或る友人へ送る手記の世界表現

芥川龍之介の作品から新作オペラJSで上演

演出の笈田ヨシに聞く

 ジャパン・ソサエティー(JS)舞台公演部では、12日から15日まで、JSと東京文化会館との国際共同委嘱による新作現代オペラ『note to a friend』の世界初演を行った。ピューリッツァー賞受賞作曲家、デービッド・ラングへの委嘱という形で実現した本作は、芥川龍之介の3つのテキスト(『或る友人へ送る手記』、『点鬼簿』、『藪の中』)がベースとなっている。死、愛、自殺への人間の執着といった複雑なテーマを、歌手がひとりというユニークな構成に立ってラング自らがリブレットを手掛けた。演出した笈田ヨシに今作に対する思いを聞いた。 (聞き手・本紙三浦良一)

(写真上)© Richard Termine

死を意識することで一瞬一瞬を大切に生きるということ

本紙 原作の芥川の3作品は自殺や死をテーマにしておりどれも読んでいると気持ちが落ち込んでいくような暗い話ばかりです。

笈田 ところが僕にとって意外だったのは、決して暗い作品だとは思わなかったことなんです。僕が初めてニューヨークで1975年に発表したのは、オペラではなかったですが「チベットの死者の書」でしたし、2007年のベンジャミン・ブリテンのオペラ『ベニスに死す』もそうですが死してから生き返るまでを題材にしていて、この主人公は、自殺によってのみこの縛られた現実社会から自由を得ることができたというような話だと思いました。死ぬっていうのは、つまり、聞いたり読んだりしたりしたところによると、6時間とか7時間とか肉体は心臓が止まっていて仮死状態になっても意識というのは存在していて、戻ってきた人は大抵、臨死体験をすごく気持ちよかったとか明るかったとか、浮いているような快感があったとか言っている。だから死の瞬間というのはとてもいい心持ちになるところだから、死ぬことに対して恐怖も不安もないし、今日もこうして生かしてもらっているんだという。このオペラは死んだ後の話で、死んだあとは、なんと未来は素晴らしいんだと思うオペラだと思っているんですよ。

演技指導する笈田 © Takaaki Ando

本紙 演出する上で苦労したことはどんなことですか。

笈田 音楽は素晴らしいし、歌手も素晴らしい。演出家はすることなかったんだが、プラスαで何をそこに付けられるか。どれだけその音楽の素晴らしさ、歌手の素晴らしさを感じていただけるか、そのための僕は縁の下の力持ちみたいな存在です。舞台が1人の歌手の独唱で全編を貫くが、それだけだと単なる歌手のコンサートになってしまうので、セリフのない主人公の画家を登場させることで、2人芝居の形式を演出しました。

本紙 日本に先駆けてのニューヨーク公演ですね

笈田 オペラっていうのは、トスカや椿姫、マダムバタフライとか19世紀に生まれた古典をいつまでもしていてはいけない。そこから発展しなくちゃいけない。絶えずその時代に生きているオペラというのを作らなくてはならない。ブロードウエーミュージカルはそういう意味ではそれなりにうまくやっていると思うが、それとは別に、人間の奥底を探るようなものを、そういう現代の生きている人がどういうふうに感じるかとか、そういうものを作っていかなくてはならないが、でもそういうのは商業的には成り立たないんです。オペラの新作っていうのは人が来ない。じゃ来ないからと言ってやらなければ、現代の芸術として存在できないというジレンマがある。そのために経済的に大きな犠牲を払いながら助成金を得ながらやれている現状だが、アメリカは、ジャパン・ソサエティーが勇敢にも健気にも莫大な赤字を覚悟でやっておられることに感謝しています。日本では新作オペラをプライベートファンドではできない。

本紙 本作品を演出して、観客に伝えたいことはなんですか。

笈田 死というのは恐怖の怖いものではない。不安のない世界だ。ですから死んだ人の話を聞きながら、現代人が死に向かって生きていくことを考えることで安心して生きることができ、一瞬一瞬を大切に生きられるということですかね。

     ◇

 上演前のインタビューでは笈田なりの作品に対する意見を本紙に語っていたが、舞台後の客席との質疑応答では、笈田自身が作曲家のラングに「ところでどうして自殺をわざわざテーマにした作品を選んだのか教えて欲しい。西洋のキリスト教では自殺は犯罪ではないのか。日本は自殺に対する犯罪意識は西洋ほどではないが、自殺について客席の意見も聞きたいものだ」とまさにこちらが聞きたかったことを笈田自身が尋ねる場面があった。

