日本の民主主義の消滅

 英国エコノミスト誌の「2024年世界展望」から初めて日本が消えました。昨年は、一人当たりGDP世界30位、世界競争力ランキング35位など「日本の失われた30年」を表す数字も話題になりました。その日本に激震が起きました。安倍派の約百人の国会議員に5年間で約5億円の裏金が渡ったとされ、官房長官など安倍派の4人の大臣と自民党幹部3人が更迭され、その数人が東京地検の聴取を受けました。

 1989年のリクルート事件では中曽根康弘、宮澤喜一議員など約百人の利益授受が発覚し、竹下登内閣退陣に至りました。これを機に、1994年に政治浄化を目指して金のかかる中選挙区制を小選挙区制に変え、企業献金を廃止して税金による政党助成金制度を導入しました。しかし、今回パーティによる企業献金と裏金方式の実態が噴出しました。

 また、安倍晋三元首相の殺害は、旧統一教会への高額献金による多くの被害者の存在や、「日本はサタンの国」などと主張する韓国の反日的団体の支援を多数の保守政治家が受けていた実態を明らかにしました。

 政治浄化が骨抜きにされ、こうした金と特定団体の支援による選挙地盤が継承され、この30年間で首相の4人に3人、自民党議員の4割弱を世襲議員が占めています。

 民主主義の消滅が根本問題です。三権分立でありながら、近年、首相が省庁、検察、裁判所、日本銀行などの人事権を実質的に行使してきました。しかも、首相は国民に選出された国会議員を、自分に有利な時期に解雇(解散)することもできるのです。

 英国における議員と官僚の接触禁止や、欧米における政府首脳とメディア幹部との会食禁止のルールが存在しないことも、官僚やメディアの中立性を弱めました。日本の報道の自由度ランキングが世界68位という実態や、森友問題で、官僚の政治家に対する忖度(そんたく)から公文書が改ざんされたと言われています。

 国会議員が金や特定の利益ではなく、公正に国民の意思で選出され、その民意に基づき国益を担うまともな民主主義と公正なメディアが必要です。今こそ、外国から与えられた民主主義から自ら関わる民主主義を確立することが、失われた30年から脱却する道です。

ふじた・ゆきひさ=慶大卒。世界的な道徳平和活動MRAや難民を助ける会で活動した初の国際NGO出身政治家。衆議院・参議院議員各二期。財務副大臣、民主党国際局長、民進党ネクスト外務大臣、横浜国立大講師等歴任。アメリカ元捕虜(POW)の訪日事業を主導。現在国際IC(旧MRA)日本協会会長。岐阜女子大特別客員教授。

週刊NY生活の読者の皆さんへ

大江 千里 Senri Oe

 (Jazz pianist, Jazz Composer)

 明けましておめでとうございます。

 円安や物価高の「NY生活」で生活が大変ですが、みなさんはどんな新年を迎えられていますか? きっとそんな中でも笑顔あふれる日を過ごされているのではと思います。僕につきましては昨年は記念になる年でした。ポップスのシンガーソングライターとしてデビューしてから数えて40周年だったのです。林真理子さんがコピーライター時代につけてくださった「スーパースターがコトン、わたしの玉子様」というキャッチフレーズで1983年5月にデビューしました。ジャズピアニスト、ジャズ作曲家としてのデビューは2012年なのでまだ駆け出しですが、それでも11年になります。このように今日までポップスとジャズを通して音楽をずっと続けてこれたことは、みなさんに支えられ応援していただいたからだと思います。

 2023年は、出会いの年でした。新しいアルバム「Class of ’88」を6月にリリースしマンハッタンの老舗ジャズクラブ「バードランドシアター」で公演を行いました。これを読んでる読者の方の中にも当日駆けつけて大きな拍手を送って下さった方がいらっしゃるはずです。本当に嬉しかったし励まされました。

 チャレンジの年でした。記念すべき年だからこそ「新しいチャレンジ」をしました。アメリカの音楽PRを新しいチームと組みました。元NYのブルーノートレーベルのプロデューサーが新天地を求めてジャズプロモート会社を興しその噂が僕の耳にも伝わりました。すぐさま連絡を取り合いました。

 ゼロから築き上げる信頼は時間のかかるものですが、半年一緒に仕事をしてみて感じるのは、予想を遥かに超え、「学び」の連続でした。

 アメリカに来るまではこの国は果てしなく大きく自由の国だというようなイメージがあったのですが、最初にそれがぶち壊されたのが2008年の夏、愛犬ぴーすと大陸を車で横断した時です。

 「メインストリート」とナビに入れるとなんとか知らない街でも宿を見つけられる。そうニュースクールのクラスメートに聞き、その通りにやってたら夜中にカンサスシティで暗闇の廃線場を示され「ここが到着地です」とナビが終わった時は泣きそうでした。取り急ぎおしっこでもと立ちションしてたら警察らしき車にハイビームで照らされて追跡され慌ててイグニションキーをオンにし全力で逃げました。住宅地を越え線路を越えやっと高速の袂まで来ました。するとその車が笑顔で「道教えてくれてありがとう」と手を振りながら笑顔で高速へ消えていったのです。脱力です。その日はダウンタウンで高速を降りてそのそばの「Super8」に宿泊しました。

 オクラホマシティのモーテルに夜中到着しチェックインすると部屋へ荷物を運んでいるうちにぴーすがいなくなりました。大声で何度も「ぴーす!」と叫んでも見つかりません。泣く泣く諦めかけてレンタカーに戻ると「くうん」と車の下からぴーすの鳴き声が。その時も脱力で、力いっぱい抱きしめ後は無我夢中ベッドで抱き合って眠りました。

