日本とトルコ100年後の恩返し

友好公演 カーネギーホールで

感謝してもしきれない テヘランで救出された沼田さん

左からトルコ大使館のセルダル・クルチ大使、向山精ニさん、NY総領事の山野内勘二大使

 日本とトルコの友好をテーマにしたコンサートが11月29日、カーネギーホールで開催され、オーケストラの演奏と映像を通じて、会場を埋めた観客は両国の絆の深さを再確認した。

福岡ハカセの知の旅へ

福岡 伸一・著 文藝春秋・刊


 生物学者の福岡伸一さんは、現在は青山学院大学教授・ロックフェラー大学客員教授、「生命とは何か」と動的平衡論から問い直した著書を多数発表している。

冬の足元に強い味方

イケメン男子 服飾Q&A 63 ケン 青木

 ヴァイブラム・ ソールと呼ばれる、ゴム製の登山靴用ソールとして1937年に誕生した靴底。

ブルックリン Jコラボで合同展

16日にショーケースとレセプション

 ブルックリンで日本文化紹介事業をしているNPO法人Jコラボ(代表:佐賀関等)は6日(木)から18日(火)まで、会員作家による年次アートグループ展を開催する。

人間の感情を色で表現して社会を見つめる

画家 中北紘子さん

 人間の感情をテーマに、花とシャンデリアをモチーフに絵を描く画家だ。花は地面から水分を吸収して太陽に向かっていく。人間も憧れとか美しさを求めて花を愛おしく思う生き物。人間の感情のせめぎあいのようなものは得意ではないが、またそういうものを持たなくては生きて行けないのが人間社会。そのはかなさをパーティー会場の天井から客観視しているシャンデリアに託し見つめる。
 アクリル絵の具でキャンバスに大きな凹凸を作りその乾いた上から油絵の具を垂らしていく。重力に吸い込まれるように凹凸をよけながらばらばらに流れていくさまざまな色。毎年、7、8月の夏にはカリフォルニア州ロサンゼルス南郊のニューポートビーチのアトリエに滞在して絵を描く。色、食べ物の味、自然の色など、アメリカと日本では同じものを持ち帰っても違って見えるし、違う味に思えるのが不思議でならない。
 絵は3歳の時に家の近所にいた女流画家が主宰していたお絵描き教室から。ピアノ、水泳、乗馬などいろいろなお稽古事で唯一続いたのが絵だった。小学校の時に紅葉を描いていて、たまたま全然予想していない絵の具が画用紙の上に落ちてしまった。その時「どうして紘子ちゃん、そんな色を置けるの」と背後から友人に驚かれて誉められた。予想しない決められた色ではない色を置くことで全く別の新しい世界が広がることをその時知った。
 小学校から大学まで一貫教育の聖心女子学院に在籍し、中学から造形専門学校にも通ってデッサンを勉強した。近畿大学に進んだが、東京藝大を諦め切れずに大学院受験して合格。東京藝大で知り合った多くの友人たちは「皆さん高い目標で活動しているのでその姿を見ていて刺激になる」という。11月27日から12月1日まで、藝大の先輩後輩という縁も手伝ってニューヨーク・ソーホーのマックス・ギャラリーで初のNY個展を開催した。オープニングには日米アーティストや招待客150人余りが詰め掛けた。「コンテンポラリーなホワイト・キューブのギャラリーだけでなく、病院や公共の場でふと目に触れたアートで人の心の中にも色を置けたら」と言う。想像性と社会への視線。多趣味で1930年代に大型客船やタンカーのエンジンのバルブを発明した中北製作所(大阪市)の創業者、曾祖父、中北辨造の血と感性をアートの世界でいま受け継いでいる。
 (三浦良一記者、写真も)

大晦日の 年越し寿司

寿司田本店から皆様に

 マンハッタンで本格江戸前寿司を提供する寿司田本店(東49丁目19番地、マジソン街と5番街の間)は、大晦日31日(日)に引き渡し限定の「年越し寿司」を4人前120ドル(税別)で特別提供する。

ともに虹を探そう

混声合唱団「とも」
子供サッカーチーム支援も

 2日夜、アッパーウエストサイドの教会で開催された混声合唱団「とも」第2回定期演奏会は、「虹をともにさがそう」で幕を開けた。結成以来8年。

平成最後の 天皇誕生日

国連大使公邸

 別所浩郎国連大使主催の天皇誕生日祝賀会が4日夜、国連大使公邸で開催され、川村泰久大使、星野俊也大使の3大使が揃って招待した各国の国連大使や外交官、国連職員、

本紙に見る10大ニュース

【1月】■レストラン日本 倉岡伸欣さん死去 NYの日本食文化を支えた半世紀=ニューヨークの老舗和食料理店、レストラン日本のオーナー経営者、倉岡伸欣(のぶよし)さんが1月13日午後2時48分、マンハッタンの病気療養先で心不全のため亡くなった。86歳だった。数年前から腰を傷め、入退院を繰り返していたが、年明けから容態が悪化した。倉岡さんは、1961年単身でマンハッタンにワコーインターナショナルを設立して外食事業の足掛かりをつけ、2年後の63年、ニューヨークで初めて本格的総檜造りの寿司バーを備えたレストラン日本を開店。(1月20日号)■平等と権利求めて女性大行進=トランプ政権誕生から1年を迎えた1月20日、ニューヨークでウィメンズマーチが開催された。「投票に力を(パワー・トゥ・ザ・ポール)」をスローガンに20万人以上の人が集まり、集合場所となったコロンバスサークルはトランプ大統領の移民、LGBT、女性の権利に対する考えを批判するプラカードであふれた。(1月27日号)