 ラングは「自分はクリスチャンではないのでまずその点は無罪だが、日本の自殺に対する文化は知らない。自分としては死者が死後の世界を静かに語りかける世界という芥川龍之介の作品の中でもこの3作品に惹かれたから選んだ。特に『或る友人へ送る手記』は大学時代に読み、50年ぶりに記憶が蘇る場面が多かった」などと答えた。

 出演はニューヨークを拠点に欧米で活躍するボーカリストでジャズの世界でも人気のセオ・ブレックマン、演奏は東京文化会館により選出された新進気鋭の日本人ミュージシャンが弦楽四重奏団を構成した。日本における西洋音楽の殿堂、東京文化会館との共同委嘱・共同制作である本作は、高い評判を誇る実験的新作オペラのフェスティバル「PROTOTYPE」の2023年フェスティバル・プログラムの一環としてJSで世界初演され、続いて2月4日、5日に東京文化会館で上演される。


笈田ヨシ=ヨーロッパを拠点に世界の舞台で活躍する、日本人演出家・俳優。独り芝居『禅問答』(Interrogations)を40年に渡って世界中で上演。劇団四季を経て、1968年にロンドンで演出界の巨匠ピーター・ブルックの実験劇『テンペスト』に出演。以降、ブルックの作品には欠かせないコラボレーターとなり、70年にブルックが設立した国際演劇研究センターに参加。以来パリを拠点に、世界各国の劇場で活躍。92年にフランス芸術文化勲章シュバリエ受勲。以降07年に同オフィシエ、13年には最高峰の同コマンドゥールを受勲。


飛躍願う新年 激動の今こそ

令和5年新年賀詞名刺交換会開催

 ニューヨーク日本総領事館主催(NY日本商工会議所、日本クラブ、NY日系人会共催)による新年賀詞名刺交換会が13日昼、日本クラブで開催され、120人が参加した。君が代斉唱のあと、主催者を代表してニューヨーク総領事の森美樹夫大使、続いて共催団体の代表として上野佐有NY日本商工会議所会頭、和田知徳日本クラブ会長、佐藤貢司NY日系人会会長がそれぞれ年頭の挨拶を行った。4氏による鏡開きの後、全員で乾杯し、来場者たちは日本クラブの祝い肴とお雑煮を振舞われて新年の歓談を楽しんだ。代表者の挨拶の要旨次の通り。

在留邦人の安心安全に役立つ  

森美樹夫NY総領事・大使

 2022年を振り返ると引き続きコロナとの闘いは続いているが、人々の社会経済活動が再活性化して正常化に向けて大きく動き出した年だった。これまでにもオンラインで行われてきたイベントも次々と対面での開催になってきた。NYの街には賑わいが戻ってきた。史上初のジャパンパレードが5月に開催され、米国からの野球伝来150周年を記念したさまざまな日米交流も盛況で、秋には対面で国連総会が開催されて岸田文雄夫妻の3年ぶりの訪問で在ニューヨーク邦人との交流を深めた。

 今は、水際措置の撤廃、緩和を受けて日米間ではより多くの人が往来を再開して交流の機会が格段に増えていると予想される。こうした中で、日本政府、総領事館としては引き続き在留邦人、日本コミュニティ、日本企業への支援さらには、日本文化発信のために最善を尽くしていきたい。在留邦人の安心安全の役に立てるよう治安、安全対策に対する情報を積極的に発信していく。日本のビジネス、文化などをニューヨーク市民、NY州政府、市当局に伝えていくための働きかけを引き続き強力に行っていく。さらには、いまアメリカ、ニューヨークがどういうことになっているのか、日本はどういうふうに見られているのか、日本の立ち位置はどういうものなのか、在留邦人がどういう苦労をして、あるいはどういう思いでここで暮らしているのかといったことについて東京の日本政府、さらには日本の官民に伝えていく役割を担っていきたい。今年2回目となるジャパンパレードが5月13日に開催されるが、2回目をさらに実りのあるものにするために日系社会の皆様に協力をお願いしたい。

