【今週の紙面の主なニュース】(2023年9月16日号)

(1)都立中央図書館に本紙所蔵 国会図書館に次いで一般閲覧

(2)国連日本庭園を守る 東京農業大学OBが剪定

(3)レストラン日本創業60周年

(4)魂ネイションズ タイムズスクエアに旗艦店 

(5)JAA ヘルスフェア 大人の教養講座

(6)佐藤正明 フリーズ・ソウル展出品

(7)花と歌の祭典 カーネギー無料公演10月2日

(8)9.11の真実を求めて  父親が書いた解説書

(9)アートをNYファッション週間で披露 土佐尚子さん

(10 ) 越境の和洋融合世界 川井郁子が「響」NY公演

都立中央図書館に本紙所蔵開始

国立国会図書館に次いで一般閲覧

 本紙「週刊NY生活」は、東京都港区南麻布にある都立中央図書館に閲覧所蔵海外新聞として所蔵されることになりました。同図書館は、1973(昭和48)年に、都立日比谷図書館の蔵書を引き継いで開館し、蔵書数は国内の公立図書館では最大級の約225万冊を所蔵しています。このうち、新しい図書を中心に約35万冊を開架しています。来館者への閲覧サービスや調査研究への支援、都内公立図書館に対するレファレンスの支援や資料の貸し出しなどを主な業務として、サービスを提供しています。

 本紙は、すでに国立国会図書館(千代田区永田町)と東京大学の本郷と駒場の両図書館でも閲覧が可能ですが、今回、都立中央図書館で本紙が閲覧可能になったことで、さらに海外と日本の読者に必要な情報を伝えていくという創刊の使命に専念して参る所存です。 

    ニューヨーク生活プレス社

国連日本庭園を守る

東京農業大学OBの皆さん国連総会前に来米し剪定

 ニューヨークの国連本部ビル正面に、石庭風の日本庭園ができたのは2000年秋。この庭園を設計したのはボストン在住の日本人造園家、阿部紳一郎さん(72)だ。今月12日、阿部さんの母校、東京農業大学の卒業生OBたちが、この日本庭園に咲く楓の剪定作業を行った。翌日に控えた国連平和の鐘の式典に備え、日本からボランティアでやってきたものだ。参加したのは、1974年前後に同大を卒業した阿部さんの同窓生ら9人。国連の日本庭園を同大OBが剪定するのは4年ぶり2度目。2度目の来米者も5人いる。

 今回初参加で50年ぶりに庭園で再会した同窓生もいて旧交を温め意気投合。皆、日本で卒業後はそれぞれ造園関係の事業などを営み、70代となった現在はすでに現役を引退しているが、そこは昔とった杵柄、地下足袋に半被姿で剪定バサミを持てば、元気な植木職人のようにてきぱきと仕事をこなす。ほぼ全員が日本では造園関係の会社の社長さんだったのも頷ける。

 日本庭園の設置計画が持ち上がったのは1997年。平和の鐘の真下にある大会議室でひどい雨漏りがあり、地上の造成工事が必要となった。この改修を機に平和の鐘を中心とした日本庭園を作ってはどうかと、当時のニューヨーク平和の鐘実行委員会役員の池田修臣氏のもとに国連事務局から打診があった。この平和の鐘は、1954年、中川千代治・元宇和島市長の発案で、当時の国連加盟65か国のコインやメダルと一緒に鋳造され、外務省の外郭団体「国連協会」を通じて寄贈された。毎年9月に始まる国連総会の初日に各国代表部大使が列席し、ときの事務局総長と国連議長が総会開会を告げる鐘を打つことでも知られる。今年は13日に鐘が打たれ、日本から鐘を寄贈した中川氏の六女、高瀬聖子国連平和の鐘を守る会の会長が国連本部からの招待を受けて参列した。