 朝はマクドナルド、昼はタコベル、夜は宿のバーでバーガーを頬張り、どこまでも続く一本道をカントリーミュージックを聴きながら走りました。夕方に砂漠の向こう側にオレンジのような丸くて大きくて美しい夕日が沈むのを見てぴーすと共に車を脇に停めました。静かに悠々と沈む姿、忘れません。あの時の感動が「Hmmm」というトリオアルバムの「Orange Desert」という曲になりました。

 あんなに走っても走っても先が見えなかった大陸横断で訪れた場所が、今は飛行機で3、4時間で現地に着きます。初めて会う人との英語のコミュニケーションでの緊張を感じる時僕は「あの旅でいつかこの場所に帰ってこようと思った街に自分の音楽を持って帰って来ているんじゃないか」と自分に言い聞かせます。

 この11年で嬉しいのは、一緒に音楽を伝えてくれる仲間ができ、僕は1人じゃないことです。PRはデンバーだし、流通会社はシアトルだし、ラジオプロモーターはワシントンDCと、あの走っても走っても到達出来なかった大陸のいくつかの街の人たちと一枚のアルバムを世の中に広めていくために動く日々です。

 あの旅の途中「おそらく僕はジャズはダメだろうな」と弱音を吐きました。運転しながら自分のダメな部分ばかりを思い浮かべて、セドナのモーテルのプールで太陽に照らされキックをしても心は真っ暗闇でした。

 しかしながら人との出会いが僕を変えました。「レーベルを起こしてみよう」「OPTを取ってアメリカに残ろう」と言うのも弁護士さんのアイデアです。そうして一つ一つクリアして2007年に今のマネージャーと出会います。気がつくと47歳で帰米した僕も2024年には64歳に、ぴーすは18歳になります。

 ジャズピアノ演奏家である僕は同時にジャズの作曲家でもあります。そんな僕の今の最大の夢は、世界中の人が口ずさんでくれるようなスタンダード曲を書くことです。ジャズやポップに関わらずまだその夢は遥か彼方で遠いですが、あの一本道を走り続けた大陸横断のように信じて一生懸命にアクセルを踏み続け心を込めて書いていこうと思います。

 最新作「Class of ’88」は全米ジャズラジオのオンエアチャートで24位を記録しました。日本でもデビューした1983年もなかなかラジオで認知されず地方をずっと回っていた頃があり、その頃と今とが被ります。あの時応援してくれる人がいたように、アメリカにも「挑戦」に共感し応援してくれる人たちがいます。デンバーのKUVO JAZZのDJゴメスさんは、若い頃に映画の中で見た「ウルフマンジャック」のような人。「明日のショーは必ず聴きに行くよ」と生放送の会話での約束通り、翌日のライブ2nd setに誰よりも前に居て大きな拍手と声援をくれました。

 日本でも23歳の編集者と出会い「ジャズって素敵!」と言うエッセイの連載が12月に始まりました。ひとつの出会いを大切に、それがまた先のひとつへ。そんなふうに僕のアメリカ生活16年目は過ぎています。

 2024年、新しい年がやってきました。今年、森山良子さんのジャズアルバムを作ります。全編僕の作詞作曲プロデュースです。日本語が乗りにくいと言われるジャズに素敵な日本語をはめてみんながあっと驚くような世界観を作り上げたいです。

 自分自身のオリジナルアルバム9枚目は「実在しない映画のサウンドトラック」というアイデアを持っています。人生は旅。そんな旅が映画になったとしたら? 映画を作るお金も技術もないならば、先にサウンドトラックを作っちゃえという、かなり「無謀な発想」です。

 2023年の年末は札幌ジャズ、東京ブルーノート、コットンクラブなど、トリオでカウントダウンまで演奏します。年が明けて24年になると、ソロピアノコンサートで名古屋、芦屋、横浜と回ります。これをみなさんが手に取って読んでくださっている頃、僕は日本で大好きな「富士そば」を啜っているでしょう。

 9月21日、22日に再びバードランドシアターでのトリオライブが決定してます。どうかスケジュール帳に書き込んでおいてくださいね。新しい年も挑戦挑戦の繰り返し、「虎視眈々」と、英語もジャズも毎日勉強し続けながら、挫けず頑張りたいと思います。

 新しい年、世界が少しでも平和に向かいますように。犠牲になる人が減りますように。そしてこれを読んでくださっている皆さんにとって、何よりも健康で笑顔あふれる素敵な年になりますように。

 ぜひ、ライブでお会いできるのを楽しみにしています。

日本救ったララ物資

議事録NY日系人会で見つかる

 一冊の本がある。表紙には『紐育便覧』(附住所録) と書かれている=写真右=。1949年にまとめられた冊子で布カバー表紙の厚さ7センチほどの立派な本だ。ニューヨーク日系人会(JAA、西45丁目49番地5階)の資料室に現在2冊だけ残っている。終戦直後、ニューヨークに住んでいた日系人たちは「日本救援準備委員会」を設立し、1946年「日本救援紐育委員会」を発足、敗戦下の日本の窮状を救うため、「故国同胞を金品を以って支援す」を目的に、ララ (LARA-Licensed Agency for Relief in Asia) を通じて、295トンにも上る粉ミルクや粉卵、綿布などの物資を当時の価格で16万ドル相当分を5年間にわたって送り続けた。「ララ物資」は在米日系社会が取り組んだ終戦直後最大のプロジェクトだった。当時の貴重な議事録が、このほどJAAの資料室で見つかった。