不確実性の時代こそ日米の役割大きい  

NY日本商工会議所(JCCI)上野佐有会頭

 アメリカの金融政策が大きく動き、国際秩序も含めてグローバルなビジネスが環境にとっても大変な1年だった。10年くらい前から不確実性の時代と言われてきたが今まさに昨年は新しいポストコロナに向けてパラダイムシフトの1年になったのではないかと自分では感じている。昨年JCCIは創立90周年を迎えた。7月にはメトロポリタン美術館でウクライナを支援するチャリティイベントとして収益金をウクライナ復興支援として使わせていただいた。8月には冨田駐米大使、森総領事と共にエリック・アダムスNY市長と会談、11月には3年ぶりのインパーソンで第38回のJCCIアニュアルディナーを開催することができた。新しく迎えた2023年は、グローバルベースでの大きな環境変化が我々にとって新しい機会になりつつあるのではないかということを自分では確信している。気候変動とかサプライチェーンの強靭化という国際社会が直面する新たな課題に日米両国が果たす役割は非常に大きなものがある。不確実性の時代にこそJCCIのミッションである日米両国の良好な関係構築に貢献できるよう頑張っていきたい。

好転する飛躍の年にしたい  

日本クラブ 和田知徳会長

 新型コロナの世界的な感染拡大が3年を経てワクチンの浸透と共に状況は落ち着いてきたのではないか。この3年間で生活、仕事、社会も大きく変化したが本格的な日常生活に向けてどんどん加速している。昨年NYはレストランや公共交通機関でマスク適用となったがそれも撤廃されていて、いよいよウィズコロナの生活に確実に入った感がある。世界に目を向けるとウクライナでの戦争勃発、アメリカと中国との関係悪化という地政学的リスクがかなり顕在化した年ではなかったか。世界的には経済面で各国が金融引き締め政策をとっている中で、世界経済は若干減速気味ではある。そういう環境の中で我々のビジネスだけではなく、日々の生活にも少しずつ影響が出ているのかと思う。先行きは見通しがつかず予断は許さない状況だが、アフターコロナ、ウィズコロナの時代に向けて今年はさらに前進できる年にしていきたい。日本クラブでは医療従事者と警察などフロントワーカーの人たちの仕事の支援になるのではないかと弁当を提供するプロジェクトを続け、昨年3年目を迎え、昨年末までに1万6198個の日本食の弁当を届けた。昨年は野球大会、ゴルフ大会、日本ギャラリーでのアート展などインパーソンのイベントも展開し、日本クラブ本来の大きな目的である会員同士の交流の場としての賑わいを復活してきた。スポーツ、食、カルチャー、アートを通じ、会員の親睦を深め、NY地域社会との交流の場として日米交流の親交に尽力していきたい。卯年は跳ねる、新しいことを始めるには縁起がよく希望が溢れ、景気回復、好転する飛躍の年にしたい。

2023年は挑戦の年に  

NY日系人会 佐藤貢司会長

 2023年は卯年で世界が挑戦する年です。今日は岸田首相とバイデン大統領が日米首脳会談をしています。1907年に創設されたNY日系人会にとっても昨年はチャレンジングな年でした。活動は、教育、文化、地域社会を柱に行っており、コロナ禍前は100人以上のシニアが参加したJAAのシニアの昼食会・敬老会も、春ごろからは、約60人の72歳から100歳までのシニアがJAAホールに集って会食、他50人〜60人にはデリバリーやピックアップなどで、お弁当を提供してまいりました。シニアたちは、久しぶりに会えてとても幸せそうでした。昨年は100歳を祝う方もいました。3月の3・11と9月の9・11の在ニューヨーク日本国総領事館と共催のコミュニティボランティア活動では、三菱UFJ銀行等の企業と共同で日本食を集め、市内のフードバンク・オブ・ニューヨークに寄付、 ホームレスシェルターの配膳や飢餓を終わらせるためのMeal Packing が行われ、私もMeal Packing のボランティアに参加し、ボランティアの大切さと充実感を感じました。4月30日にはフラッシングメドウコロナパークで桜祭り、5月の美術展、5月30日のマウントオリベット日本人墓地で1912年から続く日本人先駆者への墓参会を開催することができました。最後の大きな行事は、12月12日にハーバードクラブで開催された115周年記念晩餐会でした。170人が集まる盛大な会を開催することができました。ニューヨーク日系人会会長として在ニューヨーク日本国総領事館、在米日本企業、NY日本商工会議所、日本クラブ、ボランティアの皆様のご支援に対し深く感謝致します。2023年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますよう祈念しております。(スピーチは英語で行った)