 東京農大OBたちはその前日に庭園の最終手入れを行った。阿部さんによると、日本庭園の地下は大会議場になっており、たとえ戦車が上を走ってもビクともしないが、その会議場の上に作る日本庭園は、屋上ガーデン型の建築スタイルを採用した。つまり枯山水の石庭だが、地面に巨岩を埋めることができないので、庭に設置する岩は、あたかも地面に埋まっているように底を平に切り取っている。庭のデザインは国連旗をイメージし、旗の北極に当たる中央部分に平和の鐘堂を配置、仏教の世界観である「九山八海」(くせんはっかい)を表現。ボストン郊外の農家から大きな御影石などを運んで「海と力強さ」を表した。鐘から放射状に経線を引き、波紋状に緯線を施し、石の間に楓15本を植樹してある。阿部さんは、庭園をデザインするときに心がけることが3つある。空間が持つ個性を生かし、材料の長所を最大限に引き出し、空間に配置するものが作り出す雰囲気を演出すること。「デザインはアートではない。顧客のリクエストにどれだけ芸術性を入れるかでグレードが決まる。機能と芸術の境界線をどこに定めるのかがこの仕事の醍醐味」という。

「綺麗に整っていて美しい」

東京農大OB、国連日本庭園の美しさに感心

 「前回来たときよりも枝が伸びてますね。枯山水の石庭ですから石を見せるようにしないといけません」と話すのは中見宰さん。4年前にもここで剪定作業を行った。今回初参加した中島洋二さんは「綺麗な日本庭園ですね。もみじも綺麗に整っていて美しいです」と感心していた。東京農大OB一行は、国連の平和の鐘の式典に出席したほか、ボストン美術館でも剪定作業を行った。 

 参加者したのは阿部紳一郎さん(ボストンの造園会社ZEN理事)、中見宰さん(地球号自然塾開催・世界に日本庭園を造る・静岡県再参加)、瀬川正明さん(設計工房瀬川開催・居心庭の良い庭の提案・茨城県再参加)、山本誠さん(ウォーターデザインCEO・噴水、池、他 東京都・参加)、中島洋二さん(造園土木会社CEO・個人庭園〜公共緑化・群馬県初参加)、蓑茂寿太郎さん(同大学副学長(了)・全世界の日本庭園及び公共緑化・奈川県初参加)、鈴木隆司さん(鈴隆造園経営・国内〜海外の日本庭園・施工管理・静岡県再参加)、周田康裕さん(周田庭園経営・京都を中心に庭園設計施工管理・京都府初参加)、池田真人さん(山梨県再参加)、遠藤裕美さん(華道、茶道、着物着付け師範・アルピニスト・静岡県初参加)。 

レストラン日本創業60周年、ニューヨークの看板和食店

老舗に新時代、名声をさらに

 ニューヨークの老舗「レストラン日本」が、この夏で創業60周年を迎えた。創業者、故倉岡伸欣前社長の教えを継承する「新生レストラン日本」のスタートは、故ミセス倉岡の実妹である現オーナー、古屋昭代さんに引き継がれた。古屋さんから再度の復帰要請を受けて昨年夏、CEOとして5年ぶりに戻ってきたのが木下直樹さんだ。創業者の倉岡氏は、慶應義塾大学体育会剣道部主将だったが、木下さんも同じ慶應体育会バレーボール部出身の後輩。1979年、レストラン日本に入社し、社会人のスタートを切ったのがNYでの人生の始まりだった。レストラン日本の「名声」をさらに一段レベルアップさせ、「ニューヨークにレストラン日本あり」の存在感拡大の任を託されての再登板。古屋オーナー、木下CEO、そして全従業員が三位一体となり「名門復活」に向け日々サービス向上に努めている。

(写真上)2009年に叙勲し夫人と記念撮影する創業者の故倉岡氏

 「新生レストラン日本」が目指す方向性は、「老舗の名前にあぐらをかくのではなく、常に新しいものを目指す挑戦者たれ!」だ。それは、時代の流れ、お客様のニーズを先取りし、それを料理に反映させること。お馴染みの伝統的江戸前に加え、地球に優しく、食物アレルギーのある人にも配慮した健康食「美味しいビーガン料理」の導入だ。既存のお客様に加え、新しくビーガン客を呼び込み、客層の間口を広げる。「日本食には世界に冠たる精進料理の長い歴史があります。アメリカ人客への啓蒙にも努めたい」と意気込みを見せている。今回の創業60周年記念特別メニューとして通常一人88ドルの「ビーガン会席」を特別料金の60ドルで提供する。(注)期間、数量限定。要事前予約。

