【今週の紙面の主なニュース】(2023年9月2日号)

(1)邦人殺害の有罪判決棄却 砂田敬さん銃撃事件から30年

(2)球場で日本伝統文化祝う  大谷・千賀対決実る

(3)プレッピー時代の再来 イケメン男子服飾Q&A

(4)原発水海洋放出雨 海外日本人サポート

(5)消された奴隷少年の肖像画 原画に戻して展示に

(6)JAPAN STORE 出店 アマゾンとジェトロ共催

(7)Ka-Na (植村花菜)4年半ぶりにコンサート

(8) 心の叫びを書で芸術表現

(9)バスキアコレクション ウイスキーNYで発売

(10)JAPAN Fes 夏祭りとして開催

邦人殺害の有罪判決棄却

砂田敬さん銃撃事件から30年

NY州最高裁が判断、遺族困惑

 クイーンズの州最高裁判所のミシェル・A・ジョンソン判事は8月24日、1994年8月に市内クイーンズ区で発生した日本人男性、砂田敬さん(当時22歳)の銃殺事件で有罪となった元服役囚の男性2人の有罪判決を破棄した。無罪が確定したのは、アーモンド・マックロードさん(50)とレジナルド・キャメロンさん(49)。裁判官は、94年クイーンズの取調室でマックロードさん(当時20歳)とキャメロンさん(当時19歳)は捜査を担当したカルロス・ゴンザレス警部に強要されて罪をかぶったと判決理由を述べ、裁判官として異例の謝罪の言葉を口にした。マックロードさんは1月に釈放されるまで29年間服役し、キャメロンさんは殺人罪の棄却と引き換えに第一級強盗の罪を認め、2003年に仮釈放されるまで約9年間服役した。法廷で発言を許されたマックロードさんは「1万日と607日。29年と15日は、私にとって辛いものでした」と述べた。キャメロンさんは「汚名が晴れたことは喜ばしいが、刑務所内で負った顔のこの傷跡は直らず、それが原因でうつ病となりました」と右頬にある長さ15センチほどの線を指差した。

(写真上)弾痕に触れる砂田さん(1994年9月16日)、事件解明に全面協力を約束したジュリアーニ市長(同月15日、写真は共に三浦良一撮影)

 1989年以来、全米の冤罪総数3361件のうち約400件が虚偽の自白によるものであり、そのうちニューヨーク市では少なくとも230件の冤罪が証明されている。クイーンズ地区検事局が2020年に有罪判決完全性ユニットを立ち上げて以来、ブラック・ライブズ・マター(「黒人の命も大切だ」、BLM)運動の高まりと並行するようにこれまで102件の有罪判決が取り消され、そのうち86件は警察の不正行為に関連したものとされた。

 事件当時47歳だった被害者の父親、向壱さんは今年77歳になった。冤罪の知らせを福岡の自宅で知った砂田さんは本紙のEメールの取材に「出口の見えない深い闇夜に落ちた心境です。有罪判決を見直す組織は警察の不正を世の中に晒す効果はあるのでしょうが、消えた真犯人、真実は暴露されず遺族には耐えられない苦痛です。一瞬にしてコンパスの効かない闇夜に捨てられ彷徨う心境です」。

事件30年後の大転覆

砂田事件の有罪判決棄却
「誰が息子を」困惑の父

 銃撃事件を当時報じたニューヨークの地元邦字紙「ザ・ヨミウリ・アメリカ」(2003年に廃刊)の1994年(平成6年)9月23日号には、砂田敬さん銃撃事件の現場の様子が生々しく記載されている。

敬さん(当時22歳)

 「敬君の乗ったエレベーターのモニターは事件当夜、壊れていて作動していなかった」。事件を担当し、容疑者を逮捕したゴンザレス警部の言葉を耳にした砂田さんは一瞬表情を硬らせた。ニューヨーク市警110分署の署長らに伴われて16日、クイーンズ区レフラックシティーのアパート事件現場を訪れた砂田さんが、担当刑事から事件発生の経過説明を受けている時だった。同警部の話によると、事件があった8月4日午後11時半ごろ、被害者、砂田敬さん(当時22歳)は、ロビーにいた男性2人(アフリカ系)を不審に思い、普段はボクシングのトレーニング代わりに17階まで非常階段を使ってランニングしながら部屋に行くのに、この時は、エレベーターに乗った。犯人2人が敬さんに続いてエレベーターに乗り込んだ。敬さんは4階で降り、エレベーター前で揉み合いになりそうになり、左側にあった非常階段へ逃げた。後を追った犯人が非常階段を駆け上る敬さんを振り返り際に発砲、弾丸は右目から後頭部に貫通し、敬さんは階段から崩れるように踊り場に倒れた。階段を4段上がった高さ1メートル70センチほどのところに直径約2センチほどの銃痕が事件から43日たった後にも生々しく残る。