NY合気会の山田会長死去

世界に合気道を広めた一人

 合気道八段でニューヨーク合気会会長の山田嘉光氏が15日午前9時25分ニューヨーク市内マウントサイナイ病院で心不全のため亡くなった。享年84歳だった。東京都出身。叔父は合気道師範の阿部正で、その影響により合気道を始める。1955年、合気会本部入門と同時に内弟子となり、主に道主植芝吉祥丸、大澤喜三郎、藤平光一師範に師事する。66年ニューヨークに渡る。ニューヨーク合気会会長就任。

 合気会本部道場入門当時、英語が堪能であり主に日本国内の米軍基地への指導を担当していた。アメリカ大陸やヨーロッパ、アフリカなど世界の国々で講習会に招かれ、アメリカ本土だけではなく優れた外国人弟子を持ち、世界に合気道を広めた一人。

ハリー王子が暴露本

Prince Harry, Duke of Sussex・著
ペンギン・ランダムハウス・刊

 英国王室から離脱し米国に移住したハリー王子の回顧録「SPARE(スペア)」が1月10日に発売された。子ども時代から陸軍時代、母ダイアナ妃の死、夫となり父親となって見つけた喜びなどを綴った回想録だが、スペインなどでは5日から店頭に並んでおり、兄のウイリアム皇太子から暴力を振るわれたことがあると書かれていることがわかった。

 ハリー王子は2018年にアフリカ系の母を持つメーガン妃と結婚した。翌2019年、ウィリアム皇太子がメーガン妃のことを「無礼」「気難しい」などと非難したことで口論となり、ハリー王子はウィリアム皇太子に襟首を掴まれて床に叩きつけられ、背中にけがをしたという。ふたりは1997年に母ダイアナ妃を事故で亡くし、葬列で棺の後ろを一緒に歩く兄弟の姿は世界中の涙を誘ったことでよく知られる。

 ハリー王子は本の出版にあたりCBSの「60ミニッツ」とイギリスITVのテレビインタビューに出演、英国王室は自分とメーガン妃についてのネガティブな話題をマスメディアに植え付けておきながら、タブロイド紙などから自分たちが攻撃されても弁護しなかったと述べるなど王室を批判した。その上で「私が望むのは制度ではなく家族」であり「父や兄を取り戻したい」などと語った。

 イギリス王室をめぐっては昨年11月、長年勤めている王室幹部がバッキンガム宮殿に招待した黒人のゲストに差別的発言をして辞職に追い込まれるなど、王室に組織的差別があるのではとの声がネットなどであがった。昨年12月にハリー王子夫妻の英国王室との別れと南カルフォルニアでの新しい生活を綴ったネットフレックスのドキュメンタリー「ハリー&メーガン」(全6話)が公開され、最初の3話はドキュメンタリーでは過去最多の2800万回視聴を超える大ヒットを記録した。

 ハリー王子は回顧録で出版社から少なくとも2000万ドル(約29億円)を受け取っていると報じられている。ただし収益はすべて慈善団体へ寄付されるという。

 公務を退き、殿下、妃殿下の称号も返上しているハリー王子夫妻だが、5月に行われるチャールズ国王の戴冠式に出席が認められるのかどうかに関心が高まっている。ハリー王子は戴冠式への出席を見送ることを示唆している。(武末)

80年代駆け抜けたYMO高橋幸宏氏

ありし日の高橋幸宏さん

 1月11日に脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎により70歳で亡くなったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の元メンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんの訃報は、音楽誌を中心に米国メディアも相次いで取り上げた。

 音楽誌ビルボードは15日付けで、伝説の日本のドラマーであり、YMOの共同創設者、音楽プロデューサーと紹介している。これまでのキャリアに、昨年9月に高橋さんの音楽活動50周年を記念したスペシャルコンサートが開催されたが病気のため出演できなかったことに触れている。オービタル、スパークス、エロル・アルカン、ジュニア・ボーイズ、マウス・オン・マーズ、808ステートなど、数多くのミュージシャンがオンラインで追悼の意を表していると書いている。

 ローリングストーン誌はアルテア・レガスピとダニエル・クレプスの両記者名で「サディスティック・ミカ・バンドとメタファイブにも所属していた影響力のあるミュージシャン」として、高橋氏の音楽キャリアについて詳細な記事を掲載した。サディスティック・ミカ・バンドでは1975年から76年にかけてロキシー・ミュージックのツアーでオープニングを務め、BBCのテレビやラジオに出演するなど、最初に英国で成功を収めたとしている。