食文化通じて日米の橋渡し

食後、東総料理長、福本料理長を労う岸田首相

 レストラン日本の60年の歴史は、戦後の高度経済成長、日本企業の米国進出の高まりと重なり、世界経済の中心都市ニューヨークで「食文化を通じた日米交流の架け橋となってきた歴史」と言っても過言ではない。今日、ニューヨークや全米で美味しい日本食が食べられ、寿司ブームや日本食が普及した陰に先代の倉岡氏の孤軍奮闘の弛まない努力があったことを忘れてはならない。

 倉岡さんがマンハッタンの中心、東52丁目に米国で最初の檜作りの本格的な日本料理店「レストラン日本」を開店したのは1963年8月19日。66年には、日本航空ニューヨーク・東京線就航に伴い、レストラン日本が機内食に初めて和食を納入した。2023年現在、ニューヨーク線は週14便を運航中で、就航以来57年、現在に至るまで、全クラスに和食を提供している。「9・11テロ」、「コロナ禍」の苦難を乗り越えられたのも「JALさんとの長年の信頼のお陰」とは機内食部門責任者の坂田、池端両料理長の弁。

マイケル・ジャクソンも

 1975年には、昭和天皇・皇后両陛下ニューヨークご訪米に際して、NY日本総領事公邸での公式晩餐会の料理を受け持った。89年には、米国に「ふぐ」の輸入をする許可を5年に及ぶFDA(米食品医薬品局)との交渉の末、取得。テレビ、新聞などで大々的に紹介され、今や「ふぐ」はNYの冬の風物詩となっている。90年には、そばの自家栽培に乗り出し、自家製二八そばをカナダ・モントリオールの自家農場で北海道産のそば種を使いそば栽培を始め、レストラン日本、そば日本両店で伝統的な二八そばを出し始め、その人気は現在に続いている。2009年には、秋の叙勲で日本食レストラン事業の先駆者として「旭日小綬章」を受けたが、2017年10月に創業者夫人のミセス倉岡が逝去し、それを追うように翌年1月、倉岡氏が逝去。 

セレブも続々だが気さくなお店

来店したアダムスNY市長を迎える木下CEOと古屋オーナー

 同店は、政治、経済、スポーツ、文化人に愛されてきた稀有の顔も持つ。中曽根康弘元首相以来、岸田文雄首相まで歴代の日本の首相がニューヨーク滞在中には必ず会食を通じた外交の舞台にしているほか、松井秀喜さんやテニスの松岡修造さん、伊達公子さんらスポーツ選手にも愛され、秋吉敏子さん、マイケル・ジャクソンさんら音楽家、アンディー・ウォーホルさん、キャロライン・ケネディさん、マイケル・ブルームバーグ元市長、エリック・アダムス市長ら米国の有名人たちもニューヨークで日本食となるとレストラン日本に足しげくやってくる。でも、だからと言って庶民にとっては高嶺の花の高級料理店かというとそんなことはない。そこには倉岡さんが創業当時から守ってきた教えを今も受け継いでいるからだ。それは、開業当時ニューヨークタイムズ紙随一の高名な料理評論家のクレッグ・クレボーン氏が倉岡さんに言った言葉。「もしニューヨークでレストラン経営を永く続けたいなら、本物(AUTHENTICITY)、良質(QUALITY)、リーズナブルな値段(REASONABLE PRICE)、そして現代感覚の推移に常に眼を開けている事!!」というアドバイスだ。

従業員は世界から、レストランのUN

 最後にレストラン日本の60年の歴史の中で忘れてはならないのが、世界各地から逃れてきた難民の人達の存在だ。命からがら逃げてきて到着したのがNYの地。縁あって初めて働き始めたのがレストラン日本。以来40数年、今日に至るまで地道にレストラン日本の底辺を支えてくれている、セイさん(エチオピア)、レムさん(ベトナム)、チャチャさん(カンボジア)、コーさん(ミャンマー)。サービス部門のノーマさん(フィリピン)、マリさん(台湾)、その他、多くの仲間の助けがあったからこそ、こうして60周年を祝える事ができた。

