北出 明・著
株式会社パレード・刊
第二次世界大戦中、6000人ものユダヤ人を救った日本人といえば、センポ・スギハラ、杉原千畝(すぎはら・ちうね)と言う名前を、日本人なら今では小学生でも知っているほど有名になった。
杉原の功績は終戦直後には日の目を見ず、後年になってから杉原の妻や長男が人道主義を貫いたことの名誉を周知のものにしたいと運動したことが、ベールに包まれていた戦争史を明るみに出すきっかけとなった。杉原に関する文献やレポートは数多いが、2012年に生存者の家族に面会して書かれた『命のビザ、遥かなる旅路 杉原千畝を支えた日本人たち』は別格だ。英語版も2014年に翻訳出版されている。続編となる本書は、前作から10年経って、著者の北出明さんがさらに調査や研究を進めていくうちに、杉原千畝以外にもユダヤ人の救出に尽くした内外の外交官がいることに気がつき始め、これまであまり日が当たっていなかった人物に焦点を当てている。
登場するのは駐カナウス・オランダ領事のヤン・ツバルテンダイク氏、駐ウラジオストク領事代理の根井三郎氏、駐神戸オランダ領事、後に駐日オランダ大使となるN・A・J・デ・フォート氏、駐ソ連大使の建川美次氏、駐日ポーランド大使のタデウシュ・ロメル氏の4人。
ヤン・ツバルテンダイク氏は、杉原千畝が発行するビザの後に控える渡航先であるオランダ領であったカリブ海上のキュラソー島入国ビザを発行した人物だ。著者の北出さんは、ツバルテンダイク氏の次男、ロバートさんとアムステルダム郊外で面会した。「父がユダヤ難民を助けたのは、人間としての博愛精神からであって、過度に功績を強調されることは望んでいなかったでしょう。しかし、その行為がまったく注目されていないのは残念なことです」と遺族としての複雑な思いを語る。ツバルテンダイク氏の功績は母国ですら知られていなかったのだ。
根井三郎氏は、そのキュラソー・ビザを取得して無事に杉原千畝から日本通過ビザを発給してもらったユダヤ難民が向かったシベリアの駐ウラジオストクの領事代理だった。ユダヤ難民がウラジオストックまでの広大なソ連の領土をなぜ無事に通過することができたのか。ユダヤ難民のソ連移動は国営旅行会社のインツーリストが一手に引き受けており、シベリア鉄道の運賃とホテル代などの収入が馬鹿にならなかったこと。当時世界の各国はユダヤ人の難民受け入れに消極的でソ連も例外ではなく、彼らのヨーロッパ脱出は歓迎したいところでもあった状況を解説する。根井は外務省本省から「ビザ発給は控えるように」との訓令を受けるが、「単に第三国査証が中米行きとなっているとの理由で一律に検印を拒否するのは帝国在外公館の威信から見て面白からず(いかがなものか)、キュラソー行きの場合、通過査証を与えることが適当であると考える」と反論した。
北出さんは「私は以前から、杉原ビザ以外にもユダヤ人を救った『命のビザ』が存在していたことを我々はもっと知るべきだと主張してきました。天国の杉原千畝さん自身、自分一人がヒーローのように扱われていることに戸惑いを感じているのではないかと思えてなりません」と巻末でコメントしている。(三浦)