白井 聡・著 集英社新書・刊
小田和正の歌で有名な『東京ラブストーリー』は平成3年、1991年1月7日〜3月18日放映のドラマだ。歌と共に当時の豪遊を懐かしむ人は多いだろう。ところで内閣府によると、バブル崩壊は91年3月に始まっている。日本中が「カンチ!」と絶叫していた正にその時、日本経済の「失われた20年(30年)」は始まっていた。そんな恐ろしいことを、当時、誰が知っていただろう。さらに日本は今も平成の終焉と共に、着々と「破滅」に向かっているとすれば…?
さて、本書のテーマは「国体」である。今の若者なら「国体」を問われ、「国民体育大会ですよね?」と即答するに違いない。しかし本書はアスリートには無関係である。今ではほぼ死語である「国体」を、なぜ今さら取り上げるのか。
「国体」。先の大戦の体験者で、この禍々(まがまが)しい言葉を知らない人はいない。第二次世界大戦前の国体とは、「万世一系の天皇を頂点に戴いた『君臣相睦(あいむつ)み合う家族国家』を理念として全国民に強制する体制」であった。明治維新から始まったこの体制は、「国体」への反対者を「根こそぎ打ち倒しつつ破滅的戦争へと踏み出し、軍事的に敗北が確定してもそれを止めることが誰にもできず、内外に膨大な犠牲者を出した挙句に崩壊した」のである。しかしこの「国体」が実は現在も日本を支配していると白井氏は言う。いや、「国体」でしか現代日本の「奇怪な逼塞(ひっそく)状態」を説明できない、ただし今、国体の頂点にあるのは「万世一系の天皇」ではなく「アメリカ合衆国」であると…。
「真実は簡単な言葉で説明できる」と思うことがよくある。この白井論、即ち「『戦後の国体』とは、天皇制というピラミッドの頂点にアメリカを鎮座させたもの」であり、日本はこれに支配されているが、その事実は徹頭徹尾「否認」されているという理論が私の疑問を一気に解消した。「なぜ日本は米国のポチなのか」という長年の疑問の答えが出たのだ。折しも続々と最近出版される「日米密約」関連本で、日本が「主権国家」でないことは証明されている。そこに本書が登場。9条を持つ日本が高価な武器をトランプから爆買いするのも、水道法もカジノもJ-アラートもすべて説明できる。そして改めて戦慄した。白井氏は明治維新から敗戦までの77年と、敗戦から現在までの73年を、2つの国体による「国家の破滅」までという図式で見事に重ね合わせる。歴史は繰り返している。現在の日本の民主主義の劣化は顕著であり、日本はすでに「上から下まで『破産』している」と白井氏は言う。すると、もし『東ラブ』の時代が大正デモクラシーに重なるなら、今後日本が行く先はどんな奈落なのか?
実は、白井氏に本書を書かしめたのは、2016年8月8日の「天皇のお言葉」だった。氏は、「この人は、何かと闘っており、その闘いには義がある」、「黙って通り過ぎることはできないと感じ」、「敬意」を表したかったと言う。その「何か」を明示したのが本書だ。マルクス主義研究者(白井氏)が「闘う今上天皇」に共感するという、驚天動地の時代を迎えた平成末期。その想いは果たして天皇に届いたのか。(大野妹子)