 天国の倉岡夫妻からは「みんな元気ですか? いつもレストラン日本を支えてくれて有難う!」の声が聞こえてきそうだ。多種多様なルーツを持った人々に支えられてきたレストラン日本はまさに「レストラン界のUN」と言っても過言でない。ドアを開けると「いらっしゃいませ!」の明るい声が今日も聞こえる。(三浦)

 バンダイスピリッツ、魂ネイションズ 

タイムズスクエアに旗艦店出店

 株式会社BANDAI SPIRITS(代表取締役社長:榊原博、本社東京)は、大人向けコレクターズ商品の統一ブランド「TAMASHII NATIONS(魂ネイションズ)」の世界で3番目となる旗艦店、「TAMASHII NATIONS STORE NEW YORK」を9月8日、マンハッタンのタイムズスクエア(ブロードウェー1500番地)に開店した。

 同社はこれまで、マンハッタン5番街に期間限定のポップアップ店を出したりグランドセントラル駅やタイムズスクエアなどで単発的にイベント出店したことはあるが、常設店の出店は米国内では今回が初めて。

 魂ネイションズは2008年のブランド発足以来、「S・H・フィギュアーツ」「超合金」「ROBOT魂」シリーズなど、フィギュアやロボットを中心に豊富なラインアップと高いクオリティの商品を販売し、世界中で多くのファンを獲得している。今年でブランド開始15周年を迎えたことを記念し、東京、上海に続き、米国のカルチャー発信地で世界最高峰のエンターテイメントの集合地であるNYのタイムズスクエアでの出店を実現した。

 タイムズスクエアらしい煌びやかな電光掲示板のサインと、店頭の左右に立つ、ONE PIECEの主人公ルフィと機動戦士ガンダム水星の魔女の主役機ガンダムエアリアルの人間サイズの立像が目を引く同店は、1300スクエアフィート強のスペースに100種類を超す商品がずらりと並べられていて圧巻。ショーウィンドウに陳列されている商品を見ると、アメリカでも知名度の高い人気アニメや特撮映画のキャラや、ヒーロー、怪獣、メカなど、様々な世代のそれぞれのジャンルのファンに訴えかける幅広い商品構成と、アメリカの玩具メーカーでは再現できない、緻密でオリジナル「そっくり」に精工に作り上げる同社の高い技術力が窺える。また、ここでしか買えない限定商品を多く取り扱っているのも魅力だ。

 当日は、バンダイナムコ・トイズ&コレクティブルズ・アメリカ・インクの濱 広太郎代表取締役社長とタイムズスクエア協会のエグゼクティブによるテープカットのあと午前11時に開店した。混雑による混乱を避けるため当日の入店は事前予約制にしたのにも関わらず、店先には同社製品のファンが長蛇の列を作り、最前列の男性は世界一早く発売となった同店限定商品を確実に入手するため深夜0時に一番乗りで待っていたという。

 同社によると、米国での販売権が得られない一部商品を除いた日本での多彩なラインナップの中から、特に米国人に人気の高いものを中心に販売展開していく。中には、スターウォーズ×戦国時代がコンセプトの同社オリジナルのフィギュア「名将」シリーズなど、日本国内より海外での売り上げが高いものもあるという。今後もニーズに応じて商品の入れ替えをまめにしたり限定商品も増やし、ファンへの情報発信基地にするとともに、世界的に有名な観光地の路面店というメリットを生かし、通りすがりのお客さんにも気軽に立ち寄ってもらえるような店を目指すとのこと。同店サイトは、https://tamashiiweb.com/store/new-york

(久松茂、写真も)

JAAヘルスフェア「大人の教養講座」

相続、介護予防、美腸習慣

 ニューヨーク日系人会(JAA)と邦人医療支援ネットワーク(JAMSNET)が共催する第17回秋のヘルスフェア(後援・ニューヨーク日本総領事館)で、日本で人気の有名講師陣がYouTubeで講演配信する恒例の「ライオンズ大学・大人の教養講座シリーズ」第7弾が21日(木)から10月1日(日)まで開催される。講師陣はファーストブランド社(本社大阪市、河本扶美子社長)が運営するマイベストプロ登録の専門家3人。企画はNY日系ライオンズクラブ。

