【編集後記】
みなさん、こんにちは。1970年代後半から90年代にかけて、ニューヨークの広告業界で大活躍した日本人写真家がいました。HASHIという名前は、当時写真を志す人たちにとっては憧れの存在だったようです。本名は橋村奉臣さん。橋村さんは1945年大阪府茨木市生まれ。1968年に来米。74年にHASHIスタジオを設立。クリエイティブの水準が極めて高く、かつ熾烈な競争で知られているニューヨークの広告業界において常に第一線で活躍、その力量が高く評価されました。広告写真の分野で、卓越したHASHIスタイルを確立。1980年代前半より、肉眼では捉え難い2万分の1秒の世界をとらえた独自の技法、「アクション・スティル・ライフ」で一世を風靡し、広告業界において、その地位を不動のものにしました。米国だけでなく世界の広告代理店200社以上を通じて、世界の優良企業500社以上に作品を提供しました。近年はアート作品にも分野を広げていました。そんな橋村さんが10月22日午後8時20分ごろ、マンハッタンの自宅近くのスーパーでの買い物帰り、3番街の30丁目と31丁目の間で、通りがかりの男性からつきとばされて転倒、後頭部を強打して、目撃していた歩行人の通報で市内ベルビュー病院に緊急搬送され脳挫傷と診断され翌日手術を受けましたが、2週間意識が戻らず、12月12日未明の午前0時51分に帰らぬ人となりました。突き飛ばした男は31歳の米国人男性で、防犯カメラから警察が犯人と特定し、事件翌朝に逮捕、現在も勾留中です。日本在住の写真家・茶野邦雄さんは突然の訃報に「HASHIさんに憧れ、何者かになりたい多くの写真家がNYを目指してきた。そして私も含め名もなき若者を分け隔てなく迎えてくれたのもHASHIさんだった。日本人写真家が世界でも通用することを自らが証明し、後輩たちの未来をも切り開いた功績はあまりにも大きく、感謝以外に言葉が見つからない。どうか安らかに。合掌」と本紙の取材に応えてくれました。HASHIさんとは1987年にNY読売時代に取材した時からのお付き合いでした。重症ではありますが、病院に2回お見舞いに行きました。チューブにつながれ変わり果てた姿でしたが、2回目の病室訪問の帰り際「HASHIさんまた来るからね。頑張ってね」と言うと、左の足首を振ってバイバイをしてくれました。それが最後でした。光と影の魔術師といわれたHASHIさんの傑作写真を今週号1面で掲載させていただきました。HASHIさん安らかに。それでは、みなさんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)