事件から25年たった2019年秋、同時多発テロのグラウンドゼロを訪れ慰霊碑に手を触れる砂田さん

 「怖かっただろうな、こんな所で」。息子が凶弾に倒れた現場を初めて見た向壱さんは唇を噛み締めた。警察署長、NY日本総領事館職員、遺族、報道関係者、警官と突然の大勢の訪問者にビルの管理責任者が慌てて飛んできた。向壱さんは、別棟の地下にある集中警備室に案内してもらい、エレベーターのモニター設備の説明を受けた。

 「モニターが作動していなかったと聞いているが」と向壱さんの質問に、警備担当者は「モニターは流しっぱなしで、録画はしていないので分からない」と答えた。ゴンザレス警部が「我々の捜査では当初、このモニターが作動していなかったことが判明しているんだ」と割って話すとビル責任者が「事件はエレベーターの外で起こっており、エレベーターの中では何も起こらなかった。たとえ当夜モニターが作動していなかったとしても、銃撃事件とは関係ない」と説明した。

 ジュリアーニ・ニューヨーク市長(当時)は、15日砂田さんに遺族の知らないところで検事局と被告が司法取引などをしないこと、裁判や捜査資料の提供もできる範囲で最大限協力することを約束した。

日本の伝統文化、球場に大谷登場

シティフイールド沸く

 メッツの本拠地シティフィールドで8月25日、夏の恒例ジャパニーズ・ヘリテージ・ナイトが行われ、大谷選手のいる対エンゼルス戦が行われた。

 試合前の式典でニューヨーク総領事の森美樹夫大使が始球式を行った。来場したファンには記念の野球帽が配布され、スタンドには多くの日本人ファンが詰めかけていた。朝から降っていた雨も試合前には止み、前日右肘の靭帯損傷が明らかになった大谷選手が怪我をして最初の遠征でやってきた。大谷は当面、右肘の状態を見ながら指名打者として出場を続けることになった。大谷がNYに来るのは初めてではないが、試合前のアップをするためグラウンドに大谷の姿が現れると3塁側観客席から大きな歓声と拍手が上がりスタンドが波を打った。この日、メッツの先発、千賀と大リーグでは初対決が実現した大谷。プロ野球時代の2017年以来の対戦となる試合は、1回最初の打席はフォアボール、第二打席は3回ノーアウト1塁の場面で今シーズン23本目のツーベースヒットを放ち、打球速度185・7キロの痛烈な当たりとなった。このヒットを足掛かりに先制したエンゼルスが勝利した。

 この日、ホームグラウンドのチーム、メッツは負けたが、怪我で姿を見るのは無理と諦めていた大谷が出場して2度打席に立ち、待望の「千賀vs大谷」対決も実現、日本人ファンにとっては大満足のジャパニーズ・ヘリテージ・ナイトとなった。

(写真)試合前に日系団体の代表が紹介された。左から国歌斉唱した歌手の前嶋利菜さん、始球式で投球した森NY総領事・大使、捕手を務めた佐藤NY日系人会会長、和田知徳JCCI会頭、テリー・スズキUSJC NY支部チェアマン、キャサリン・バンナイ全米日系人博物館評議会委員、ゲイリー・モリワキJS理事(8月25日、写真・三浦良一)

プレッピー時代の再来

 思い起こせば中学生の時分、千代田区内幸町にあったNHKラジオの教育番組に出たり、アメリカの高校に短い間でしたが御世話になったりと、「キチンと装う」ことに自然に関心を持つ様になったのでしたが、中でも16歳の夏、NY州Warwickという小さな街でのキリスト教会の研修でボタンダウン・シャツを生まれて初めて、それも偶然身に着けたことが服装に関心を持つ最大のキッカケであったのかもしれません。周囲の大人たちから質問攻めにあったのです(笑)。日本人もこういうシャツを着るのか? 父親は弁護士か?などなど聞かれた本人は呆然、お手上げの状態