 今回は、一般社団法人日本リレーションサポート協会代表理事の山口里美さんが「家と家の名義の片づけ〜相続登記の義務化迫る!〜」を、介護福祉士の馬場田晃一さんが「世代問わず楽しめる!丈夫な身体へ導く『次世代型介護予防』」を、セラピストの松山友美さんが「シニアの『健幸』ライフ〜明日を変える美腸習慣」をテーマに、それぞれ30分程度講演する。聴講は無料だが事前の申し込みが必要。一度の申し込みで、すべての講演が自由に何度でも視聴できる。申し込みをした人にJAAから視聴先URLアドレスを通知する。申し込みは電話212・840・6942、Eメール info@jaany.org まで。

(写真)左から:山口さん、馬場田さん、松山さん

佐藤正明、フリーズ・ソウル展に「ニューススタンド」油絵出品

 ニューヨーク在住の画家、佐藤正明が、9月6日から9日まで韓国のソウルのコエックス コンベンション・エキシビション・センターで開催された芸術展フリーズ・ソウルに、NYのチェルシーにあるACA画廊から代表作の「ニューススタンド」の中から油彩作品を出品した。同画廊から一緒に出品した作家は現代を代表するアメリカン・リアリズムの巨匠アンドリュー・ワイエス、スーパー・リアリズムの先駆者の一人、ジョン・ベーダー。同展は世界に数あるアートフェアの中でもトップクラスの展覧会として知られる。

昨年のフリーズ・ソウルの入場者は7万人を超えた。今回のフリーズ・ソウルには世界中から120の選りすぐりの画廊が参加した。同展のロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ソウルに出展するには画廊の規模や品格で審査を通らなければならない格式のある展覧会。

 佐藤が所属するACA画廊は、1932年創業のニューヨークで最も古い画廊の一つ。今年本店と同じNYで一番の画廊街となっているチェルシー地区に2軒目の画廊を出店させている。佐藤本人は、スイスでの展覧会から帰ったばかりで、1975年から住んでいるアーティスト専門のWestbethアーティスト・ハウジング(芸術家のみ385世帯)のアトリエがこの7月から倍の広さになったこともあり、現在アトリエの整理と大改装中なので作品だけがソウルに行った。

 佐藤は1941年山梨県甲府市出身。1967年ロンドンのフェザリー ファイン アートに留学。1970年に来米。ニューヨーク・ソーホーの OKハリス画廊で12回の個展。アメリカや日本などで300回以上の展覧会に出品。今年はスイスのJAM画廊で個展開催。

花と歌の祭典

カジキズショー

カーネギーで無料公演、10月2日

 第11回花と芸術の祭典、カジキズ・ショーNYカーネギー公演が10月2日(月)午後7時30分から午後9時まで、カーネギーホール・ワイル・リサイタルホール(57丁目7番街)で開催される。佐賀神楽団と劇団はがくれの織りなす殺陣ショーが「ザッツ・ジャパンここに参上」とばかり舞台で妙技を披露する。予定演目は「対決の杯細胞」。激動の人生を歩んだ侍たちが、今一度己の誇りと刀を持って襲いかかる鬼に立ち向かう。

 舞台出演は、歌手の岡野啓子、ピアノ伴奏の田中友樹子、着物ドレスブーケショーの齋藤祐佳理、シンガーの崎山康成、公演のとりは歌手の岩田みゆき。岩田は佐賀県唐津市出身。2020年3月にLairでメジャーデビュー。カフェルーナレーベル所属で作詞作曲は落合みつを。「心に染みる歌詞、また切なさやハッと心をうたれる曲調、それに私の気持ちを伝える歌を乗せて、聴いてる方々に色んな感じ方や気持ちを伝えたい」と話す。

 着物ドレス・ブーケショーは、日本の伝統衣装である着物を切らずにドレスとして着付ける技術で近年日本でもブームの兆しが見えている和洋の国境を超えたファッションで、海外でも日本文化の新しい提案として今後広がりが期待できそうなコンテンツ。

