5月14日開催
セントラルパーク・ウエスト
ジャパンデーインクは、ニューヨークでは初となる「ジャパンパレード」を5月14日(土)午後1時から3時30分まで開催する。2022年は、1872年に岩倉具視を匿名全権大使とする使節団が米国を訪問してから150年で日米関係において重要な年となる。使節団訪問を契機に同年ニューヨークに日本領事館が設置されるなど日米関係の深化につながった。
この節目の年に日米交流のさらなる促進と日系コミュニティの強化を図りつつ、NYに感謝の意を表し、未来世代へと友好のバトンを繋いでいくことが目的。
パレードはマンハッタンのセントラルパークウエストの81丁目から68丁目までを南下する。お神輿、太鼓、ダンス、武道、日本をテーマにファッションやミュージックなど伝統的文化のみならず、コンテンポラリーな日本の魅力を80余りの団体が行進する大規模なものになる。日本からセーラームーンの5戦士が参加する。パレードマーシャルは俳優で人権活動家のジョージ・タケイ氏。また、パレードと並行して行進の終点地区69丁目のセントラルパークウエストとコロンバス街の間でフードテントを含むジャパンストリートフェアも追加開催することが決まった。
(写真)左:Japan Parade Art Contest 2022 最優秀受賞者 Alexandra Emanuela Tataruさんの作品 右:パレードマーシャルのジョージ・タケイさん日本のアイデンティティーPR
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日系80余団体が行進
ストリートフェアも開催へ
ニューヨークではかねてより、アイルランド、イスラエル、プエルトリコなど世界各国出身の民族がそれぞれのコミュニティの文化やライフスタイルを誇らかに示すパレードが行われてきた。「ジャパン・パレード」はニューヨークの日本コミュニティが継承する文化や遺産を紹介するパレードとして近年では初めてのものとなる。
同パレードは2007年以来ニューヨークで開催されてきた「ジャパンデー@セントラルパーク」の特別イベントで、今年はセントラルパーク内でのフェスティバルの代わりに実施する。元々は2020年東京五輪に向けての企画だったがパンデミックで延期となった。4月27日にNY総領事大使公邸で記者会見があり、森美樹夫大使、パレード・チェアマンを務めるジャパンデーインクの上田淳プレジデント、実行委員会事務局ゴージャスエンターテインメントの吉井久美子社長がパレードの概要を説明した。パレードは5月14日(土曜)午後1時から3時30分までセントラルパークウエスト81丁目から68丁目までを南下、80から100余りの団体が行進する。
森大使は、パレードを開催する意義として「日本社会をまとまった形で紹介し、日本のアイデンティティーを確立する上でもニューヨーク市民との関係を築く上でも、日系諸団体やNY市警、消防など80余りの団体、さまざまなものを乗せるプラットホームとして取り込んでパレードでNYのダイバーシティ(多様性)をアピールできる」と語った。また、当初の予定にはなかったストリートフェアが加わったことについては「初めから排除していた訳ではなくて、フードカルチャーを紹介したり、チャリティーイベントを開催したりするためには、パレードで行進するだけではできないので、ジャパンデーインクの中で相談して、歩くだけではなくて、終着地点で集客ポイントを作って日本文化の紹介や目的達成のためのイベントをやろうということになった」と説明した。
ジャパンストリートフェアは、パレード開始の午後1時から4時30分まで西69丁目のセントラルパークウエストとコロンバスアベニューの間で開催され、参加テント数はフードや文化紹介など10余りを現在予定している。当日は、オープニングセレモニーが午後12時30分から午後12時50分までセントラルパークウエストの70丁目から71丁目の間で開催される。
公式ウエブサイトは https://japandaynyc.org/parade/
最初のパレードは1860年
侍80人がブロードウエー行進
5月14日にマンハッタンのセントラルパークウエストで開催される「ジャパン・パレード」は、1860年6月18日以来、162年ぶりにNYで日本人や日系アメリカ人が行進する記念すべきパレードとなる。
最初にNYでパレードをした日本人は、徳川幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために米国ワシントンDCに派遣した万延元年遣米使節団だった。異国の地から来た侍たちの上品で礼儀正しい立ち振る舞いに米国人たちは敬意を払いどの地に行っても大歓迎を受けたと当時の新聞は伝えている。
ニューヨークのブロードウエーでは侍パレードも行われた。日本から最初の公式ミッションとして派遣された遣米使節団の軌跡は、今もニューヨークの5番街42丁目のパブリックライブラリーの資料館に眠っている。1860年6月23日付ニューヨーク・イラストレーテッドニュース紙の1面には、遣米使節団の中でもアメリカ人の間で、アイドル的人気となった愛称トミーこと立石斧次郎の姿が堂々と掲載されている。
当時の記録によると、万延元年遣米使節団は、幕府の幕臣・外国奉行の新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき、40歳)=写真中央=を正使に、副使の同じく外国奉行の村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ、48歳)=同左=と小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみただまさ、32歳)=同右=を筆頭に約80人の侍が米国の蒸気船ポーハタン号に乗り1860年1月に品川沖を出発、途中ハワイに寄港、3月8日にサンフランシスコに到着して大歓迎を受けたとある。一行は同月末にワシントンDCに到着して3週間の滞在中にブキャナン大統領を公式謁見している。その後ボルティモア、フィラデルフィアでは米国政府の造幣局を見学してニューヨークへと向かった。
6月16日にニューヨークに到着した一行は街を上げての大歓迎を受け2日後にブロードウエーで侍パレードが行われた。記録では、パレードはダウンタウンから14丁目のユニオンスクエアまでを行進し、沿道には米国の国旗と日本の日の丸が各所に設けられ、約50万人もの観客で溢れたという。ビルの窓から身を乗り出す人、電柱に登って見物する人もいた。当時のニューヨークタイムズ紙には「市の歴史の中でも最も華々しいイベントだった」と評したと記録にある。当時のアメリカを代表する詩人ウォルト・ホイットマンは、彼の代表作の詩集『草の葉』の中で、ブロードウエーを行進した侍たちの詩「ブロードウエーの華麗な行列」という一遍を残している。ホイットマンも侍の行進を見たのであろう。162年の時の流れを経て行われる令和4年のジャパン・パレード。現代のニューヨーカーの目にどう映るのか期待される。
▲ 長い年月で新聞の紙が端からボロボロと崩れてくるほど(撮影・石黒かおる)