史佳の情熱、殿堂に響く

 三味線奏者、史佳(Fumiyoshi、本名・小林史佳)のカーネギーホール、ザンケルホールでのライブコンサートが5日夜開催された。津軽三味線の大御所・高橋竹山(故人)の竹山流最年少の継承者で、音の響きを大切にする斬新な弾(ひ)きで聴衆を魅了する気鋭の三味線プレーヤー。第1部で新潟高橋竹山会二代目の母(高橋竹育)と弟子らがステージに揃い、津軽じょんがら節の伝統的な三味線のメドレーを5曲披露。インターミッションの後の後半第2部では三味線に加えて、ウッドベース、ピアノ、バイオリン、カホン、レクなどさまざまな楽器と共演し、ニューヨークで三味線の新境地を切り開こうとする史佳の情熱を見せた。今回、世界初演された曲「タイトロープTightrope」は、彼がニューヨークを大いに意識した作品。「スリー・ライン・ビート」という演奏ユニットは、史佳の音色に魅了されて三味線の道に入った演奏家・更家健吾とペルーの民族打楽器カホンを操るドラマー、Ricaの3人組で、息のあった演奏を聞かせた。
 9歳の時から母親の手解きで三味線を始めた史佳。「大嫌いだった」という三味線はそれでも高校時代まで続けた。立命館大学理工学部に進みバスケットボール同好会に熱中して三味線からは遠ざかった。激動の就職氷河期を突破して通信大手に就職したが入社後重度のうつ病に。入社3年目に母親から 「会社辞めて戻っておいで」との言葉に吸い寄せられるように帰郷した。「なんにもやることないなら三味線でも触ってなさい」と渡された三味線が命を救った。「一旦捨てた人生だから何でもできる。これが完全に救ってくれた。命の恩人です」と三味線を握る史佳。
 ステージでゲストとして登壇したニューヨーク総領事の山野内勘二大使が舞台で祝辞を述べたあとピアノの前に座ると大きなどよめきが起こり、史佳との「イマジン」の共演に満場の拍手が贈られた。最後にトリプル(3度)のアンコールで見せた母と2人での即興演奏は会場を感動の渦に巻き込んだ。ステージで「これは私のこれからの始まり」と宣言した。演奏後、史佳は「母は偉大です。かないません。今日も全力を出し切りました」と語った。(三浦良一記者、写真も)