 入場無料だが、招待チケット制で予約が必要。名前と人数を電話またはEメールで登録して、公演当日午後7時前から会場でチケットを受け取る。予約は電話646・460・6714(西ケ谷さん)、Eメール kj.inter.artist@gmail.com

齋藤祐佳理

父親が書いた解説書

住山一貞・著

ころから・刊

 米国同時多発テロで当時富士銀行勤務だった息子の陽一さんを失った東京都在住の住山一貞さん(86)が、パンデミックを超え4年ぶりにマリ夫人(84)とニューヨークを訪れた。米国がまとめた報告書を日本語に翻訳し、さらに解説をつけた本を住山さんが発行したのは2022年4月だった。事件以来2019年まで毎年来ていた追悼式典。「これが最後かもしれないです」と編集部で語る住山さんは、刊行当時にこう手紙に記していた。

 「私は1937(昭和12)年生まれで、定年まで金属メーカーに勤めましたが、英語とは縁のない生活をしてきました。その私が、膨大なボリュームの「911調査委員会報告書」を翻訳したいと思ったわけを記します。テロ事件から4年後、米議会が超党派でテロ事件の真相に迫った報告書「911調査委員会報告書」と遭遇しました。「遭遇」とは少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、まさにその通りでした。

 私たち夫婦はほとんど毎年、9月11日の追悼式典にニューヨークを訪ねていますが、息子の遺体はほんの小さな断片が発見されただけです。検視官の言葉では、残りはEvaporate (蒸発)したというのです。そうであれば、息子はニューヨークの街の空気の中に漂っている、行ってやらねば、との思いからでした。

 そうして何度か9月11日のニューヨークを訪ね、2004年の追悼式典の帰路、JFK空港の売店に「報告書」がテーブル一杯に平置きされて売られていたのです。全文が英語のレポートなので読み通すのは難しくとも、拾い読みくらいは出来るだろうと、そこから一冊を求めました。息子の遺体が発見されないなか、テロの真相を知りたいとの思いから567ページにおよぶ英文の「報告書」を読み始めました」と。

 米国の報告書なので、日本人のことなど個別の外国人の犠牲者に関する調査などはないため、住山さんが解説で補足してある。「この本を書いた動機は、事件当時、日本でさまざまな陰謀論が沸きおこったことに対する強い反論なんです。また事実と異なるフェイクの流布の再発を阻止する力になるだろうと思ったこと。そしてそれは、犠牲者の方への何よりの供養となる」と述べた。「この本は、日本で買えば4000円近くする高い本になってしまった。アメリカで買ったらきっともっと高くなってしまうのではないかと思い、この本をニューヨーク日系人会に寄贈したいのです。お渡しいただけますか」と頼まれた。自筆で、印刷の訂正漏れをペンで記入して、訂正箇所・住山一貞とサインした。この本は、本紙今週号の書評欄で掲載されたあと、NY日系人会事務局に届けられ、JAAの図書コーナーで誰でも自由に読むことができる。日本語で残された米国の同時多発テロ調査委員会報告書がJAAに残る。  (三浦)

アートをNYファッション週間で披露

京都大学特定教授

土佐 尚子さん

 京都大学防災研究所アートイノベーション産学共同研究部門の代表を務める土佐尚子特定教授が11日、マンハッタンで、セイコーエプソンとの共同研究の成果としてデジタル捺染で作った服をNYファッションウィークで披露した 。斬新な色彩が飛び散ったデザインの衣装をまとった24人のモデルたちが颯爽とランウエーを歩いた。

 今回のファッションショーでは、赤ちゃんの産声などの声の振動を絵の具などの流体に与え、ハイスピードカメラで2000分の1秒で撮影し、その造形がいけばなの型のアシンメトリーな三角形に似ていたので「サウンドオブ生け花」と命名した。これまで自然の中に潜む美を技術を用いて取り出してアート作品にする活動に興味を持ってきた。その代表作が、ビデオアート「サウンドオブ生け花」だった。自然に隠された美を取り出して表現しているため、「日本美を感じる」と多くの世界の人から評価された。実在の生花とは直接関係のない、いわば実験的な産学連携の試みだったが、最初にその理念に理解を示し、ファンになってくれたのが、いけばなの家元である池坊専好次期家元だった。自然を表現することと、それを身に纏うことの本質的な共通点を見出してのことだ。