(写真上)今回見つかった日本支援のための第1回会合の手書きの議事録

終戦直後から動く日系社会一致団結

ララ物資の資料を整理する野田さん

 コピー機などまだない時代、「JAPAN RELIEF INC」と書かれたレターヘッドの便箋にペンで丁寧に清書された文面から、敵性外国人の差別冷めやらない終戦直後の米国の中で、日系社会が、祖国日本救済で一致団結して協力した思いが文面からひしひしと伝わってくる。JAAの野田美知代事務局長は「現在資料を集めているニューヨークデジタル日本史博物館に収録して、大勢の人に見てもらいたい」と話している。

 終戦後におけるニューヨーク日系人社会での最大の関心事は、日本国内の戦災民の窮状への救援であり、救援団体の組織は危急の事業だった。

 1945年9月5日、救援団体組織についての有志懇談会への出席を求める回状が、赤松三郎、芳賀武、川俣義一、此川清一、岡田二男、清水宗次郎、山口三之助、安井關治、湯浅八郎の各氏を発起人に、ニューヨークの日系人社会に宛てて発送された。同月14日、豪雨にもかかわらず、約40人の一世、二世が集まり、救援団体組織についての懇談が行われた。

 ララ物資日本倉庫をご巡視される昭和天皇皇后両陛下(1949年10月19日、当時の記録印刷物から。提供・JAA)

 しかし、終戦とは言え、一世は依然として敵国外人であり、また日本への金品発送も出来ない状態であったため、とりあえず、準備委員20人からなる「日本救援準備委員会」を発足(湯浅八郎会長、赤松三郎副会長、松本亨書記)、研究調査を行うこととし、「故国同胞を金品を以て救援す」ことを満場一致で採決。その第一任務として、司法省、国務省その他に対して、日本救援組織の結成・活動への疑点を明らかにすることにした。

 このニューヨークの日系人から起こった日本救援への第一声は、その後、ボストン、シーブルック、シカゴなど米国各地での日系人による日本救済の動きの広がりに影響を与え、同年末には募金運動まで開始された。

 46年、日本救援の可能性が急上昇したため、5月16日、在留同胞大会を開催、「日本救援紐育委員会」設立を提案、可決され、東57丁目330番地に事務所を置くことと、安井關治会長以下の役員、募金の能率を上げるための業種別委員とその他の有志が選定された。同年8月8日ニューヨーク州法人組織として許可される一方、ララ(LARA=Licensed Agency for Relief in Asia)を通じて物資を送ることが可能になったため、9月5日、委員総会を開催、第1回募金運動に着手した。

 運動は、当市及び付近の同胞、米人有志の圧倒的支持を受け、4万8568ドル75セントの募金を得た。また、募金運動の別動隊として「紐育祖国救援演芸会」が組織され、47年3月26、27両日、パーム・ガーデンにて大演芸会を開催、2000人を超す来客があり、5200ドル以上の純益を上げた。募金運動第2回目には、当市の二世諸団体も積極的に支持、各団体が別個にあるいは合同でダンスパーティーを開催して収益を寄付した。

 日本救援紐育委員会は、ララのメンバーである米国友愛奉仕団(在フィラデルフィア)を経由して、46年10月24日から48年3月23日までに、5万8800ドルと粉末ミルク、ラルストン・シリアルを送り、米国織物工業より友愛奉仕団に寄付された8000ドルの綿布66俵を船賃(800ドル)を保証して送られた(友愛奉仕団発表)と『紐育便覧』に記載されている。

マッド・アマノ新春パロディ2024

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マッド・アマノ=グラフィック・デザイナー、パロディスト。写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年の休刊まで、最終ページに「狂告の時代」(きょうこくのじだい)を連載した。政治家や芸能人、スポーツ選手などの顔写真を引用し、旬の時事問題を広告仕立てにするという作風で知られる。東京都在住。

マーゴット・ロビーに聞いたバービーを作って演じるまで

 2023年の怪物並興行収入、全米で1・4億ドル、全世界で2・9億ドルを記録した「バービー」の主役のみでなく、制作も手掛けたマーゴット・ロビーを紹介しよう。

 ちなみに本作はゴールデングローブ賞では9部門で候補になり、オスカー賞も最多部門で候補になることはほとんど確実、と賞レースでもダントツの本命なのである。

 豪州はクイーンズランドに1990年7月2日に生まれ、水泳で知られるゴールドコーストで育った溌剌とした健康美と完全なプロポーションのゴージャス!な女優、しかも話をすると田舎育ちならではのおおらかな人間性が覗いて、親しみが持てるし、自分の美しさやグラマー性に重きを置かず、常に仕事に邁進しようという覇気が感じられる頼もしい女性だ。

 そして既に「アイ・トーニャ」と「ボムシェル」(邦題「スキャンダル」)で2回もオスカー候補になっている。

 さて「バービー」については、

「実はお人形で遊ぶより、外で要塞を築いたり、男の子と競り合うのが大好きだった。だから最初はこの映画は制作だけで他の女優を起用しようと思っていたのよ。でも一旦バービーを演じると決まったら役作りに集中するために自分の周囲をピンクに統一してバービーの世界に突入し、女性の共演者とホテルでスリープオーバーを計画し、パジャマのまま、同じ部屋でゲームをしたり、一緒のベッドで寝たりしてチームワークを結成、女性パワーの台頭を実体験しました。

