【編集後記】
みなさん、こんにちは。本紙でここ数回にわたり記事として掲載し、今週号でも平野共余子さんが映画評(18面)を書いている「PLAN75」をグリニッチビレッジのIFCセンターで、おくらばせながら私も見てきました。ああまたか、もう記事で何度も読んだよと思われても困るのですが、映画を見ていない人のために一言だけ前置きをすると、高齢化社会が進み、老人が社会のお荷物になることを理由に、75歳になったら自分で安楽死を選ぶことができる法制度が施行された近未来の日本を舞台に、主演女優の倍賞千恵子が高齢女性の置かれた孤独な立場、黙って社会のいいなりになって物事を従順に受け入れていくと正しいことと間違ったことの判断ができなってしまう危うさを描いた作品です。そこに至るまでの間に与野党の国会での激しい賛否両論の攻防が繰り広げられたと簡単に触れたあと、一旦決まると、プラン75の安楽死を選ぶことがとてもいいことのような、広告、キャンペーン、イベント、ホテル優待宿泊プレゼント、お小遣い10万円という飴玉を与えて緩やかにマインドコントロールして社会の流れを巧妙に作っていく日本のシステムの凄まじい怖さ、オリンピックの企画を任されたような大手広告代理店が用意周到に青写真を作っているであろう老人殺人正当化工作。脚本を書いた早川千絵監督は「ものを考えない社会の危うさを描きたかった」と日本クラブで事前に開催されたパネルディスカッションで言ってました。映画を見る前に開かれたディスカッションだったため、客席から聞いていて、登壇者たちはあることを、まるで口裏を合わせたように触れていないことに勘付きました。登壇者たちは映画を見た上での発言、会場の参加者は全員まだ映画をみていない状態でお話を聞いています。ここでネタバレになってしまうことを言ってしまっては、これから映画を見る人には申し訳ないと思ったのでしょうか。事前の記事やお話を聞いているだけではこの映画はただとても暗く、希望のない、どうしようもなくネガティブな社会を描いただけの作品になってしまう。数週間前に最初に平野さんが監督インタビュー記事を書いた時に、私は、その原稿になんという見出しをつけたらいいのか迷い「高齢化社会をブラックユーモアで」と付けたら平野さんから「三浦さんも映像を見て頂ければわかるのですが、本作はブラック・ユーモアはなく、国家事業として老人殺害を淡々と行使する全体主義に対する批判と私は見ました。ジョージ・オーウエルの『1984』に近いものがあります。早川監督も本作は老人問題ではなく、異論を唱えられない日本社会の批判、というようなことをおっしゃっています」とすぐさま、返信メールがきたので、最終的には「架空の現代版姥捨山物語を映像に」とつけた。日本クラブの会場で「この映画を見て、良かったなあと思えるポジティブなところってあるんですか?」と思わず早川監督に聞いてしまった。早川監督は一瞬口籠もったが「映画としての面白さはあると思います」と話した。ここまで読んで、これで終わると「あるものってなんだよ」と読者の皆さんは消化不良を起こすので、書きますが、最後は主人公は何もセリフは言いませんが、「私はまだ死にたくない。生きることができる」と管を外して殺人病棟から脱走するところで映画は終わるのです。chatgptのAI知能に操られる危険がクローズアップされている昨今ですが、世の中の流れに抵抗する人間の脳こそが来るべき恐ろしい社会に歯止めをかけ得る唯一の人間の力だと、この映画は気づかせてくれたというように私は見ました。この映画を見て良かったなあと思いました。今月4日までの上映期間でしたが、好評のため今月11日(木)まで上映期間が延長されました。まだご覧になっていない方、面白い映画ですよ。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)