 1985年に作成した映像作品がニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵され、文化庁文化交流使の際には、タイムズスクエアのビルボード60台に1か月毎夜3分間映像を流す文化交流も行った。そんなアーティストでもある土佐さんはショーの後、「サウンドオブ生け花は、抽象的・有機的な形状のため、性別・年代を問わず着ることのできるジェンダーレス、エイジレスな性質を持っていてSDGsの観点からも好ましいファッションといえます。私はファッション業界の人間ではないですが、今回こうして招かれ、作品を紹介させていただいたわけです。これは大学の産学連携の一つの成果として出したもので新しい価値を創造することを我々、素人集団に委ねられたわけです。肉眼では見ることのできない自然界にあるもの、声の振動、命を着る、元気を着る、勝負服の新しいものを積極的に見てくれるそんな作品を私の第二の故郷でもあるNYで披露できてとても嬉しいです」と語った。(三浦良一記者、写真も)

越境の和洋融合世界 川井郁子が「響」NY公演

 15年ぶりのニューヨークで海外初公演となった「響」。東京、大阪公演に続いて3回目がニューヨークでの演奏となったのは「和楽器と洋楽器のコラボレーションをライフワークとしてやっていて、オーケストラの響というのを本格的に立ち上げたことでぜひこれを海外の人に聞いてもらいたいと思ったんです。ニューヨークは世界中から一番色々な文化や芸術が集まってきている場所。ここが、私が目指している文化や時代を超えた越境の音楽を一番理解してもらえる可能性に満ち溢れた街だと思い、ニューヨークにしたんです」と話す。

 和楽器と洋楽器との融合から何が生まれるのか。「一緒に演奏をしていただいている音楽家の皆さんからは、越境でこそ生まれるこれまで味わったことのないゾーンに入る深い味わいを感じると言われました。そこから生まれる化学反応で、強烈なエネルギーが生まれるんですね。そして音楽の影響だけではない、映像も合わせてこれまでにない感動を受け止めてもらえたならば嬉しい」と話す。

 バイオリンをやりたいと思ったのは6歳の時、ラジオからたまたま流れてきたバイオリン協奏曲に感動したからだった。母親と一緒に洗濯物を畳んでいた時だった。母は賛成してくれたが、父は子どもの気まぐれだろうと、はじめは相手にしてくれなかった。それでもしつこく半年間、バイオリンを習いたいと頼み続けた。クリスマスの日にサプライズで父がバイオリンを買ってきてくれた。それからは父が運転する車でバイオリン教室に通った。小学校高学年のとき、最初に自分の小遣いで買ったレコードはA面がチャイコフスキーのバイオリン協奏曲、B面がメンデルスゾーンの「一番メジャーな組み合わせのレコードでした」と微笑む。あれから歳月は流れたが、あの頃と今も変わらないのは「バイオリンを弾いている時だけは自分を委ねられるという感覚ですね。それがあったから離れられなかったんでしょうね」と話す。少女時代から自分にしかやれないことをやりたいという気持ちを持って育った。それは自分にしかできない表現という形に変わっていく。

 東京藝術大学へ進んだ。クラシックは、作曲家が何を考えて曲を作ったのかを考えてそれを忠実に再現するのが使命とされている。そんな世界の中で、自分という存在の必然性というものがどれくらいあるのだろうかと自問する日々が続いた。昔から考えていた自分にしかできない、自分が表現できる音楽を探したいという思いが募った。そんな時に出会ったのが、あるピアニストから勧められて聞いたタンゴの革命児アストル・ピアソラの曲だった。タンゴをベースにジャズやクラッシックの要素が取り入れられており、ジャンルを超えたピアソラ独自の音楽ともいうべきものに触れ、枠に囚われていたのは自分自身だったことに初めて気づかされた。

 「ああいう音楽の探求の仕方に憧れたんです。自分の一番心に響くものを探求していくという、そういう道に憧れたのが今回の一番大きなきっかけとなったんです」

 音楽家として後世に何を残していくのだろうか。「これから自分のアートや音楽を追求していく若い世代の人に、越境して創作することで生まれる飛翔感や可能性を見出すヒントになってもらえたら嬉しいですね」。(三浦良一記者、写真も)

