、ハドソン川に面している。ゆったりしたリビングルームとマスターベッドルーム(主寝室)は、 川側が一面大きな窓になっていて、目の前にハドソン川が穏やかに横たわる。 

 NORWEGIAN DAWN(ノルウェーの夜明け)と書かれた大型クルーズ船が、ゆっく りと通り過ぎていく。週末は白い帆を揚げて、何艘ものヨットが浮かんでいる。向こう岸にニュージャージー州、左手には自由の女神が見える。

 川沿いの遊歩道を、人々が犬を連れて散歩し、ジョギングしている。老いも若きも、 ニューヨーカーたちは元気だ。   

 猫に餌をやると、ノートパソコンとカメラを手に、部屋をあとにした。 

 一階のロビーに出ると、ドアマンが挨拶してくる。 

 How are you this morning? 

 今朝は、お元気ですか。 

 Fine. It’s gorgeous today! 

 ええ。今日はゴージャスな天気だこと!

 私が建物の外を指しながら話しかけると、すかさずドアマンが笑顔で答える。

 Yes. And so are you. 

 ええ。あなたも、ですよ。 

 あっさりと、さわやかに。

 お世辞とはわかっていても、うれしくて、小さな声でサンキューと言ってみる。

 そうそう、荷物が届いていますよ。

 ありがとう。でも、肋骨を骨折したので、持てないの。

 ええ? それはまた、いったいどうして?

 肋骨骨折というと、重症の響きがあるが、コルセットをするわけでもなく、見た目は何ら変わらない。

 ニューヨークに来る一週間ほど前に東京で、スポーツタイプの自転車に乗ろうとして、足を後ろに上げたところで後輪にひっかけ、ハンドルが胸に突き当たった状態で地面に倒れたのだ。それも、礼拝で祈りを捧げ、敬虔な気持ちで教会を出たところで。

 おやおや。じゃあ、私が持っていきましょう。

 We would do anything for you. 

 あなたのためなら、何だっていたしますよ。 

 ありがとう。 

 OK, ma’am. Enjoy the weather. 

 それでは奥さん、いい天気ですから、楽しんで。 

 振り向いた私に、もうひと言。

 くれぐれも、自転車は禁物ですよ。

 このエッセイは、文春文庫「ニューヨークの魔法」シリーズ第4弾『ニューヨークの魔法のさんぽ』に収録されています。https://books.bunshun.jp/list/search-g?q=岡田光世