 ベニスビーチでロケをした時、物凄い注目を浴びて、ヒットする映画になるかもという予感を持ち、男性にも受ける映画になりそうだとワクワクしたのです。

 ケン人形にはどうしてもライアン・ゴスリングが欲しくて、やっと承諾した時に、毎日プレゼントを贈るからと約束してしまい、以来、毎日欠かさずケンならではの、プカシェルのネックレス、変わったランチボックス、などなど贈って、探すのが一苦労でした」。

などとケラケラと笑いながらコメントしている。

 オーストラリアでの生い立ちについては、

「サトウキビの農場を持った父とセラピストの母親のもと、二人の兄と姉、弟一人の4人兄妹と育ちました。だから畑仕事は私達の日常だったのよ。父と別れた母は祖父母に私達を預けてシングルマザーとして苦労していたので私も16歳の時から3個のアルバイトを掛け持って母を助けていたの。小さい時から女優を目指して、17歳の時にローカルのテレビの役を得て、それからはかなりラッキーな道のりだったわね。オーストラリアでは怪物番組の「ネイバーズ」のゲストで出演したら人気が出てレギュラーに昇格したり。

  今、兄はスタントマン、弟も俳優を志していて、姉は私と全く正反対で私が外で飛んだり跳ねたりしている時、家の中で読書、私の体は幅があるけれど姉のは細くて、今は会計士をしている。同じ両親を持って、同じ家で育って、これほど異なる性格と体格を持つっていうのもすごく不思議だと思わない? 私にとって世界で一番大事なのが家族。兄妹みんなとっても仲良しなのよ」。

 英国人のトム・アッカレイと2016年に結婚、二人で制作会社を仲良く、共同運営している。次は「オーシャンズ・イレブン」で再びライアン・ゴスリングと共演だそうで、何とも楽しみではないか。

「米語Watch」で振り返る2023年

 新年を迎え、コラム「米語Watch」で取り上げた言葉(太字で示す)で2023年を振り返ります。

 昨年、Generative AI(生成AI)が社会に衝撃を与えたと言っても過言ではないでしょう。今や世界で数億人が利用するというChatGPT は、人の指示(Prompt)に対応し、Deep Learning(深層学習)という自己学習能力で、瞬時に文章や画像を 作ることができます。これは人々の仕事、研究、創作全ての分野に大きな変革をもたらしています。これまで多大な時間を要していた作業がGenerative AIによって効率化される一方、仕事を失う人々が急増しています。そして、学校では、生徒にこの新技術をどのように利用させるのかについて、対応に追われてます。ChatGPT が代表するGenerative AIは、人間の文化だけではなく、戦争の仕方までを変える可能性を秘めた発明です。将来、歴史は2023年を特別な年として振り返るかもしれません。

 この一年、アメリカのGDPと株価の上昇を見れば、経済は好調を維持したように見えます。しかし、個人レベルとりわけ若い世代では生活は苦しくなったと言われます。それを象徴する言葉の一つがHouse Poor です。これは 家にお金がかかりすぎ(家計における住宅関連の費用が約30%を超える状況)、家計を圧迫することを意味します。30年物の住宅ローン金利は7%を超えました。ニューヨーク近辺では不動産税を含め、家のメンテナンス費用は上がる一方です。アパートを借りるとしても家賃の高騰は想像を絶します。

 そして、マンハッタンにおけるレストランのメニュー価格も上がりました。加えてGuilt Tipping 「義理」チップ です。従来は15%くらいを感謝の気持ちで払っていたのですが、パンデミックの状況で、エッセンシャル・ワーカーには多めに払わなければという義務的な意識が広がり、20%以上を払うことが普通になりました。高いチップに誘導する支払いスクリーンの広がりもあって、この動きは止まりそうにありません。日本から来る出張者がマンハッタンの簡単なランチに税金とチップを足して30ドル(約4500円)だったとショックを受けていました。(年末に筆者は日本へ行って、美味しい博多ラーメンを800円で楽しんできたばかりです。)

 国民の経済的窮状を救うべく、バイデン政権はStudent Loan Forgiveness(学生ローン返済免除)に取り組んでいます。しかし、政権が推し進めた最大2万ドルまでの免除案は、最高裁が議会の承認が必要として、無効にされました。学生ローンの免除・猶予は、共和党が反対する中、新年に持ち越されて大統領選の争点に浮上してきました。

 パンデミックは収束してきましたが、アメリカの職場ではリモート勤務が普通になり、Hot-deskingが広がってきました。Hot-desking とは職場に着いてから、空いている席を選ぶシステムです。業務上、チームがそばに座ることが必要な場合は、Office Hotelingというアプリを使い席の予約をします。Hot-deskingにせよ、Office Hotelingにせよ、会社にとってはスペース費用の節約につながりますが、オフィス賃貸業にとっては、大きな打撃になります。パンデミックは現在そして将来の働き方に大きな影響を与えました。

 Menty Bという精神的不調を意味するフレーズが流行りました。パンデミックは全ての人に辛い思いをさせましたが、 特に仲間と過ごす時間が奪われた若者たちの中に、Menty B に陥る人が増えました。 実際、SNSによって繋がっているようでも、画面上の交信だけでは、往々にして自分が取り残される不安を若者に与えるとの指摘があります。もちろん、人間関係だけではなく、身の回りで増加する犯罪、政治的に分断する社会、さらには不穏な世界情勢など全てが、人々の心を悩ませているのです。 

