魅惑のアメリカ旧国道「ルート66」なんでもベスト10

その11:お土産屋さん 前編

 ルート66ファンの皆さん、こんにちは! 早いもので2019年も早2か月目に突入しています。このコラムを執筆する数日前にはシカゴをはじめ中部から東部にかけて大寒波というニュースも聞かれましたが、現在筆者の住む東京は比較的「暖冬」と感じます。都心はアメリカの寒さとは確かに異なる「底冷え」がするものの、気温的にはプラス(+)なわけですから、長年アメリカで暮らした筆者には決して大事ではありません(笑)。先月は国立国定公園の後半をお送りしましたが、その際、政府機関が閉鎖中だったため多くの公園施設に影響がでました。現在はそれも解除されたので、ほとんどの公園が元通りのオペレーションをしています。まだまだ地域によっては寒いですが、少しずつ旅の準備を進めてもよいかもしれませんね。
 さて今月からはテーマ別何でもベスト10、最後のカテゴリーとなる「お土産屋さん」です。旅の思い出となるルート66の関連グッズはどこで買うのが良いのか、2か月にわたって筆者が独断と偏見で選んだ10か所のお店をご紹介していきます。
■第10位 ちょっと範囲が広すぎますが、「アリゾナ州ウィリアムズのダウンタウン」です。ウィリアムズはアリゾナルート66の主要都市フラッグスタッフより西へ約33マイル、車で45分程度の場所に位置する小さな街です。アメリカ流にいえば「ウィークエンドゲッタウェイ」、地元や近郊に住む人々が週末に遊びに来る、そんな感じの街なのです。読者の皆さんもよくご存知のグランドキャニオンはこの街から北に伸びる国道64号線を走ったところにあります。街の中心はインターステートから出て南側、ルート66は一方通行で2本平行に通るのが特徴。街中には無数のレストランやお土産屋さんが軒を連ねて建っており、夜になればネオンサインの明るさに圧倒されます。これだけルート66関連のお店が並んでいる街は他には存在しないので、あえてこの街を選定しました。グランドキャニオンに行く際にはぜひ時間を取って寄ってみてください。
■第9位 アリゾナ州ウィンズローにあるスタンディング・オン・ザ・コーナーの向かいに建つお土産屋さん「スタンディング・オン・ザ・コーナー・ルート66ショップ」です。とてもベタなネーミングですが、1回聞けば忘れません。ある意味すごいですね。このコーナーは以前ホテル編でも少し触れましたが、アメリカを代表するバンド、イーグルスの名作「Take it Easy」の歌詞に登場するスタンディング・オン・ザ・コーナーの観光地として有名で、このお店は営業時間中ずっとイーグルスの曲をかけ続けているので、その音色は外でも充分聞こえるのです。当然このお土産屋さんにはルート66の商品はもちろん、数多くのイーグルス関連のグッズも充実しており、年柄年中お客さんを集めています。
■第8位 ミズーリ州ファニングにあります「ルート66アウトポスト」です。実はこのお店、16年8月に何も前触れもなく「閉店します」というお知らせから1週間ぐらいで本当に廃業してしまいました。その当時筆者は、お店に勤めていた元学校の校長先生のバーバラさんと親交があったため、非常にびっくりしました。しかし、それから約1年後、新しいオーナーさんのもと新装開店。外観は大きく変わらないものの内装はかなりきれいになって甦りました。昔より商品数は少し減った印象もありますが(18年9月訪問)その分きれいに整理整頓され明るい雰囲気が全面に出ていました。この辺りはワインの生産も盛んなため、ルート66上でも稀にみる「ご当地ワイン」が販売されているお土産屋さんです。お店の外にはファイバーグラス製の「世界で一番大きな椅子」が鎮座。インスタ映えすることは確実です(笑)
■第7位 イリノイ州ノーマルという、日本人にはあまり(いやほとんど)馴染みの薄い小さな街にある「スプラーグ・スーパーサービス・ステーション」です。ノーマルはシカゴから140マイル(約224キロ)、車で2時間ほどルート66を南に向かった所にあり、お店の建物自体は歴史が古く1931年に建ったものです。当時は2階建てで、1階がステーションとカフェ、2階はオーナーと従業員が暮らすアパートだったそう。現オーナーのテリー・リバーン女史は06年にお店を買い取り、このステーションをインフォメーションセンター、カフェ、ダイナー、ソーダ・ファウンテン、ベッド&ブレックファスト、イベントスペース、という多角化経営のもとルート66の発展に寄与されています。お土産屋さんのスペースはきちんと取られていて、地元のアイテムからルート66関連の手編みや工芸品を幅広く扱っているので、家庭的な小物が好きな方にはぴったりです。
■第6位 またまたアリゾナ州に戻って「ハックベリー・ジェネラルストア」です。いろいろな意味で皆さんが想像する古き良きアメリカ、そしてオールド・ルート66のイメージはこの店で具現化されると言って間違いありません。同州セリグマンからキングマンに向かって走るルート66上、砂漠の中に突然現れるハックベリー・ジェネラルストアは、真っ赤なコルベットが目印。言葉ではなかなか表せない本当にルート66の歴史を感じることができるお店のうえ、オーナー夫婦は超気さくなので聞けばいろんなことを話してくれます。とにかくここは行ってみてください。絶対損はしません(笑)
 と、いうことで、今月も駆け足で紹介して来ましたがいかがでしたでしょうか。もっと詳しく知りたい方は筆者まで直接ご連絡ください。それではまた来月お目にかかります!(後藤敏之/ルート66協会ジャパン・代表、写真も)