 1978年に坂本龍一と細野晴臣との3人でYMO結成。デビューアルバムに収録されたシングル「コンピューター・ゲーム」が英国でトップ20に入り、米国でも注目されるなど「驚きの世界的ヒットとなった」とした。そして、1979年にリリースされた2作目の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」ではクリス・モスデルが英語詞を担当。この作品の成功によってYMOは米国のテレビ「ソウル・トレイン」に出演し、「印象的なパフォーマンスと、いまやバイラル化した高橋と司会のドン・コーネリアスのインタビューが放映された」と紹介している=写真上=。

 多作なアーティストであり、その後もジャンルを問わずに数々のソロやコラボ作品を世に送り出し、2014年にはメタファイブと呼ばれるスーパーグループでツアーも開催。2020年にシングル「環境と心理」をリリース後、腫瘍の脳外科手術のため休養に入るまで音楽活動を続けていたとしている。(武末幸繁)

(写真:ソウル・トレインに出演したYMO(1980年))

アートを通して障害者に希望を与える

アーティスト・アートセラピスト

久徳 裕子さん

 ニューヨーク市でアーティスト、アートセラピストとして活動している久徳裕子さん(31)は、11年前、アートを勉強するために来米した。四年生大学卒業後にアートを使って人に役に立てる仕事はないかと模索していたところアートセラピーのキャリアを見つけ、その道に進むことを決めたという。昨年ニューヨーク大学大学院を修了し、アートセラピストとしてはNYUランゴーン・ヘスルセンター、ボストン・チャイナタウン・ネイバーフッドセンター、マンハッタンの老人ホームなどでセラピーを提供。特に障がいのある子ども、認知症のあるお年寄り、精神疾患のある大人に対してのアートセラピーを提供してきたが、現在はハーレムにある子供の病院でセラピストとして勤務している。

 それと同時にロングアイランドシティーにあるローカルプロジェクト・アートスペースでは昨年アーティストとしても自身の作品を展示発表する2つの個展を開催するなど、クリエイターとしての才能を発揮しながら、その分野を通して社会とのつながりをダイレクトに持てるアートセラピストとしての仕事を両立させている。

 アートセラピーに興味を持ったきっかけは、医者の家系に生まれたので、元々医療の世界に興味があったことと、これまで色々とボランティア活動をいろんな場所と国でしてきたことも影響している。インドのマザーテレサの孤児院と死を待つ人の家、カンボジアの孤児院、バングラデシュの小学校、日本とニューヨークのホームレスシェルターでボランティアをやっていたことがあり、自分の好きな道と社会に役立ちたいという気持ちの両方を満たせる現在の仕事についた。1500時間の実務経験を積みながら、州と全米の国家試験を受けるための準備を進めている。

 セラピーでは、粘土や画材を使って手を動かして作品を作ること患者のニーズに応えるのが目的で作品を作り上げることが必ずしもゴールではない。トリートメントのプロセスを表現するものであっても作品が出来上がるわけではないが、作品を作りたいというモチベーションに共通点を見出すという。

 個展に出品した作品にはブルーを基調とした絵画などが多い。「青色は希望の色なので好きです。可能性を感じる色」という。同じ病でも、治療に希望が持てる患者と希望がないケースとでは、病気の悪化の進み具合や回復の度合いが大きく異なることを実感している。「患者と接することで自分の人生で学ぶことも多く、個人的にそれが芸術表現としての作品にも出ていくことにつながる」と話す。将来は、アートセラピークリニックを個人開業するのが夢で、主に移民と有色人種向けのセラピストとして活動したいという。岐阜県出身の愛知県育ち。(三浦良一記者、写真も)

森大使と州下院議員が来校

NY育英学園、児童と交流、意見交換も

 ニューヨーク育英学園全日制部門(ニュージャージー州イングルウッドクリフス、岡本徹学園長)では1月11日、エレン・J・パーク州議会下院議員と森美樹夫在ニューヨーク総領事・大使の訪問を受けた。この訪問は、パーク議員自身が、自分の選挙区にあるマイノリティーの学校で、子供たちがどのように学び、アメリカでの生活を送っているかについて強く興味をもったことに端を発して実現した。