ジャンル超えた総合芸術

音楽の可能性広げる新たな挑戦

 バイオリニスト/作曲家の川井郁子が率いる和楽器と西洋楽器の混合オーケストラ「響(ひびき)」による初の海外公演「イースト・ミーツ・ウエスト」が、9月9日午後7時から、コロンバスサークルにあるジャズ・アット・リンカーンセンター内ローズホールで開催された。北斎の浮世絵や桜、能など、最新の映像技術(ホログラム)を駆使した演出により、音楽とダイナミックな立体映像が壮大なロマンを演出するコンサートとなった。

 オーケストラ響は、川井が自身のライフワークである越境を体現するオーケストラとして設立したプロジェクト。日本を代表する若手和楽器演奏家たちと現地のオーケストラによる越境のコラボレーションにより、音楽が持つ新しい可能性を広げる新たな存在として注目されている。川井のオリジナリティ溢れる音楽性は、日本人の根底に流れる和楽器の音色と世界的に広く馴染みのある西洋楽器のオーケストラを融合させ、国境やジャンルといったあらゆる垣根を越境し会場を魅了した。出演は川井郁子(バイオリン、作曲、編曲、プロデュース)のほか、和楽器(篠笛、尺八、琴、琵琶、小鼓、笙、ひちりき、和太鼓)、NYフェスティバルオーケストラ、The Ukrainian Chorus Dumka of New Yorkを迎え、国境を越えた平和の響きで祈りを捧げた。会場を唸らせた舞台映像は、上田大樹氏が手がけた。 

 日本からツアーを組み大勢のファンをNYに連れて来て、公演後のパーティーで祝辞を述べて乾杯の音頭をとったデヴィ夫人

Airbnb がNYで禁止に

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。ニューヨーク市は今月5日、住民がAirbnbのようなプラットフォームを使って家を貸し出すことを制限する厳しい新規制の施行を開始しました。自宅を旅行者などに開放して、使ってもらい宿泊費を取るというビジネススタイルは、ホテル暮らしよりは、その街で実際に住んで生活してみるという体験を味わうこともでき、一泊数百ドルもするホテルに何泊もするよりは安価で安心、使い慣れれば、あたかも自分の別荘のように何度もリピーターとして使えるところが人気となって、需要と供給がうまく結びつきビジネスモデルとして定着した感がありました。6日付ニューヨークタイムズ紙によると、市は、Airbnbやその他のプラットフォームを通じた短期賃貸の普及が家賃を押し上げ、ニューヨーク市の住宅不足を助長していると主張しています。新規則はこのプラットフォームに対する「事実上の禁止」に等しいとし、他の批評家は、市はホテル業界のロビー活動に屈し、観光客のための安価な選択肢を締め出していると述べています。9月5日から30日以内にAirbnbを予約した場合、12月1日以前にチェックインする滞在であれば、予約はキャンセルされないですが、12月2日以降の予約はキャンセルされ、返金されるそうです。本来、賃貸住宅として地域住民となるであろう人々に貸し出されるずの「アパートの部屋」を、レントで貸すよりも短期で高い宿泊費を払って宿泊してくれる旅行者や一時訪問者に貸す方が「顧客」としての魅力を大家が感じたとしても理解はできますが、それによって大都市圏の住宅不足を招き、ひいては家賃の高騰を招いているという反対者の意見もまた「一理ある」と思えないこともないです。受給バランスが取れていてビジネスが成り立てば問題ないように見えますが、ホテルが客を取られて損をするとか、既得権益の利権が絡んでいるのでしょうね。個人で部屋を学生に貸して、下宿代を徴収すること自体は規制されるべきものではないですし、今回の問題もその延長線上にある出来事にしか見えないのですが、とりあえずはまあ「ああ、そうですか」と今回の施行の成り行きを見守っていきたいと思います。どうしても借りたい人は、NY市以外は規制されないので、ニュージャージーとかコネチカットで借りればいいかもしれませんね。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)