【2月】■「戦時日系強制収容は違憲」NY市が誕生日の1月30日をフレッド・コレマツの日に制定=ニューヨーク市は昨年12月、米国市民の自由を守るために尽力した日系人のフレッド・コレマツ氏(1919〜2005)を讃え、氏の誕生日である1月30日を「市民の自由と憲法を遵守するフレッド・コレマツの日」として制定した。初めてその日を迎えた30日、制定に尽力した各界の代表が午後1時、市庁舎前で記者会見した。(2月3日号)■ぽぽなさんに第63回角川俳句賞=俳壇・歌壇の登竜門とされる第63回角川俳句賞・歌壇賞(角川文化振興財団主催)の贈呈式が1月23日、東京都内のパレスホテル東京で開かれ俳句賞は、ニューヨーク在住の月野ぽぽなさんが受賞した。(2月17日号)

【5月】トニー賞地域劇場賞にラ・ママ実験劇場が受賞=米国の演劇賞「トニー賞」各候補が1日、発表されたが、これに先駆けて4月30日、トニー賞特別賞である「地域劇場賞」がイーストビレッジにある劇場「ラ・ママ実験劇場」に贈られることが決まった。「ラ・ママ」は1961年にエレン・スチュワート(故人)が創設、国内外の前衛的な舞台芸術が数多く本劇場を通じて世に出された。(5月5日号)

【6月】フォートリーに慰安婦碑 地元高校生が立案=「この記念碑は、誰かを非難するものでもフォートリーの地域社会を分断するためのものではない。戦時中に犠牲を強いられた多くの女性たちの尊厳を守り称えるためのものであり、地元の高校生たちが自発的にこの慰安婦碑建設に貢献した英雄的行為を市長として大変誇りに思う」。ニュージャージー州バーゲン郡フォートリーのマーク・ソコリッチ区長は、200人ほど集まった韓国系米国人を前にこう演説した。5月23日午後6時から同区内住宅街に囲まれたコンスティチューションパークで慰安婦碑の除幕式が行われた。(6月2日号)

【7月】五番街でパイプ爆発 アスベスト飛散 ビル立ち入り制限続く=マンハッタンのフラットアイアン地区、五番街20丁目と21丁目の間で19日午前6時40分頃、地下に埋設された蒸気管(スチームパイプ)が爆発し、道路が陥没する事故が発生した。現場にかけつけた警察官が近隣のビルの住民や会社員らに退避を呼び掛け、スチームパイプの管理運営をするコン・エジソンの作業員が近くのバルブ閉鎖作業を行なった。通行人などに被害はなかったが、対応にあたった警官や作業員ら5人が軽傷を負った。(7月28日号)

【8月】おクジラさまふたつの正義の物語上映=ニューヨーク在住の映画監督・プロデューサー、佐々木芽生(めぐみ)が制作したドキュメンタリー映画「おクジラさま〜ふたつの正義の物語(A Whale of A Tale)」が8月17日、マンハッタンのクアドシネマで米国で初めて劇場公開された。同作品は、和歌山県太地町の漁師や住民、国際活動家、米国人ジャーナリストなどに取材し、6年をかけた渾身の力作。(8月4日号)

【9月】USオープン大坂優勝そのとき米国は=9月8日に行われたテニスの全米オープン女子シングルス決勝について、ニューヨークのメディアは優勝した大坂なおみ選手(20、日清食品)を称賛する一方でセリーナ・ウィリアムズ選手(36、米国)が3度も規則違反をしてゲームポイントまで奪われるという異例の試合だったと相次いで報道した。ニューヨークタイムズ紙は「ブーイングと涙のなかで大坂はセリーナを打ち負かした」との見出しで大坂選手を賞賛しつつ、規則違反やブーイングが「大坂の素晴らしい勝利に水をさした」と報じた。「サーブでウィリアムズを圧倒した」と大坂選手を讃え、「大坂の夢は四大大会の決勝でウィリアムズと戦って勝つことだったが、こんなに厳しい状況のもとではなかったはずだ」と同情的だった。表彰台で優勝したのに「ごめんなさい」と言った大坂の言葉に意見が分かれた。(9月12日号)

【10月】平和の鐘響く=国連総会初日の9月21日朝、平和を祈念して、アントニオ・グテーレス国連事務総長とマリア・エスピノザ(エクアドル元外相)総会議長が平和の鐘を突いた。ゴオーンという荘厳な鐘の音が、ニューヨークの国連本部ビル正面にある日本庭園に響いた。恒例行事となったこの式典は、日本が国際社会に対して世界永久平和をアピールする絶好の機会となっている。鐘を突いたあと別所浩郎国連大使がグテーレス事務総長に「この鐘を寄贈した日本人のお嬢さんが来ています」と伝えた。事務総長は、高瀬聖子さんの方を見るや、つかつかと歩み寄って行き「よくいらっしゃいました」と握手の手を差しのべ、歓迎の言葉をかけた。(10月6日号)
(写真・本紙 三浦良一)