 NY育英学園に到着後、パーク議員の目を最初に奪ったのは、全日制幼児児童が全員で取り組んだ書初め作品だった。議員、そして大使の背丈程ある用紙に、6年生の児童各自が書きたい字を選んで力強く筆を運んで仕上げた書は、しばらく沈黙しながら視線を上から下へとゆっくり動かす議員と大使に美しさと迫力を伝えていた。

 見学の後半は、議員、大使と幼児児童との交流が行われ、体育室でもちつき大会が始まった。幼児と児童の「よいしょ、よいしょ」の声援に応え、議員、大使共にリズムよく杵を動かして餅つきを楽しんでいた。子供たちからの歓迎に続いて、次はパーク議員による写真を用いた講義が行われた。質疑応答では、議員は、質問をした児童一人一人に「あなたは何になりたいですか?」とたずね、6歳でアメリカに来て、当時は英語が全く分からなかったが、自分が抱いた夢をもち続けるとなりたい自分になれること、どんなことでも叶えることができることを子どもたちに熱く語っていた。森大使からは、アメリカ議会で活躍する人や日本政府を代表する人がNY育英学園の子供たちから出てくれることへの期待が話された。現役の議員と大使を目の前にし、励ましや応援の言葉を受けた子供たちは、うなずいたり、目を輝かせるようにしてじっと注目したりしながら話を聞いていた。

編集後記 2023年1月14日号

【編集後記】
 みなさん、こんにちは。日本は物価が高くなって消費者が大変な思いをしていると連日、日本のニュースでやっていますが、ニューヨークのマンハッタンは、日本のそれと比べると異次元の物価高騰と言えるようです。今日、日系の食料品店の食品棚に並んでいた売れ残りの銀鱈の焼き魚弁当が18ドルの値札がついていました。隣の鰻丼も18ドル。1年ほど前は13ドル以下だったような記憶があります。マンハッタンのお寿司屋さんはどこも右ならえの「おまかせ」ばかりでで1人100ドル以上は当たり前。150ドル、180ドルはざらです。どうなってしまったのでしょう。もう、寿司屋さんはバブリーな富裕層だけに的を絞って、日本人など相手にしていないかのようです。マンハッタンで私が知る限り唯一良心的な寿司店は、グリニッジビレッジにある「ともえ寿司」でした。夜に食べる寿司ディナー38ドルと同じ内容が、ランチタイムのすしランチで19ドル80セントで食べられ、よく行きましたが、昨年夏に店終い。とても残念でしたが、先日ふと、一人で古レコード店を見た帰りに同じ通りにある元の店の前を通ると、「TOMO21SUSHI」(172 Thompson St New York, NY 10012 bet Houston St & Bleecker St)と似たような名前で営業していましたので、どんなものか店に入ってみました。店内も食器もそのまま。オーナーは変わったようですが、  握っている板前は何人かそのままのようで、19ドルだった寿司ランチが25ドルに値上がりはしていましたが、ほぼほぼ内容は同じクオリティで、ネタも大ぶり、北海道網走の有名回転寿司に負けない美味しさでした。元々お客さんがついている店なので、賑わっていましたが、 30ドル以下でカウンターで一人安心して食べられました。他に安心してマンハッタンで食べられるお寿司屋さんがあったら教えて欲しいです。今年は日米ともに「生活を守る年、元年」になりそうです。生活に密着した紙面をお届けしていきますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2023年1月14日号)

(1)ホウクルNY州知事始動

(2)JFKまで片道70ドル タクシー料金値上げ

(3)孤高のラッパーR -NABY 音楽会社を設立

(4)日本映画12本無料配信 国際交流基金が字幕付きで

(5)補習校生に奨学金 在米日系3銀行が支援

(6)ルース・オゼキ氏講演  ドナルド・キーンセンター主催

(7)ヒラリーさん コロンビア大学教授に

(8)フランス・スペイン巡礼 NJのハリー西谷さん

(9)米国のゴーゴーカレー 日本製造事業グループ傘下に

(10)自分の街NYを実感   舞台に立つ高野菜々さん

ホウクルNY州知事始動

物価安定と雇用機会改善公約に

 昨年11月の中間選挙で再選したキャシー・ホウクルNY州知事は1月1日、57代目同州知事として改めて4年間の任務を宣誓した。 

 州都オールバニのエンパイア・ステート・プラザ・コンベンション・センターで行われた就任式には2000人以上が出席し、ホウクル同州知事は「前例のない逆境においても、常に留まることなく、耐え、勝利していく」と伝えた。女性初の同州知事としては「今日の日は、乗り越えられないバリアは無いと実感しながら成長していく、これからの若い女性たちのためにある」と話した。また政策としては「低物価や雇用機会を求めてNY州を離れていく人たちの傾向を反転しなくてはならない」とし、治安、人口減、消費者購買力、平等に重点を置くことを公約とし、市民の一致団結を呼びかけた。 