 その他、昨年取り上げた言葉には社会の変化を映す言葉がたくさんありました。Sober Curious(お酒を控えめにしようかな)という、飲酒を控えて体、頭、そして人間関係を見直そうとする動きです。お酒の力を借りず楽しく過ごし、減酒して体を強く、頭をシャープにしようと考える若者が増えつつあるようです。このような背景のもと、Non-Alcoholic Beverage(ノンアル飲み物)の消費量が大きく増えています。マンハッタンのおしゃれなバーで、Non-Alcoholic Beverageがカクテルグラスに美しく輝いていました。

 Girl Dinner( ガール・ディナー)という言葉を若い女性たちから聞きました。Girl Dinnerと言うのはTikTokで大流行している言葉で、女性が自分のために一人で楽しく作る食事のことです。きれいなお皿の上に、オリーブ、チーズ、野菜、加工肉、果物等を並べて、ワインを片手に楽しむのです。アメリカでも、食事作りを男に押し付けられる義務と感じて、多くの女性が反発しているのだそうです。男性は反省が必要かも知れません。

 昨年もトランプ氏に関するニュースが続きました。トランプ氏は民事事件に加え、3年前の大統領選でバイデン氏当選を阻止しようとした国家に対する違法行為で、検察にIndict(刑事訴追)されました。加えて、ジョージア州でもトランプ氏は選挙結果を違法に覆そうとしたとして起訴されました。トランプ氏は大量のClassifed Documents(機密書類)を、フロリダの私邸(マール・ア・ラーゴ)に隠匿した罪でも訴追されています。同氏はそれらの容疑を否認するだけでなく、検察官や裁判所関係者をも脅かす発言を繰り返しています。この事態に、検察はトランプ氏の不適切な発言を禁じる箝口令(Gag Order)を求めましたが、その範囲と強制方法に関して、弁護側との法廷闘争が続いています。 

  新年、秋には大統領選があります。高齢が心配されている民主党のバイデン大統領そして、刑事事件で追及されている共和党トランプ元大統領。この二人が両党の代表として本戦に残るのか。そうなれば、どちらが勝つのか。世界情勢が混迷を深める中、誰がアメリカをそして民主主義を引っ張っていくことになるのでしょう・・・年明けから、苛烈な争いが繰り広げられることは間違いありません。心配はつきませんが、皆さんにとって2024年が友人との触れ合いが増える楽しい年になりますように。

(旦 英夫・ニューヨーク州弁護士)

テーブルで水浴び

 村上春樹がアメリカに来たとき、会えるならぜひ、会っておきなさい、と勧められた作家が、E・L・ドクトロウ(E. L.Doctorow)だったと、何かで読んだことがある。

 ニューヨークの図書館で、彼の本を借りるためにカウンターに置くと、そばにいた見知らぬ利用者の女性が、うれしそうに叫んだ。

 Another Doctorow fan!

 ここにも、ドクトロウのファンがいたわ!

 一番上には別の著者の本が置かれていたのに、その人はわざわざ横から彼の名前を見つけたのだ。

 NYU(ニューヨーク大学)の大学院でクリエイティブ・ライティング(Creative Writing)を学んだとき、ドクトロウは私の論文の指導教授だった。

 そう自慢げに話すと、まあ、あなたはなんてラッキーなの、と女性はうらやましがった。

 クリエイティブ・ライティングは、小説や詩などのフィクションという意味だ。アメリカの高校や大学では、これが授業科目にあるところも多い。

 大学院に進学したとき、教授陣にこの作家の名前を見つけ、驚いた。

 日本の大学の米文学史の授業で、彼の名前が出てきたからだ。『ラグタイム』『紐育万国博覧会』『ビリー・バスゲイト』など、アメリカを舞台にした歴史小説を書き、作品は映画やブロードウェイ・ミュージカルにもなった。

 大作家だが、私たち学生にとって、父親のような存在だった。ユーモアがあり、穏やかで、目がやさしかった。

 在学中のある日、ドクトロウ先生が食事に誘ってくれた。私は最初こそ、やや緊張していたものの、だんだんリラックスし、身振り手振りを交えて話しているうちに、テーブルの上の水がたっぷり入ったグラスを倒してしまった。

 先生は何も言わずに立ち上がり、びしょ濡れになった服をナプキンでふき始めた。

 大先生になんてことを!

 私は動揺し、本当に申し訳ありません、とひたすら謝った。

 先生は席にすわり直すと、私を見つめて、ぼそっとつぶやいた。

 I’ve just been baptized.

 只今、洗礼を受けました。

 洗礼はキリスト教徒になるための儀式で、全身を水に浸したり、頭に水を注いだりする。

 大丈夫。気にしなくていいんだよ。

 その気持ちを、先生はユーモアに変え、伝えてくれた。

 さすが、大作家だ。言うことが違う。ユーモアは人間関係の潤滑油だ。

 大先生に水を引っかけておきながら、私が言うのもナンですが。

 しかし、せっかくかかった私のエンジンも、洗礼事件ですっかり調子が狂ってしまい、大先生がすかさず差してくれた油の効き目は、今ひとつだったと記憶している。

 このエッセイは、シリーズ第7弾『ニューヨークの魔法の約束』に収録されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4167717220

美容NY生活 2024 New Year’s Beayty Special 

美しさゲットはお手入れ次第!

