ニューヨーク市で、これまで行ったことがない地域を夫とぶらぶら歩いた。とくに治安が悪いというわけでもないのだろうが、殺伐とした倉庫街のようなところだ。用がなければ、わざわざ地下鉄を降りることもないだろう。
イエローキャブが五十台ほど止まっている青空駐車場を見つけた。何台ものボンネットに、花柄などのかわいい絵がペンキで描かれている。こんなキャブが走っているのを、目にしたことがない。私は写真を撮りたくなった。
駐車場の入口に、二畳ほどのバラックのような小屋があった。ドアはなく、防寒のために厚めのビニールが長い暖簾のように、地面まで垂れ下がっている。中に人がいるようだったので、ビニールの暖簾を少し開けてみる。
小さな机が置かれ、体格のいい白人の男の人がすわっていた。
中に入って、イエローキャブの写真を撮ってもいいでしょうか、と聞いてみる。
Photos for WHAT?
何のための写真だよ。
男の人はこちらを向き、憮然とした表情で聞き返す。
アクセントのある英語だ。東ヨーロッパ系の移民だろうか。
ボンネットに描かれている絵が素敵なので、写真を撮りたいと思ったんです。
ま、いいよ、とぶすっとしたまま、答える。
礼を言って、写真を撮る。キャブの多くは、ナンバープレートが外されている。ティーバッグが入ったままの紙コップが、運転席の隣に置かれたままになっている車もある。
写真を撮り終えて、さっきの小屋に寄った。
再び、ビニールの暖簾を少し開けて、男の人に声をかける。
ここにはどうして、キャブが何台も集まっているんですか。
WHAT??
何だ!?
相変わらず、感じが悪い。が、聞こえなかったのかもしれない。私は質問を繰り返す。
BECAUSE THEY BELONG HERE!
ここの車だからだ!
口調がきつくなってきた。
そうですか。わかりました。どうも。
そう答えて、去ろうとすると、男が背後から怒鳴った。
Are you from the FBI or what??
お前は、FBIかどっかの人間か!?
自分が質問好きなのは認めるが、何もそんなに怒らなくてもいいではないか。
虫の居所が悪そうなので、すごすごと立ち去った。
誰が見ても能天気そうで、ときには子どもにも間違えられる私のような人間を、FBIが捜査に送り、いろいろ聞き出しているとでも、思っているのか。彼も命がけなのかもしれない。ドアもないあの小屋で、駐車料金を預かっているとしたら、いつ現金を狙われるかわからない。身を守るために恐そうな表情で、無愛想を装っているのだろうか。
しばらく辺りを散歩し、駅に戻るときに、その小屋の前を通った。
ビニールの暖簾を開けて、スーツの内ポケットからバッジを取り出して見せ、「FBIだ」と男に声をかける。
そういきたいところだったが、夫が横で冷や冷やしながら、お前、そのうち、ニューヨークで撃たれるぞ、と真顔で言うので、やめておいた。
このエッセイは、文春文庫「ニューヨークの魔法」シリーズ第5弾『ニューヨークの魔法のじかん』に収録されています。