 ホウクル氏は、アンドリュー・クオモ前同州知事が複数のセクシャル・ハラスメントやコロナ禍の高齢者施設での死者隠蔽疑惑で辞職し、2021年8月に副知事から正式に州知事に就任した。ホウクル氏は、6人兄弟の家庭で育ち、シラキュース大学卒業後、アメリカ・カトリック大学で法学博士号を取得した。同州ハンバーグ市庁舎で14年務めた後、エリー郡書記官となり、11年に下院特別選挙で勝利した。 

JFKまでタクシー片道70ドルに

街に活気、運賃値上げ

 ニューヨーク市のタクシーが年明けから運賃を平均23%値上げした。初乗り料金は50セント値上がりの3ドル、走行時速12マイル以上で走行した場合の距離加算は、5分の1マイル当たりで20セント増の70セントとなった。

 マンハッタン〜空港の運賃は、ジョン・F・ケネディ国際空港間の定額は18ドル増の70ドルに、ラガーディア間のサーチャージは5ドル、ニューアーク間のサーチャージは2ドル50セント増の20ドルとなった。

 タクシー&リムジン協会(TLC)は昨年9月、ドライバーの収入を33%引き上げることを理由に運賃値上げ案を提出し承認されていた。ウーバーやリフトなどのアプリ配車サービスの運賃に関しては、TLCが18年に制定した最低賃金制に伴い、1分当たり7%増、1マイル当たり24%増で、例えば7・5マイル、30分の運賃は2ドル50セント増の27ドル15セントとなる。アプリ配車サービスの値上げは、昨年2月に続き2度目となる。 ウーバーの登場とコロナ禍のダブルパンチで打撃を受けた業界への救済となる。

孤高のラッパーR-NABY、音楽会社設立でアーティスト発掘孤高のラッパーR-NABY、

 ニューヨークの第一線で活動する日本人ラッパー 、R-NABYがこのほど、音楽会社、ブランディング・ゼロ・インク(BrandingZero,Inc.NYCD Recordings、本社ニューヨーク)を設立した。設立後初となるメジャー4枚目のリードアルバム「あなたのバースデー」を2月5日に発売する。また、同社が発掘した日本人アーティスト AYAKA.a.k.a.Mossanもセカンドシングル 「Time Will Tell」をザ・オーチャード・ミュージックから1月14日に発売している。

 コロナ禍以前には年間200回以上もライブステージに立ち続けたR-NABY。その活動を認めた「キング・オブ・ブルックリン」の異名をもつレジェンド・ラッパー“Maino”との出会いから、奇跡のコラボレーション楽曲「Take A Chance」を21年8月にリリース。一躍NYでの最重要日本人アーティストとして注目され、米国で言語や人種の壁を超えて認められた「孤高のラッパー 」としてすでに一部では伝説化している。

 ニューアルバム「あなたのバースデー」は、亡くなった友人に向けて書いた曲。R-NABY自身が作詞している。

 また同社契約歌手の AYAKA.a.k.a.Mossanは、88年8月生まれ。大阪出身。来米から8年のキャリアを経て、22年11月からNYCD Recordingsとレーベル契約を結んだ。闘うすべての仲間たちへ伝えたいメッセージとして「頑張りすぎる美学は置いて、今は少しだけ休息にも目を向けて」と歌いかける。

 R-NABYが会社を設立したのは来米から10年目となる昨年9月。「お金と勇気を使い、遠い日本からわざわざ夢を叶えるために海外に来てるのに、大勢のアーティスト達がメジャーになるという夢を叶えることなく歳だけを取ってキャリアを終えて行くのを見て来た。だったら俺がその架け橋になれば良いかなと思ったんです。俺自身もキャリア10年目で、頑張りが効いたのか運が良かったのかは分からないけどメジャーと言う看板(当時はユニバーサル)と契約ができた。命かけて頑張ってるなら、人生に1回か2回は チャンスがあっても良いじゃないかってこと」と熱く語った。

問い合わせrnabymusic@gmail.com

ウェブサイトhttps://www.instagram.com/r_naby_official_nyc/