ミクロネシアのヤップ島 美しい自然と伝統、戦争の遺産

 米国ミクロネシア連邦西端に位置するヤップ島は、今日でも土着文化を保持し、サイパン島などのように物質文明に荒らされることを拒んできた美しい島だ。約100平方キロの陸には1万1377人の住民が居るだけで、人口密度度は1平方キロあたり37人。近代設備を整えた旅行者用のホテルは5、6軒、観光ズレしていない海の自然が楽しめる。
 4つの島がひとつの広大なサンゴ礁に囲まれ、海岸線のほとんどがマングローブで覆われた中に夢のような砂浜海岸が散在する。さらに、東西約1200キロのヤップ海域内には134個の有人無人の島が点在する。コロニアの町を中心とした4島には祖先伝来の土地を守った「村」と呼ばれる集落が100以上ある。プライバシーを尊重する住民は旅行者がやたらとうろつくことを禁じている。
 美しい自然もさることながら、更にユニークなのは伝統と慣習を重んじた人々の生活様式とそれに対する高いプライドだ。カラフルな民族衣装は今では3月のヤップ祭か旅行者相手のダンス披露でしか見られないが、伝統衣装では女性はレイ(花輪)を首からかけたトップレス。それを旅行業者たちは「乳バンド」の着用を要請する。現地の女性たちはそれを「いやらしいわね」と顔をひそめるそうだ。反面、股を見せないというヤップの伝統は守られ男女ともショーツやスカートはひざまで覆っている。
 旅行者にとって島随一のアトラクションはダイビングだ。米国の平和部隊ボランティアとして50年ほど前に島に来て、現地の女性と結婚して住み着いたビル・エイカー氏が30年前にホテル兼ダイビングセンターを起業した。現在は娘と息子が事業を継ぐ。シュノーケリングだけでもマンタやカラフルな熱帯魚が数多く見られ、環礁のあたりまで行くと1メートル前後のサメと一緒に泳げるのを体験した。危険性のないサメだとのこと。清閑なマングローブの入り江をカヤックでゆっくりと漕いでいくのも貴重な体験だ。危険な動物や毒を持つ爬虫類がいないから完全にリラックスして自然を楽しめる。
 陸に上がると、有名な石貨が並んでいる。直径60センチから1メートルの円盤形で中央部に丸い穴が開いている。丸太を差し込んで担げるようにしたための穴だ。貨幣ではなく冠婚葬祭時の儀礼的贈答品である。その由来ははっきりしていないが、この結晶質石灰岩は約500キロ離れたパラオ島からいかだで運ばれたという。19世紀後半にアイルランド系アメリカ人のデービッド・オキーフがパラオ島で量産、コブラと交換して莫大な財産を得たと言われる。しかし彼が大量生産した石貨は、手作りのものほど価値がないそうだ。
 陸の観光名所に数えられるのが、太平洋戦争当時の日本軍戦闘機の残骸ツアー。ジープでジャングルに入ると、鬱蒼(うっそう)とした中に三菱A6M零戦や、中島B5N爆撃機、8875型対空砲機などの残骸が骸骨のように転がっている。第一次世界大戦までドイツ領だったヤップ島は、その後日本の委任統治領となり、太平洋戦争中は陸海軍の基地として使われた。日本軍はマリアナでの戦いに備え、滑走路2本を建設。1945年、ヤップは米軍の上陸作戦を免れて9月5日に降伏の調印を行った。武装解除は平和に行われ、多数の死者や自殺者を出したサイパン島とは対照的であり、ヤップ司令部のタイムリーでバランス感覚ある決断が賞賛される。武器・弾薬の処理と復興のため各隊から選抜された470人が残って米軍に協力して作業にあたったと言われる。46年2月に最後の残留作業隊員が帰国したそうだ。
 平和な今日は、押し寄せる中国資本にどう対処するのかがヤップの大きな課題のひとつだ。昨年11月の州知事選挙では僅差で親中国資本派のトニー・ガンギヤン現役知事がヤップ州議会のヘンリー・S・ファラン議長に敗れた。島を愛し永住を決めたエイカー氏は、「外国資本に頼って島を開発しようという動きがあるが私にとっては大変怖い構想」として、政府は外国資本を減らして民間企業をもっとサポートして島の自主権を守るべきだと語った。
 ヤップ島に住む日本人に何人か会った。安井三惠さんはダイビングで1990年にやってきて翌年、住み始めた。現在はダイビングサービスなどを提供する。また、日本の国際協力機構(JICA)が派遣する青年海外協力隊員4人は、小学校教諭の柴原亮さん(27)、村里昂太さん(28)、佐々木麻弥さん(27)と栄養士の中島千尋さん(28)。ほかに加藤崇さんは隊員としての任期を終えたが後任が来るまでヤップ州立病院で病院のコンピューター業務を支援している。また、廃棄物処理の専門家である坂根篤さん(67)らシニア海外ボランティア3人も活動している。
(ワインスタイン今井絹江、写真も)