ニューヨークで堪能するプロの技術と癒しの生活

 いつまでも美しくありたい。身も心も。そんな願いを叶える街ニューヨーク。

 世界の美容のトップサロンや化粧品が集まるニューヨークには、高度な技術と経験に裏打ちされた「美」のプロフェッショナルたちが腕を競う。

 サロンで使われている商品も秀逸揃い。ニューヨークで体験できるビューティーケアやNYに居ながらにして手に入る日本発の安らぎの優良アイテムを紹介する。


ダイヤモンドネイルの輝き
ニューヨークで唯一のお店

 老舗ハヅキヘアーが名前を変え、さらにブルックリンに店を構えるミガクネイルが加わり日本の技術とおもてなしを提供できるラグジュアリービューティーサロンがミッドタウンにオープンしました。看板を出していないスピークイージーな店構えは友達に紹介したくなるような“知る人ぞ知る隠れ家的サロン”です。ネイルは全米で唯一の本物の天然ダイヤモンドを爪に施すサービスをしていて、ダイヤは最初に購入してもらうだけで何度でも装着可能。一番人気のサイズは小ぶりながらも存在感のある0・02カラット/110ドル。この機会に誰も真似できない自分だけのスペシャルネイルを楽しんでみてはいかがでしょうか?

Madison25 h&n

420 Madison Avenue Suite406
New York, NY 10017
212-755-2623

https://www.madison25ny.com/


NYのトータルビューティーサロン
美容皮膚科とヘアサロン、サウナも

 ニューヨークミッドタウンの五番街の近くに位置する、3フロアからなる日系トータルビューティーサロンです。1階にはバーカウンターがあり、ゆっくりとワインを楽しむこともできる広い待合いブースが設けられています。ネイルサロンでは、日本から取り寄せているパラジェル、KOKOISTなど高品質の純国産ジェルネイルを使用。常に最新のカラーとデザインをご用意しています。カラーバリエーションは3000色を誇ります。2階には、最新機器を備えた美容皮膚科とヘアサロンがあり、個室でリラックスできるヘッドスパルームもご利用いただけます。さらに、地下フロアには本格的なミストサウナやウォーターバス、またメンタルヘルス改善に効果的とされるソルトフローティング(感覚遮断タンク)も備えています。ゆったりとした個室は5つあり、各種マッサージやフェイシャル、脱毛、アイラッシュエクステンションなどを受けることができます。サロンに足を踏み入れれば、あらゆる美に対するサービスを享受することができます。VOGUE誌やNBC、ABCテレビでも紹介された経歴を持つサロンで、熟練したスタッフが、皆様の美と健康に向けて全力でサポートいたします。

Yukie Natori New York Salon Spa

39 West 56th Street
New York, NY 10019
TEL:646-649-5324
営業時間 月曜日-日曜日 10AM-8PM

https://yukienatori-newyork.com/


アルカリフリーの酸熱トリートメント

SAMMY NYCサミートリートメント

 いま日本の美容室で人気沸騰中の「サミートリートメント」は、ニューヨークで1972年から長年にわたり日系ヘアサロン業界をけん引してきた「momotaro」の創始者、サミー宮本氏のプロデュースで生まれたプロダクトだ。

 SAMMY NYCブランドのコンセプトは「健康で美しい毛髪を再現・創造する」こと。カラーやパーマでデザインを作り、美しさを求める上でアルカリによるケミカルダメージは欠かせないが、健康な毛髪でいるためには、いかにアルカリを中和し弱酸性に戻すかが重要。同ブランドのプロトンシリーズは酸性領域で安定させたプロダクトで安心、安全に施術を行い、毛髪を正しく健康毛に導くために開発された。ニューヨークから始まり、今や日本だけでなく韓国、香港、シンガポール、フィリピン、インド、オーストラリア、そしてロサンゼルスの美容室で導入実績があり、世界中のサロンから注目を集めている。

 サミートリートメントの施術は、マンハッタンにあるモモタローサロンで受けられるほか、同店でホームケア用の製品も購入できる。

momotaro Manhattan

22 E 49th St, 2nd Fl.

www.momotaro-manhattan.com

https://sammy-nyc.com/


抗酸化力に優れた水素酸素美容液「SUISOFIT」

 日本で2006年から医療、美容、アスリートに使われ始めた水素は、抗酸化力に優れ、副作用がなく、安全な悪玉活性酸素だけを除去する優れた存在だ。肌の老化は、悪玉活性酸素が肌を酸化させ肌の生まれ変わりの周期が遅くなる事に原因がある。この美容液には水素のほかニードルパウダーや幹細胞エキスが配合され、肌活性や再生力を上げることが期待できる。肌のハリ弾力、毛穴の引き締め、保湿、リフトアップ、しみ、くすみが気になる方におすすめの製品。30ミリリットル、198ドル。

●SUISOFIT代表取締役 佐藤友見さんのコメント

 「HHO(水素酸素)ガスの吸入やHHO水は、飲料、肌や髪、眼などのケアにも世界的に活用されています。このHHOをもとに作った水素美容液は、肌治癒を高めながら、肌を鍛え、体感とリアクションを感じる、水素の本質を活かしたアイテムです。NYの皆様にもぜひ知って頂きたく、このたびモニター販売をさせて頂くことになりました。 2024年の肌の新しいケアグッズの一つに取り入れてみてください」

 購入はスパかれんニューヨーク(電話212・729・3521 https://www.spakarenny.com/)まで。

株式会社SUISOFIT

https://suisofit.co.jp/


京都鞍馬山の植物から採取した
精油を使ったアロマキャンドル

 「KURAMA REIKI」は、日本有数のパワースポットとして知られるレイキの発祥地、京都の鞍馬・貴船で生まれた。同製品を製造販売するのは、江戸末期まで長年貴船神社の社家として神職を務め、現在は料理旅館・飲食店・ギャラリーの経営や食品・化粧品・アロマ製品の製造など、11代300年以上に渡り同地に根ざした営みを続ける(株)右源太。

 貴重な精油を当地の植物から抽出し、大豆由来の天然素材で作られたアロマキャンドルで、燃焼時間は約70時間。「爽やかな森林」「甘い花」「さっぱりした柑橘系」「芳醇なカフェイン系」の4つの香りから選べる。

 この霊地からの恵みを込め、心と身体に癒しと調和をもたらすアロマティークを楽しんでほしい。

 尚、同商品は週刊NY生活が運営するショッピングサイト「ショップNY生活」(shopny
seikatsu.com)でも購入できる。

株式会社 右源太 (UGENTA,INC.)

