最悪なダンスのお相手     ニューヨークの魔法

私の場合

 近くの人とペアになってください、というインストラクターの呼びかけで、ラテン系の青年が私の手を取った。

 マンハッタンではときどき、誰でも参加できる無料のダンス教室が開かれる。

 昨年のある夏の夜、四十四丁目辺りのハドソン川の埠頭で行われたタンゴのレッスンに、マリーパットとモンティに誘われ、出かけていった。

 ニューヨークに来たばかりのとき、数回だけソーシャルダンスを習ったことがある。動きがまったく読めず、いつも相手の足を踏んでは、謝ってばかりいた。

 川の埠頭のダンス教室には、百人ほど集まっただろうか。ダンス用のドレスを着ている人もいるが、ふだん着が目立つ。

 まずは、前に立つインストラクターを見ながら、同じようにやってみる。見よう見まねで、何とかなる。盆踊りと同じだ。が、向き合って相手の動きに合わせるとなると、話は別だ。何年も前の記憶がよみがえる。相手の動きが、やはり読めない。踊りというより、足だけでツイスターゲームをしているような感じだ。

 青年は動きが軽快で、私とはレベルが違う。誰かと待ち合わせでもしているのか、時折、遠くをながめながらも、私に気をつかい、目が合うと不自然にほほ笑む。

 やがてラテン系の美女が目の前に現れ、ふたりはしかと抱き合うと、私を残して笑顔で立ち去っていった。

 かわいそうだと思ったのだろう。すかさずモンティが現れ、私の手を取る。そして、彼は踊り、私は踊るというより動き始める。その動きも、モンティのそれとはちぐはぐで、それでも彼は、辛抱強くステップを教える。

 あまりにもモンティが気の毒になり、せっかくの夕べだからマリーパットとふたりで楽しんで、と私はそっとその場を離れた。

 川べりにひとりたたずみ、色とりどりのライトの下で踊る人たちをぼんやりながめていた。湿度が低く、カラッと晴れたさわやかな日だった。

 やがて夕日で空が桃色に染まり、辺りはロマンチックな雰囲気に包まれた。

 と、突然、六十代くらいの見知らぬ男が、私の手を取った。丈の長い色鮮やかな花柄シャツにサングラス、鳥打帽、太いシルバーのネックレスと、ヒッピーの生き残りのような風貌だ。

 男は私の体に手を回し、陽気に踊り始める。マリーパットがモンティと踊りながら、私に気づき、眉間にしわを寄せ、なんでそんなオトコと踊ってんのよ、という顔をして見せる。私も同じような表情を、彼女に返す。男は楽しそうに、踊り続けている。

 私、踊りはうまくないので。

 踊りはうまくない? じゃ、何がうまいんだい? セックスかい?

 今にも逃れたかったが、男がアメリカの大統領についてとうとうと話し始め、機を逸してしまう。

 ジョージ・ワシントン大統領、知ってるだろ? お札になってるあの男だよ。

 なるべく彼から体を離そうと必死で、ワシントンについて彼が何を話したか、聞きそびれた。そして、話はいつしか、リンカーンになった。

 子どもの頃、学校の授業でリンカーンについて習ったとき、そいつはひどいやつだと先生に言ったら、授業の邪魔をするな、としかられた。でも、映画で描かれているような男とは、まったく違うのさ。ねえ、君。ダンスと歴史の授業を一緒に受けられるなんて、思いもしなかっただろ? あのさ、いったい、なんでそんなにクソ真面目な顔してんだい?

 Life is full of pain, so you’ve got to smile.

 人生は苦悩に満ちているんだからさ。笑わなきゃ。

 あなたが相手じゃ、笑顔にもなれないわよ。

 そう思いながら、私はさっき習ったステップをマスターすることだけに、専念しようと、精神統一をはかっていた。

 ねえ、あなたのステップ、さっき習ったのと、全然違うんだけど、と私。

 ステップなんて、どうでもいいのさ。大事なのは、楽しく踊ることだろ。ほら、夕焼けがきれいだ。もっと川に近づこうじゃないか。君、僕と踊るの、楽しんでる?

 そう言いながら、男が水辺へ移動しようとする。

 このまま、川に突き落とされでもしたら、お陀仏かもしれない。

 ありがとう。そろそろ帰るわ。

 引き止めようとする男を振りきり、マリーパットとモンティのもとへ飛んでいく。

 と、さっきの男は、もう別の女性の腰に手を当て、陽気に踊りを楽しんでいる。

 人生は苦悩に満ちている?

 Not for him.

 違うでしょう、あの人に限っては。

 このエッセイは、「ニューヨークの魔法」シリーズ第8弾『ニューヨークの魔法のかかり方』に収録されています。https://www.amazon.co.jp/dp/4167717220