編集後記 2月9日号

みなさん、こんにちは。今月3日アトランタで第53回スーパー・ボウル(LIII)が行われました。アメリカのプロスポーツを代表する年に一度の大イベントです。プロ・フットボールNFL32チームで構成するAFCとNFCのチャンピオン・チームの対戦。過去開催された大会53回中、なんんと51回、スポーツカメラマンとして撮影し続けている元関学大選手でシアトル生まれの写真家、タック牧田さん(86、ニュージャージー州在住)が、今回の試合のド迫力の写真とグラウンドから見た試合展開を送ってきてくれました。重い機材をかついでグラウンドに下りて巨大望遠レンズで試合を追うのは若いフォトグラファーでも重労働で。それを86歳で続けているのはまさに神業ですね。3人いた全大会フル撮影のフォトグラファーは1人が病気で欠場したので2人となった。牧田さんはその次で、レジェンドの一人だとか。そりゃあそうでしょうね。50年以上撮り続けていたら、出場選手も関係者もみんな孫みたいなもんです。試合展開は、例年見る華やかなオフェンスではなく、鉄壁のディフェンスのフットボールゲーム。「アメリカで一億以上、世界中で数億の視聴者には、ややつまらないゲームと見えただろうし、現場のフォトグラファー達もつまらなかったと見えただろうが、50余年、1100余りのゲームを写した私には、これはこれで歴史に残るゲームと見えた」そうです。1面でお元気そうな牧田さんのお仕事姿をご覧ください。それでは、みなさんよい週末を。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】 (2019年2月9日号)

今週のデジタル版はこちらから

https://www.nyseikatsu.com/editions/712/712.pdf

(1) 国連職員採用説明会 NYの日本政府代表部で22日(1面)
(2) SUPER BOWL 写して半世紀 スポーツフォトグラファー タック 牧田さん(86)(1面)
(3) ティータイムアドバイザー 林原真澄のNYでTEAを楽しむ 美しい美術館カフェでのティータイム The Morgan Café(3面)
(4) 江川央の DIGITAL 最前線Warby Parkerが眼鏡・サングラスの試着アプリを発表(4面)
(5) 笠間焼の美、NYで披露松井康成と現代作家 日本クラブで27日まで(5面)
(6) 税金特集① 確定申告は必要なの?KPMG米国グローバルジャパニーズプラクティスシニアマネージャー 須田洋平(6面)
(7) 竹中征夫氏28日に日本クラブで躍進の条件講演 「大切なのは米国企業になるということだ」(7面)
(8) 独立系書店の悲喜こもごも(8面)
(9)  MEN’S COLUMN ブルックリンの荒削り アーティスト 奈良 彰士さん(9面)
(10) BOOKS 米国のよき時代を経験した 佐々木 健二郎・著(14面)
(11)  演劇人に愛されて一世紀 「ドラマ書店」が閉店 有志が再開を約束 荒蝦夷・刊(14面)
(12) NY生活ウーマン 帝王学でビジネスコンサル 陰陽五行論スクール for Leaders運営責任者 ミコト・インク代表 紫藤 由美子さん(15面)
(13) 銀板写真展が開幕 メトロポリタン美術館 仏写真家の記録(22面)
(14) シネマ映写室MOVIE Miss Bala 反撃のチャンスをこの手に(22面)
(15) ヒデ・イナバ・ライブ 24日と27日ハーレムで (23面)

SUPER BOWL 写して半世紀

スポーツフォトグラファー
タック 牧田さん(86)