京都市左京区鞍馬貴船町76

Kurama-reiki.kyoto


薬膳で楽しむお正月

プロに聞く、生き生きEATS(イーツ)

元気と美味しいを求めて料理の達人が腕を振るう (44)

 新年、今年最初の「生き生きEATS」は、ニューヨーク、ニュージャージーで栄養士をしながら健康に良い和食「薬膳」の普及に努めている富岡美智子さんに薬膳をテーマにしたお稲荷さん、抹茶ケーキ、果実ジャムの3品を「みち庵」メニューの中からご紹介します。

https://michinutrition.com/


薬膳お稲荷さん

 お寿司大好き手をあげて!!!ついつい手が出て止まらない。

気がつけば、砂糖と塩分、加えて炭水化物の食べ過ぎ。今日のお寿司はそのような悩みを解決、たっぷりの薬食を利用して、美味しく食べて心身とも大満足のお寿司の基本を紹介します。稲荷だけでなく、手元にある食材を生かしてちらし寿司、巻き寿司としてお楽しみください。

【材料】 

A・あわせ酢(リンゴ酢でも可)

1カップ

だし昆布 3×3インチ

干し椎茸 3〜4

くこの実 1TBS 

藻塩 1/4-1/2  tsp 

メープルシロップ(黒糖)  

  1TBS

*TBS=大さじ、tsp=小さじ

B・ 稲荷揚げ    

薄あげ(半分に切る) 4枚

出し汁(一夜漬けだし) トッピング例:錦糸卵、枝豆、鮭のフレーク、エビ、海苔、アヴォカド、炒りごま

【作り方】

1 あわせ酢の用意。砂糖を除くAを小鍋に入れ弱火で約3〜4分煮る。小さな泡が表面にでてきたら火を止めて砂糖を加えしばらく味を馴染ませる。

2 稲荷揚げの用意。熱湯に半分に切った油あげを入れ約2分で茹で、ザルにあけてさらに水で数回洗って十分に油を抜き、ペーパータオルで軽く水気を取る。

3 鍋に稲荷煮汁の材料B を入れ中火にかけ沸騰させた後、弱火にし②の稲荷揚げを煮汁に充分にひたるよう並べる。落とし蓋(アルミでOK)をして更に3分煮る。平らな蓋のついた容器に移して、味を馴染ませる。

鮨飯の用意 

 暖かい玄米をすし桶(ボールでOK)に入れ、合わせ酢を円相を描くように回しかける。しゃもじで切るよう混ぜ、うちわなどであおいでさまし、具Cを3回程度に分けながら入れしゃもじで軽くまぜる。

4 稲荷の汁気を切り、真ん中を丁寧に破れないように開きいてポケットを作る。その中に④の寿司ご飯大さじ3杯入れ、好みのトッピングをする。もしくは稲荷の両端をまるめて、口のほうを下にして並べる。

5 残りの寿司ご飯はチラシ寿司、手巻き寿司等お好みで。


笑福薬膳抹茶ケーキ

 ホリデーシーズン、家族・友人達とのパーティーにかかせないデザート。ついつい食べ過ぎて後から罪の意識、よくあることですね。

今回は、美味しく食べて、視覚・嗅覚・味覚・触覚、癒しの全てが満足。気がつけば、自然に体と心が幸せになる、そんなデザートを紹介します。「笑福薬膳抹茶ケーキ」、想像しただけで、口が綻んできますね。

 抹茶、全粒粉、豆乳、フラックスシード…。薬食が満載、抗癌、免疫力、新陳代謝向上の効果があります。余分に作って冷蔵庫で保管しすれば朝食・おやつとして心身を豊かにしましょう。

ケーキ型: 6インチ もしくは カップケーキ10個

【材料】 

A:tspドライミックス

ケーキフラワー( 全粒粉) 1カップ

ベーキングソーダ トッピング:

薬膳ジャム、抹茶、粉砂糖、薬膳餡子、シナモン、オレンジのゼスト等

【作り方】

1   オーブンを375Fにセットする。

2  別々のボウルにAとBをそれぞれ入れ、まんべんなく混ぜ合わせる。

3 A(ドライ)をBのボウルに3回に分けて加え、粉が残らない程度に軽く切るように混ぜる。

4  ③をケーキ型もしくはカップに流し込んで、温めておいたオーブンで焼く。(ケーキで30分、カップケーキで15〜20分)焼き上がったら、ケーキ型のまま約30分熱をとる。


薬膳たっぷり果実ジャム

 お菓子はもともと果物の「果」 から来ています。というのは、お砂糖が日本が出始めたのは、江戸時代半ばそれもほんのかぎられた階層だけ、お茶菓子は果物、ナッツ類、昆布でした。自然界の天敵からの自己防衛のため、果物や木の実には免疫効果があり成人病・癌の予防・改善への効果が認められています。美味しく食べて、心身ともに癒され、しかも、環境とお財布にもやさしい、そんな薬膳ベリージャムを紹介します。パン、ヨーグルト、チアプリン、サラダのお供だけでなくそのまま、果物としてたっぷりお召し上がりください。