(笑)。

 1976年はアメリカ合衆国建国200年という正に記念の年、アメリカとは?  建国の理念、歴史、ルーツを今こそ見直そうという空気に国全体が満ちていました。その中にヨーロッパの伝統に範を取りつつもアメリカ独自の解釈即ち階級意識の希釈、着心地など実用性、汎用性そして耐久性等を考慮、向上させたアメリカン・トラディショナル・クロージングの見直しも含まれていたのです。

 1970年代前半はメンズ・ファッションもサンローランやディオール、カルダンらフランスのデザイナーがトレンドを牽引しておりましたが、半ば以降様子が変わり、ダウン・ヴェストやネル・シャツ等ヘビーデューティー、アメリカン・オリジナルなデザインに注目、人気となり、かのラルフ・ローレンもこの時期以降急速にメジャーとなっていったのでした。

 その様な時代の流れの中、アイビーやアメリカン・トラディショナル・ファッションが再び注目されることとなったのですが、このタイミングで「時代性」が一つ加わることになったのです。それがPreppyプレッピーでした。

 PreppyとはPreparatory School即ちアイヴィーリーグの大学に入ろうとする予備校的名門私立のハイスクールの生徒さん、といった意味ではあるのですが、当時はそれよりも良家のお坊っちゃん、お嬢ちゃんというニュアンスが優勢だったのと富裕層故、若いのに良い素材、良い生地の服を身に着けているという「やっかみ」的感情もなくはなかったのです(笑)。

 加えて次の2つの要素も大きなポイントでした。まずハイスクール故、大人の定番的着こなしに影響されない自由でクリエーティブなコーディネート、そしてそれまであまり一般的ではなかった独特の色の組み合わせ、例えばピンクとグリーン、オレンジとブラウンなど。僕も大学生の頃フランス製ラコステのダーク・グリーンのポロシャツにピンクのブルックスブラザーズのオックスフォード地ボタンダウン・シャツを重ね着、チノパンツはバリー・ブリッケンとかやっておりました(笑)。全て上質の天然繊維で創られていることが鍵でもあったのです。「締め」の足下はオイルドレザーの手縫いのモカシンやローファー、トップサイダーのデッキシューズも合わせました。

 Preppyに関して大きな話題となった本が1980年秋に出版されました、タイトルはなんと”Official Preppy Handbook”(笑)。

 長い前置きとなりましたが、ほぼ半世紀近い時の流れを経て、21世紀版Preppyが新ためて注目され出している様です。

 今後の流れに注目したいと思いますが、カジュアルな服においては、前回と比べて女性が男性物のSサイズを着たり、マドラスチェックにシアサッカーといった柄物同士を組み合わせてみたり、撥水性やストレッチ性に優れた合成繊維を取り入れたりといった傾向が見られるようです。

 そうそう、サイズ感ですが、最近はアメリカにおいても日本においても以前とは違って適度なゆとり、リラックス感あるサイジングが人気のようです。

 それではまた次回。 

けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス.カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。

原発水海洋放出、スリーマイルと福島の違い

 東京電力は8月24日福島第一原発の汚染水を浄化した「処理水」の海洋放出を始めました。国際原子力機関(IAEA)の「国際的な安全基準に合致する」との「お墨付き」を得ての決定です。しかし、政府の「関係者の理解なしには放出しない」との約束は「反故にされた」、「科学的な『安全』と消費者が考える『安心』は同じではない」という漁業関係者の不安が拡大しています。

 韓国では、日韓関係重視の政府が理解を示す一方、最大野党の代表が「第2の太平洋戦争」と訴えるなど抗議活動が起きています。

中国政府は日本からの水産物輸入を全面的に停止しました。日本人学校に石や卵が投げ込まれ、日本製品不買運動や日本国内の食堂などに対するいやがらせ電話が起きています。中国の原発から排出されるトリチウムは福島の放出量の約10倍という事実を棚に上げての蛮行です。

 多くの国民や諸外国に影響を及ぼす政策決定には多様なステークホルダーとの双方向コミュニケーションが不可欠です。

 アメリカのスリーマイル島原発も、当初NRC(原子力規制委員会)やGPU(原子力事業者)は処理水を河川に放出する方針でした。しかし、住民の反発が強く、ランカスター市がNRCとGPUを提訴し、その後両者の間で和解が成立しました。市民助言パネルが設立され、自治体の代表者、科学者、州政府担当者、市民が参加し、報道機関に公開されました。約十年後に処理水を蒸気化する大気中放出が決定されました。この方式は必ずしも住民に歓迎されないものの、多くの関係者が決定に参画できたのです。