 3日アトランタで第53回スーパー・ボウル(LIII)が行われた。アメリカのプロスポーツを代表する年に一度の大イベントだ。プロ・フットボールNFL32チームで構成するAFCとNFCのチャンピオンチームの対戦。過去53回開かれた大会で、通算51回、スポーツカメラマンとして撮影し続けている元関学大選手でシアトル生まれの写真家、タック牧田さん(86、ニュージャージー州在住)が、今回の試合の写真とグラウンドから見た試合展開を送ってきた。
      ◇  
「私には51回めのスーパー・ボウルだった。3人いた全回撮影のフォトグラファーは1人が病気で欠場したので2人となった。私はその次であり、レジェンドの一人だとか。         
 例年見る華やかなオフェンスではなく、鉄壁のディフェンスのフットボール ゲームであった。
 二週間前のチャンピオンシップで攻撃力で勝ったAFC代表ペートリオッツ、 NFC代表ラムズ共に終盤まで得点できなかった。アメリカで一億以上、世界中で数億の視聴者には、ややつまらないゲームと見えただろうし、現場のフォトグラファー達もつまらなかったと見えただろうが、50余年、1100余りのゲームを写した私には、これはこれで歴史に残るゲームと見えた」(原文まま)。

米国のよき時代を経験した

佐々木 健二郎・著 荒蝦夷・刊

 ニューヨーク在住のアーティストで文筆家の佐々木健二郎さん(82)が書き下ろした自身半世紀以上に及ぶニューヨーク暮らしを、時系列に沿って、つぶさに、そして正確な記憶と当時の日記や新聞のスクラップをもとに記した珠玉のエッセイだ。
 そこには、短期間の滞在や旅行、一時的な在留で感じる表面的な日米文化比較の上澄みではない「等身大の生活者として見たニューヨークの時代変遷」を当時の空気そのものをページの一枚一枚に吹き込んで読む者に感じさせてくれるトピックが26編織り込まれている。
 1966年夏、マンハッタンのペン・ステーションにメキシコ留学を経て妻の洋子さんと降り立った佐々木さん。知人の紹介でカナルストリートとブロードウエーの角に住む
日本人を訪ねて3日世話になったあとアパート暮らしを始める。なにもかもが手探りのいきあたりばったりの出来事に遭遇する。ビルの谷間の生活はまず、日系レストランでの天婦羅用の海老の殻むきのアルバイトから始まる。指の指紋が薄くなり、つるつるになるまで1か月もかからず、マイペースでなにごともワンクッションおいてからでないとうまくことが運べない性格の佐々木さんには続かずに、学生ビザでアルバイトの日々が続く。当時まだ倉庫街のようだったソーホーに芸術家たちがこぞって住み始める前から住んでいた。流入してくる芸術家。高級ブティック街と化していくソーホーを住民として見続けてきた。ビルの谷間の生活者は、泥棒に入られたり、グリーンカードを紛失して復旧するまで苦労したり、失業して職安に通う毎日の様子、海外から伝わる日本の学生運動や過激派連合赤軍の事件などの余波、陪審員リストに載せられたあとの出来事、アパートが隣のビルの工事でクレーンの一撃を受けて裁判したことなど、駐在員や留学生では体験できない、一民間人としての外国暮らしの大変さがユーモラスに描かれている。
 著者は1936年仙台市生まれ。61年に東北大学教育学部美術家を卒業。66年、メキシコのグアナファト大学インスティチュート・アジェンデ卒業。東北生活文化大学非常勤講師。
 「アメリカのベル・エポック(よき時代)とでもいう時代にニューヨークで生きた」という実感がある佐々木さんの目には、アメリカの異質の変化が映り込む。ビルの谷間から見えるニューヨークの景色がどんなふうにこれから変わっていくのか。将来は故郷仙台に暮らしたいという佐々木さん。帰るところがあればこそ見えるニューヨークの姿形、出来事、景色でもある。これからも客観視で自分を見つめながら、定点観測を、キャンバスに、原稿用紙に留めていってほしい。 (三浦)

笠間焼の美、NYで披露

松井康成と現代作家
日本クラブで27日まで

 日本クラブは人間国宝の松井康成と現代陶芸作家の大貫博之、戸田浩二、額賀章夫の作品展示会「自由な作風 – 笠間焼」(共催:茨城県、協賛:JCCファンド、関彰商事株式会社、セコム株式会社)を1月31日から今月27日(水)まで、日本ギャラリー(西57丁目145番地7階)で開催している。

竹中征夫氏28日に日本クラブで躍進の条件講演

「大切なのは米国企業になるということだ」

 日本企業の米国進出を先導し、数々のM&Aを成功させた米国公認会計士、竹中征夫氏を招いたランチョン講演会が28日(木)正午から、日本クラブ(西57丁目145番地2階ローズルーム)で開催される。講演に先立ち、日本企業にいま求められものを聞いた。(聞き手・本紙・三浦良一)

ユーロスターでパリへ

ジャズピアニスト浅井岳史のロンドン旅日記(7)

