ある秋のNY

常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 12

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 「十一時五分、JFK着」とノートブックの日記に書いてある。日付は十月二十三日(月)。たぶん一九八〇年代のことだろう。

 同行者は写真家の岡村啓嗣氏。古い知り合いで、世界各地を旅行しているが、いっしょにニューヨークというのははじめてである。

 某クレジット会社からの取材依頼だった。席は生まれてはじめてのファースト・クラス。

 これはNY在住の松本孝幸さんの好意だという。有り難いことだ。

 空港にはやはりNY在住の小林義明さんが出迎えてくれる。寿司清NY支社の経営者だ。

 「ぜいたくな旅になりそうですよ」と岡村さんが言ったとおり、空港にはリムジンが迎えに来ていた。

 ホテルは五十九丁目にあるエセックス・ハウス。部屋はスイートで、眼下にセントラル・パークが一望出来る。

 シャワーを浴びて一時間ほど休息したのち、岡村さん、松本さんとタクシーでグリニッチ・ヴィレッジへ。

 ヴィレッジのアングラーズ&ライターズ(釣人と物書き)でサンドイッチの遅い昼食。ハムが美味。

 ハドソン・ストリートをぶらぶらして、ホワイトホース・タヴァーンでビールを飲む。天気がよくて暑いほどだ。かわいたのどにおいしい。

 スリー・ライブズ&カンパニー書店を覗いてみる。小ぢんまりとした質の高い本屋だ。ペーパーバックを二、三冊買う。

 プリンス・ストリートのカフェでひと休み。アムステル・ライトというビールを飲んで、ホテルに戻る。

 夕刻、小林さんが来て、西三十二丁目のスペース・ガム・ミ・オクと言う朝鮮料理店に案内された。

 焼肉ではなく、ゆでた肉で、ネギといっしょに食べる。すこぶるうまい。この店はメーシーズ百貨店に近いから、コリアン・タウンといっていいか。

 翌二十四日は朝から快晴。七時に小林さんとロビーで会い、小林さんがメンバーになっているNYアスレチックナカグロクラブでスチームバスやサウナ。髭を剃った。

 小林さんのアパート(五七丁目)で岡村さんと朝食をごちそうになる。納豆、イワナの子(粒が小さい)の醤油漬け、焼いたカレイ、キウリの浅漬、おひたし。

 NYで朝からうまい朝食にありつけるとは思わなかった。この前まではコーヒーショップでトーストとサラダだった。

 この日はいやなことがあった。ロングアイランドのサグハーバーに行ったのだが、昼のレストランでテーブルに案内されたのにいつまでたってもウエイターがやってこない。

 小林さんがだんだん不機嫌になっていった。

「ここはWASPの町なんですよ」と小林さんが吐き捨てるように言う。

 ようやくウエイターが来て、私たちはハンバーガーとコーヒーを注文した。それがまた時間がかかった。

 小ぎれいな町ではあるが、マンハッタンの方がはるかに楽しい。

 ストニー・ブルックという町の小さな旅館に泊まった。スリー・ヴィレッジ・インという。旅籠(はたご)という感じの宿だ。

 二十五日は七時起床。ダイニング・ルームでコンチネンタル・ブレックファースト。

 おもちゃみたいなこの町を歩いたのち、雑貨店でシャツを二枚買う。

 小林さんが釣りの話をしてくれた。彼の友人がブルックリン沖にヒゲタラを釣りに出かけた。えさはアオヤギ。

 ヒゲタラは高級魚だそうで、小林さんに言わせると、鍋にするとうまいという。

 その夜は再び小林さん、岡村さん、松本さんと八一丁目とマディスン・アベニューの角のバリオリ・ロマニッシモを訪ねた。今もあるだろうか。

 このイタリア料理店は五年ぶりだ、と日記に書いてある。そのときはJALの雑誌の取材である。

 食事の前に、まずバーブティオペペを飲んだ。バーテンダーの名前まで日記に書いている。

 ミラン・グランサリックという、顔の長い人だ。彼は船で世界を一周し、東京に立ち寄り、東京と大阪に6泊して、スペイン経由でアメリカに帰ったそうだ。

 グラッパを注文すると、彼はグラッパはノニノという銘柄にかぎると教えてくれた。

 日記をもとに、この一文を書いたのだが、実際の記憶がうすれている。いつ行ったのかをしるしていないのは、うかつな話だ。

それでもNYを訪れたときは、必ず日記を書いた。八〇年代、九〇年代にはなんども行ったのだが、行くたびにこれが最後のNY行きだと思っていた。

 今はもう訪れることはないと諦めている。

 冬のニューヨークも私は好きだ。寒いけれど、東京の寒さほどきつくはないと思っている。

(2010年5月22日号掲載)

(写真)小味かおる


常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NY生活」に2007年から2010年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録。本紙ではその中から12作品を復刻連載します。