 私は2013年に世界で初の核廃棄物の最終処分場となるフィンランドの「地下岩盤特性調査施設」(オンカロ)を視察しました。原発企業は自社から発生する核廃棄物を安全に処理・保管する義務を課す法律があるのです。核廃棄物が無害となる「10万年間」地中に埋めるのです。この企業の社長は「透明性と情報開示を徹底している。見学者を説得するのではなく、現場を隠さず見てもらう。反対する人々の意見も謙虚に聴く」と述べました。

 福島原発の海洋放出は2040年までの廃炉が前提ですが、延びる可能性もあります。何代後の首相や東電社長が責任を持てるのでしょうか?    ましてや10万年後の地球に? 原発とはそうした代物(しろもの)であるとの対応が必要です。

 ふじた・ゆきひさ=慶大卒。世界的な道徳平和活動MRAや難民を助ける会で活動した初の国際NGO出身政治家。衆議院・参議院議員各二期。財務副大臣、民主党国際局長、民進党ネクスト外務大臣、横浜国立大講師等歴任。アメリカ元捕虜(POW)の訪日事業を主導。現在国際IC(旧MRA)日本協会会長。岐阜女子大特別客員教授。

消された奴隷少年の肖像画 、原画に戻して展示に

 奴隷の黒人少年の姿が消された後、非公開となっていた19世紀の白人家族の肖像画が今秋、メトロポリタン美術館で半世紀ぶりに展示されることになった。 

 フランス人肖像画家ジャック・ギヨーム・ルシアン・アマンの同作品「ベリゼールとフレイ家の子供たち」(1837年)には、ニューオリンズのフレンチ・クオーターに住む裕福な銀行家フレドリック・フレイの子供たち3人と、その横に15歳の黒人青年ベリゼールが描かれている。ベリゼールは6歳の時に同家族に買われたという。美術品売買サイトのアートネットは同作品について「奴隷という立場に関わらず、4人の子供たちの親密さと、ベリゼールは大事な家族の一員であったことを象徴している。しかし19世紀のある時点で誰かが彼の姿を塗りつぶし、フレイ家の歴史から彼の存在を消しただけでなく、奴隷となった人物の貴重な肖像画をも覆い隠してしまった」と伝えている。 

 修正された同作品は、一世紀以上フレイ家が保管していた。その後、母系家族の子孫に当たるコラリー・ダノイ・フレイさんが1972年にニューオリンズ美術館に経緯を説明し寄贈したが、放置されたままだった。14日付のNYタイムズ紙の記事は、同美術館の館長が展示しなかった理由について「展示できる状態ではなく、当時の作家も子供たちも知られた存在ではなかったため」と話したことを伝えた。同作品は2005年にニューヨークのクリスティーズで競売にかけられ、バージニア州の古美術収集家が7200ドルで落札し、修復作業が始まった。さらに21年に、ルイジアナ州の美術品収集家バトン・ルージュ氏とクレオール子孫のジェレミー・K・シミエン氏が買収し、同作品を完全な原画の状態に復活させた。シミエン氏は同作品をニューオリンズ美術館に戻すことを検討したが、粗雑な扱いを不快に思い、今月初頭にメトロポリタン美術館が取得することが決まった。同美術館は同作品について「黒人個人が雇主の白人家族と描かれた、最も珍しく詳細な米国の肖像画のひとつである」と伝えている。 

 一方シミエン氏は、自身の先祖と同様の立場であったベリゼールのその後の足取りを調べるキャンペーンを発足し、調査の結果、ベリゼールはフレイ家の子供たちよりも長生きしたことがわかった。肖像画に描かれている姉妹、エリザベスとレオンティーヌは1837年に黄熱病で死去し、弟のフレドリックも数年後に亡くなった。ベリゼールは南北戦争時代まで生き延び、北軍ユニオンがニューオリンズを占拠する直前の61年まで、ニューオリンズの在住者リストに登録されていたが、その後の生涯はわかっていない。