昨日ロンドンでの行程がすべて終わり、今日はユーロスターでパリに移動。モニカは金曜日のコンサート当日の午後、ホテルに集合で私が一足先にパリに入る。というのは、明日パリ郊外のコンサートホールでトリオのコンサートがあったのだが、ホテルを取った後にコンサートがキャンセルになってしまった。が、なるべく早くパリに行きたいというのもあるし、何となく一人になってみたいというのもあって、そのままの予定で移動することにした。
 ユーロスターは、St. Pancras Internationalという駅から出る。ロンドンのスタジオで聞いた話だが、ユーロスターができる前はロンドンとパリの移動はコンコルドだったというから驚きだ。2つの街には1時間の時差がある。ユーロスターはこの世界の大都市をたった2時間で駆け抜ける。
 お世話になったモニカの家から電車に乗って、もうお馴染みとなったLondon Bridgeへ。そこでThames Linkに乗り換える。車窓からのテムズ川とファイナンシャル・ディストリクトの摩天楼の景色がすこぶる感動的である。
間もなく、St. Pancras International駅に到着。駅には「International Trains」という表示がある。列車で外国に行く、これは日本では考えられないことだし、アメリカでもほとんどない。ヨーロッパ旅行の醍醐味の一つであろう。国際列車というので、まるで飛行場のように両国の出入国審査と手荷物検査がある。
 ユーロスターに乗るのは、これが3回目だと思う。歳がバレてしまうが、ユーロスターが開通した時のニュースをタイム誌で読んだことがある。ドーバー海峡に海底トンネルを作って鉄道を敷く事はかなり前から構想があったのだが、技術的には可能であっても、そこには政治的な問題、文化的な問題もあって、なかなか実現しなかったとのこと。今でこそイングランドとフランスはドーバー海峡を挟んで綺麗に国境が分かれているが、それは比較的最近のことで、1066年の征服王ウィリアムス(フランス名ギョーム)から、フランスとイングランド両方を治めたヘンリー2世のプランタジュネット王朝、それが原因で起こった後の100年戦争など、イングランドとフランスは非常に複雑な歴史を持っている。そもそもイングランドの朝廷では、ヘンリー5世が生まれるまでの少なくとも350年間はノルマン・フランス語が公用語であり、両国の交渉はフランス語で行われていた。ヘンリー5世の息子ヘンリー6世は、パリのノートルダム大聖堂でフランス国王として即位し、いまでもUKの君主は、King (Queen) of France のタイトルを持っている。その複雑な両国の国境が今のようになったのは、その後シャルル7世がジャンヌダルクの助けを借りてヘンリー6世から王権を奪回し、百年戦争が終わってからである。
 今でこそ世界共通語は英語であり、私もフランス人も英語で仕事をする時代であるが、かつて随分長い間、その役割を担っていたのはフランス語であった。それが今日の英語になったのは、世界中の植民地でハノーバー王朝のジョージ2世と3世率いるUKと国王ルイ15世が率いるフランスが1754年から1763年まで戦った7年戦争の結果であると歴史家は言う。ヨーロッパ一の美男子、ルイ15世が女性に溺れずにフランスを勝利に導けば、今頃世界はフランス語を喋っていたのであろう(笑)。
 かつてはルイ14世の絶対王政が世界一の国力を築いたフランスと、18世紀以降に世界の覇権を掌握したUKとのプライドは今でも非常に強い。ユーロスターのアナウンスは、ドーバー海峡を渡る前は英語・フランス語、海峡を渡るとフランス語・英語に切り替わる。
 イングランドは比較的街中を抜けるので、スピードが出せないユーロスターであるが、ドーバー海峡を水面下75メートルの海底トンネルを抜けてフランスの田園地帯に入ると速度を300キロに上げる。多少の遅れはあったが、2時間でパリの北駅に到着。そう、昨年も滞在したそのままのパリである。かつては船で命がけで海峡を渡り、戦争で領地を奪い合った二国の首都が、今はたったの2時間で結ばれているのだ。これにはやはり感動する。
ホテルにチェックイン。私のここ数年の強い味方、北駅の安ホテルだ。
夏のパリは午後10時でもかなり明るい。1時間の時差もあって、思ったよりも遅い時間なことに気がつくと、急にお腹が減ってきた。今日からしばらくは一人なので、近くの中華料理屋に入って、広東風チャーハンを食べる。久しぶりの米の飯は美味しい!
 イギリスでのツアーの疲れと、一人になった開放感で急に眠たくなってきた。明日のパリ郊外でのコンサートがキャンセルになっているので、2日間完全オフである。明日の事は明日考えよう。いつの間にか眠ってしまった。
(ロンドン編終わり、パリ編に続く)
浅井岳史、ピアニスト&作曲家 / www.takeshiasai.com

ワイナリーでバレンタイン

「ニューヨーク近郊のワイナリー」といえば、まずロングアイランド、次にキャッツキル周辺地区が頭に浮かぶが、ニュージャージー中南部にもワイナリーは多く存在する。