【材料】 

(オーガニックを薦めます)

好みのベリーミックス(苺、ブルーベリー、クランベリー、ラズベリー 等、冷凍もOK) 2カップ 

アップルソース(無糖)

1 カップ 

シナモンパウダー 1 tsp 

ドライフルーツ(マンゴ、クコ、杏 等) 1cup 

バニラエッセンス 1ts p

ラム酒orブランデー* 1-2 TBS  

オレンジのみじん切り(皮ごと) 1/2 

フラックスパウダー*1T B S 

メープルシロップor 蜂蜜*            

*オプショナル

【作り方】

1  Aを鍋に入れ中火にかけ、煮立っていた時点で弱火にする。

2 Bを表示の順に加えスプーンで全体が馴染むように混ぜてふたをして、約20分煮る。時折焦げ付かないよう底からスプーンで混ぜる。

3 煮詰まってきたらフォーク等で果物のかたまりをまんべんなく潰し、さらに弱火で約5分ほど煮詰め蓋をしたままの状態でを止める。

いつも、手元に置いて、いつでもたっぷりどうぞ。

世界チャンピオンに再び返り咲く

プロボクシングIBF女子バンタム級王者

吉田 実代さん

 女子バンタム級タイトルマッチが昨年12月9日、サンフランシスコ・チェイスセンターで行われ、吉田実代(35、shabell)が王者エバニー・ブリッジス(オーストラリア)に3ー0で判定勝ちし、IBF女子バンタム級王座を獲得した。スーパーフライ級との2階級制覇。渡米3戦目で世界王者奪還の快挙となった。

 一昨年12月から、再び世界王者に返り咲くことを目指し、母娘2人で来米し、NYに拠点をおきながら世界に挑戦する機会をうかがってきた第5代・第7代WBO世界女子スーパーフライ級王者の吉田実代選手。

 米国デビュー戦は昨年4月で2ー0の8回判定勝ち、2戦目には早くもIBFインターコンチネンタルバンダム級王者へ挑戦する機会を得るも、0ー3の10回判定負けと苦杯を喫した11月から僅か1か月で今回の試合に挑んだ。当初、他選手が王者エバニー・ブリッジス選手に挑戦する予定となっていたが、挑戦選手が怪我のため、欠場となり約2週間前に吉田選手に白羽の矢が立ち世界王者への挑戦権を得るチャンスが到来したのだった。

 準備期間僅か2週間にも関わらず、当初の目標であったタイトル獲得を達成するため、リングへ立ち、愛娘の実衣菜ちゃんが見守る中、3ー0という圧倒的な結果で判定勝ちを収めて悲願を達成した。この試合をもって吉田選手は第8代IBF女子世界バンタム級王者となり、来米1年目にして夢を実現。日本人女子選手がアウェイで世界タイトル奪還は史上初。

 吉田さんは「2週間前のオファーではありましたが、ずっと対戦を熱望していた大人気選手のエバニー・ブリッジス選手と試合できる千載一遇のチャンスなので即決したんです。ちょうど前回の敗北を反省し新しいトレーニングを組み込んでいたタイミングだったのですぐに試合に向けて準備に取りかかることができました。正直、不安も多少ありましたが、自分を信じて覚悟を持って頑張ることができ、本当に良かったです」と笑顔を見せる。

 試合直前にコーチとなったジミー・ソーサさんは「ポテンシャルのある選手であることはすぐわかった。相手との距離の取り方を今までと変えたことが奏功した」と12月18日ニューヨークのイーストビレッジのスタジオ151で開催された祝勝会で吉田さんを祝福した。(三浦良一記者、写真は本人提供)

編集後記 安陵さん意識戻る


 みなさん、こんにちは。去る10月24日朝、自転車で出勤途中に交通事故(本紙11月11日号既報)に遭い、意識不明で入院していた日本クラブの安陵(やすおか)秀樹総料理長が12月6日、54日ぶりに意識を取り戻しました(今週号1面に記事)。状態の良い日、悪い日はあるそうですが、回復が目覚ましく、安陵さんは家族の呼びかけにもしっかり反応し、これから回復に向けて頑張って行くことを確認できたそうです。安陵総料理長は伏見工業高(テレビドラマ「スクール・ウォーズ」の元となったラグビー名門高)の出身で、当地の社会人ラグビー同好会ニューヨーク・オール・ジャパンの古参メンバー。支援発起人の同ラグビー同好会会長の菅沼俊哉さんは「先週から意識が戻り、コミュニケーションが取れる状態になりました。目は半分くらい開けることができ、声は出ませんが、口を開けて簡単な会話は可能です。手、脚も動く様になり、病院から簡単なエクササイズを課せられています。本当に奇跡的です。これから長期の治療に移行して行きます。まだまだ時間がかかると思いますが、良い方向に向かってます。皆様の温かいサポートが、安陵さん、ご家族の力強い支えとなっております。 引き続きよろしくお願いいたします」と話している。1か月半も意識が戻らずに、絶望の縁からの生還。奥さんと日本から駆けつけた弟さんが懸命の介護をしていたそうです。パンデミック期間中の日本クラブのお弁当プロジェクトで大活躍した安陵さん、メリークリスマス!本紙「週刊NY生活」来週号はお休みします。これから創刊20周年記念新春特別号を作ります。ニューヨークでは一部を除いて今月27日(水)に、郊外は28日(木)に配達になります。年内のうちに発行になる新年号で、またお目にかかります。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)