JAPAN STORE出店

アマゾンとジェトロ
ジャパン・フェスで共催

 米オンラインショップ・アマゾン(Amazon.com) 内のマーケットプレイス「ジャパンストア」が、8月26日・27 日、イーストビレッジで開催された日本食ストリートフェスティバル「ジャパン・フェス」にポップアップを出店した。ジャパンストアは、アマゾンでキッチン用品から雑貨・美容品、趣味のアイテムまで、8つのカテゴリーで日本製品を取り扱った。同プロジェクトは日本製品をアメリカで広くプロモーションすることを目的に、アマゾンとジェトロが共催している。

 同ポップアッププログラムは2022年にスタートし、通常はオンライン上で見て購入を検討するジャパンストアの商品に直接触れることのできる場を提供している。ジャパン・フェスのポップアップ出店では100点の商品を展示、新規参加企業を含む計40社以上の製品を実際に体験することができた。会場で気に入った商品を見つけたら、商品の横に設置されているQRコードを読み込むことでアマゾンサイトからその場で商品を注文できる簡単なシステムが人気だ。昨年は、2日間の商品構成をアウトドアと化粧品などテーマに分けて分離したが、今回は特にカテゴリーに分けずに展示した。和食器や木製の3Dパズルなど作って見て楽しめるクラフトやドラゴンの一筆描きなども関心を呼んでいた。10月7日(土)にも出店する予定。詳細はウェブサイトhttps://www.amazon.com/b/ref=usjs_offline?ie=UTF8&node=23593669011

Ka-Na(植村花菜)4年半ぶりにコンサート

 ニューヨーク在住のシンガーソングライターKa-Na(植村花菜)が9月11日(月)午後7時から、ライブハウス「ジョーズ・パブ」(ラファイエット通り425番地)にて、コロナ後、初のソロ・コンサートを行う。前回(19年1月)と同様に、ニューヨークで活躍する一流ミュージシャンたちがバックを支える。同ライブ後は第2子出産の為、しばらく演奏活動を休止する。後援はCATCH US PERFORMING ARTS (CUPA)。

 植村は8歳の時、映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観て、歌手になる事を決意。19歳でギターと作詞・作曲を始め、路上ライブを行う。2002年、大阪で開催された「ザ・ストリートミュージシャン・グランプリ02」で1200組の中からグランプリを獲得し、05年5月に「大切な人」でメジャーデビュー。10年3月に発表した「トイレの神様」がロングヒットを記録、日本レコード大賞の優秀作品賞と作詩賞のダブル受賞、NHK紅白歌合戦の初出場も果たした。16年末にNYへ移住。19年にはスティーブ・アダボ(スザンヌ・ヴェガ)を共同プロデューサー、アリ・ヘストを迎え英語曲を中心に7曲入りEP「Happiness」をリリースした。

 入場料は25ドル。チケット・詳細はウェブサイトhttps://publictheater.org/productions/joes-pub/2023/k/ka-na/

心の叫びを書で芸術表現

書彩家

結 鶴さん

 アート・インキュベーションシリーズ3「STEPPING INTO A WORLD」が8月22日から27日まで、ギャラリーマックスNYで開催された。同展は、エミー賞放送作家の安達元一とNY在住キュレーターの佐藤恭子による展覧会第3弾。公募参加した176人から日本で活躍しているアーティスト18人の一人として今回参加した。会場でデモンストレーションも披露した。テーマは「書で人生を彩る、人とひとを結んでいく書」。山口県萩市出身。東京学芸大学教育学部を書道専攻で卒業し、在学中に師範免許を取得。「書によって人と人が結ばれていく」書の魅力を多くの人に伝えたいという思いから卒業後は書のイベント活動、ワークショップ、ライブパフォーマンスなど多方面においてフリーランスで活動してきた。結鶴書道教室を主宰し、学校書道教育にも講師として携わっている。伝統的な書から、自身の経験や思いを乗せて表現する「魂シリーズ」の書まで、芸術である書の可能性を追求し続けて創作を続けている。これまでの活動経歴を見るとハート・アート・イン・リスボンで日葡文化交流芸術賞(2016年)、2017年のミラノ「いとをかし展」作品展、台北「台日芸術博覧会」作品展示などの海外展ほか、銀座三越ギャラリーでの「岡田泰展」作品展示(2019年)や「書彩展 変わるもの・変わらないもの」展を主催(2019年)などパンデミック前まで精力的に活動を展開してきた。久々の海外展で初のニューヨークでのグループ展での参加となった。入選作品「深淵」は心の底から溢れ出る言葉を紡いだ作品。追憶、懺悔、自己肯定。書くことによって、心を動かすことへの喜び、生きる希望をも見出している。言葉が地から天に立ち昇っていくさまのようでもあり、逆に天から地に溢れてくる言葉の流れのようでもある。

