編集後記

【編集後記】


 みなさん、こんにちは。パリ五輪が終わりました。日本の金メダルの数は 米国、中国の40個に次いで20個で第3位となりました。マンハッタンのオフィスビルのエレベーターでも「日本はよく頑張ったね、Good Job」と親指を立てるビジネスマンがいました。今回の大会を応援するためにニューヨークから一人の日本人女性がパリに飛びました。石黒かおるさん。職業はジャーナリストですが、今回は仕事ではなく個人的な目的での渡航でした。石黒さんの父親、石黒昇さんは、1964年の東京オリンピックに男子20キロ競歩の選手として出場しました。選手引退後は「日本競歩を強くする会」の副会長を務め選手の育成に尽力。日本中が期待に胸を膨らませていた2020年東京オリンピックは、コロナ禍で1年延期に。56年後に再び東京で開かれるオリンピックを心待ちにし、地元埼玉県戸田市を走る聖火ランナーにも決まっていた昇さんは、「生きている間に2度、東京でのオリンピックを体験することができるなんて夢にも思っていなかった」と、競歩選手のメダルへの期待、そして聖火ランナーの大役を楽しみにしていたそうです。しかし、東京オリンピックが1年延期となり、その後、食道癌と診断された昇さんは聖火のトーチを握ることなく、21年2月に永眠しました。「どんなに無念だったことだろうか、走らせてあげたかった」。娘のかおるさんは、父親の葬式で一時帰国した時もニューヨークからはお断りと病院や関係者から出席を拒否され、棺を乗せた車が出ていくのを葬儀場の遠くから1人で眺めていたそうです。24年のパリ・オリンピックでは、どうしても父の遺影を掲げて応援したい。父をパリに連れていきたい。その思いを抱きしめて今回パリに行ったのでした。沿道で石黒さんは「お父さん、パリに来たよ、一緒に応援しようね」と抱えていた父の遺影に話しかけたそうです。ランニングのゼッケンの裏には当時2歳だったかおるさんの写真を縫い付けていたことは、亡くなる2年前に知ったそうです。今週号の11面に、石黒さんの手記が掲載されています。ご覧ください。それでは、みなさんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)