 多数の受賞歴があるが、最近では2019年に国立新美術館で開催された「第6回躍動する現代作家展」で最優秀賞、2020年「優秀賞」 、昨年は「躍動する現代作家賞」を受賞している。書を使った創作活動がアートとして昇華する。それは自分の中の心の叫びを書に託した表現から新たな世界へ旅立つことを意味する。実力をいかに芸術作品として海外の美術家の目に止まらせていくか。描く作家とそれを見るものとの間で交わされる魂の音叉の共鳴以外にはないということを実感し、鶴のようにNYを飛び立っていった。

 (三浦良一記者、写真も)

 

バスキアコレクション、ウイスキーNYで発売

 1980年代、マンハッタンのグレートジョーンズ通りの自宅兼アトリエで多くの作品を制作したアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキア。そのすぐ近くにあるウイスキー蒸留所「グレートジョーンズ・ディスティリング・カンパニー」は、バスキアをフィーチャーしたウイスキー「バスキアコレクション」や限定グッズの販売を開始した。

 バスキアコレクションは「ダイノ(Dino)」「スカル(Skull)」のストレートバーボンと、同店限定品「ピノー・デ・シャラント」の3種類。アパレルコレクションは、ダイノのシャツ、スカルのパーカー、バスキアの有名な王冠のモチーフが付いたベースボールキャップなど。オンラインオーダーも可能。

 また、ポップアップの「バスキアバー」のオープンや、10月1日(日)までの毎週木〜土曜は「ディスティリングニューヨーク×バスキアVIPツアー」も開催。バスキアとグレートジョーンズ通りとのつながりを学びながら、蒸留所限定バーボンの試飲や、80年代のニューヨークにインスパイアされたオーダーメイドのカクテルやフードが楽しめる。約1時間のツアー、参加費はひとり55ドル。同蒸留所は毎日午前11時から午後11時までオープン。


Great Jones Distilling Co.

686 Broadway

New York, NY 10012

Tel: 332-910-9880

JAPAN Fes、夏祭りとして開催

浴衣コンテスト開催
16、17日は粉もんコンテスト

 今年、全21回開催されている日本のストリートフェア「ジャパンフェス」の14・15回目となる8月26日、27日は、毎年人気の「夏祭り」として実施された。会場は両日ともにイーストビレッジで、26日はブロードウエー8〜10丁目にて、27日は4番街9〜11丁目で行われた。

 浴衣コンテスト、ヨーヨーすくい、日本の屋台の食べ物のほか、日本から2ベンダーが参加。またオンラインストア「ジャパンストア」が特設ブースを出展した(記事9面に)。

 当日浴衣を着て来場した人にジャパンフェス・オリジナルデザインのうちわが進呈され他。浴衣コンテストはオンライン投票形式で、参加方法はインスタグラムのストーリーにジャパンフェスで浴衣を着て撮った写真または動画に#summerfesをつけて投稿。審査はイベント終了後に、ジャパンフェスのインスタグラムに再投稿され、フォロワーによる投票が実施された。浴衣コンテスト参加者先着15人に手ぬぐいがプレゼントされた。

 ニューヨークの「粉もん」キングを決める、ジャパンフェスの第5回「粉もんコンテスト」が、9月16日(土)と17日(日)にチェルシーにて開催される。 この日のために日本から本場大阪のたこ焼きの名店「Goonies」、本場広島のお好み焼きの名店「電光石火」、静岡から富士宮焼きそばが参戦。来場者の投票により優勝者を決定する。

 さらに、熊本から熊本発祥の黒酢を使ったチキン南蛮の名店「たかもとや」や、仙台から昔ながらの懐かしのナポリタンの名店「ハングリーハングリー 」も来米。この週末しか食べられない日本の味が楽しめる。

 会場は16日が8番街15〜17丁目、17日が6番街24〜26丁目の路上。チェルシーの2つのブロックが歩行者天国となり、2日間にわたって開催される。和牛、ラーメン、焼き鳥など、計130店が集結する。詳細は公式サイトhttps://www.japanfes.com