編集後記 9月28日号

■【編集後記】9月28日号
みなさん、こんにちは。米国のビザ(査証)取得が厳しくなっているなかでの朗報と警戒情報の二つの話を。ます朗報は、お馴染みの抽選永住権のことです。これは、日本を含む過去5年間の米国への移民率が低い国の国民に与えられる「移民多様化ビザ(DV)」、いわゆる永住権(グリーンカード)で、その抽選申請が今年も10月2日(水)から11月5日(火)まで実施されます。2021年度に向けて5万5000枚の永住権が発給される予定。申請費用は無料。国務省のコンピュータによるランダム抽選で選ばれ、結果は来年6月以降になる見込み。2019年度の日本人当選者数は376人。応募は1回のみで複数回エントリー送信すると失格。応募は抽選方式ですが当選したあとの手続きは先着順。詳しくは本紙今週号1面の記事を参照お願いします。そして方や警戒情報は、今週号の加藤恵子弁護士がコラム(6面)で書いている、メディケイドなど公共の扶助制度の利用が経済的に自立していないとみなされ、ビザ申請や永住権の申請で却下される新制度が10月15日から施行されること。また今後、アメリカで連邦政府が認める収入よりも低い場合、公的扶助を受ける可能性があると見なされ、ビザや永住権申請を却下されることも予想されています。新規申請者のみならず、ビザの更新、永住権の更新にも関係してくる話です。ビザはアメリカで暮らす外国人にとっては生きるためのパスポートみたいなもの。本紙では引続き在米邦人に必要な情報をカバーしていきます。それでは、みなさんよい週末を。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2019年9月28日号)

(1)抽選で米国永住権  1面
(2)NYマグロともかず  4面
(3)信元さん講演会   4面
(4)平和の鐘国連に響く  5面
(5)米軍新基地に反対   7面
(6)NY食彩      14面
(7)レストランショー 15面
(8)コナモン大会    15面
(9)映画       26面
(10)絵本「めいた」4   12面

抽選で米国永住権

10月2日から応募受け付け

 過去5年間の米国への移民率が低い国の国民に与えられる「移民多様化ビザ(DV)」、いわゆる永住権(グリーンカード)の抽選申請が今年も10月2日(水)から11月5日(火)まで実施される。2021年度に向けて5万5000枚の永住権が発給される予定。申請費用は無料。国務省のコンピュータによるランダム抽選で選ばれ、結果は来年6月以降になる見込み。2019年度の日本人当選者数は376人だった。
 応募の際には、過去6か月以内に撮影しインストラクションに明記された条件を満たした写真を使用すること。申請が完了すると応募者氏名と確認番号が記載された画面が出て来る。当選結果はこの番号を入力して調べることが可能。応募は1回のみで複数回エントリー送信すると失格となる。締め切り間近になると応募が殺到してコンピュータ不具合が発生する危険性があることから、早めにエントリーすることを奨励している。また、応募は抽選方式で無作為に抽出されるが、当選したあとの手続きは先着順で登録されるため、当選結果が発表になったあとは、指示にしたがってすみやかに手続きする必要がある。国務省では資格外応募者や棄権者を想定して水増しして当選を発表する。手続きする人が5万5000人に達した時点でプログラムは終了、それ以降に手続きした場合は当選していても資格を失う。
 詳しくはウェブサイトhttps://travel.state.gov/から「DV」で検索。類似ウェブサイトが多いので要注意。

相手を動かす話し方

インスパイアトーク主催

信元さんが20字で語った5つの鉄則

 全米スピーチコンテストのニューヨーク大会で4度の優勝経験があるリップシャツ信元夏代さんが20日夜、マンハッタンで講演した。インスパイアトーク主催のイベントに当日は60人の参加者があった。信元さんは、スピーチがもともと上手なのではなく、トーストマスターズというスピーチ教室に通って練習し、7分のスピーチを250回近くも繰り返して時間ぴったりに終わるように磨きをかけたそうだ。
 講演では、スピーチで相手を動かす5つの鉄則として(1)伝えることは一つに絞る(2)オレオレスピーチはしない(3)KISSの法則=Keep it simple, specific=(4)商品を売り込むのではなく明るい未来予想図を売り込む(5)成功話にフォーカスしない—を挙げて説明した。
 具体的には、話の中にあれもこれも盛り込まずに、すべては伝えたいことの一番大切なメッセージへ誘導するために使い、しかもそれを分かりやすく簡単に、聞き手目線に立って商品ではなく夢を語り、自慢話よりは失敗談で相手に体温を感じさせる話し方をするように、とアドバイスした。会場で参加者がスピーチするのを信元さんがコーチングする場面もあった。

NYに参上しました マグロともかずです

1万人の笑顔マグロプロジェクトに挑む

北海道札幌市 村上智一さん

 笑顔で「マグロ、着ません?」と呼びかけて世界とつながろうと1万人プロジェクトのため北海道の札幌市からニューヨークにやってきた。人と人とをつなぐコネクター、講演芸人のマグロともかずさんこと村上智一さん(42)。北海道教育大学を卒業したが教師にはならず、十勝管内の牧場や札幌の食品会社勤務を経て2017年に講演やセミナーを手掛ける会社を立ち上げ「マグロともかず」の芸名でテレビにも出る。
 ニューヨークでは最初は断わられるが、スーツケースに書いた「世界中の笑顔を集めています」という文字で納得、マグロネタの気ぐるみになってくれる。ミュージカル「シカゴ」の劇場で、出待ちしていたら主役ヴェルマ・ケリー役のラナ・ゴードンが出てきて快く看板の前でポーズを取ってくれた。「いやあー、ニューヨーカーは心が広い!」と大感激のマグロともかずだった。(三浦)

自由の女神で、エンパイアで、ミュージカル「シカゴ」の主演女優、ラナ・ゴードンまで着てくれた

平和の鐘国連に響く

式典に参加したグテレス国連事務総長(中央)と別所国連大使夫妻ら関係者(20日午前9時すぎ)

グテレス事務総長が鐘鳴らす
環境と平和唱え
五嶋みどり、ヨーヨーマさん参列

 国際平和デーを前に、20日午前9時、国連本部で日本が贈った「平和の鐘」をグテレス国連事務総長とムハマンドバンデ国連総会議長が鳴らし、荘厳な音を響かせた。式典には別所浩郎国連大使夫妻、平和の使者として活躍するバイオリニストの五嶋みどりさん、世界的なチェロ奏者ヨーヨー・マさんほか各国国連大使が参加した。

平和の鐘寄贈者の娘高瀬さんが講演

 式典会場には、平和の鐘を寄贈した元宇和島市長の中川千代治さん(故人)の6女、高瀬聖子さんも参列し、鐘の音を聞いた。式典会場で、別所国連大使が高瀬さんをムハマンドバンデ国連総会議長に紹介した。
 高瀬さんは、父親の遺志を受け継ぎ、一般社団法人「国連平和の鐘を守る会」を日本で設立してその代表として現在平和啓蒙活動を続けている。今年は、外務省のはからいで国連代表部を通じて国連公式ガイドたちに平和の鐘の由来を説明する機会が設けられた。また、平和の象徴としての鐘のレプリカをグテレス事務総長に寄贈した。同日午後には、市内の日本食レストラン「梓」で平和の鐘を紹介する講演会が開催され、15人が参加して熱心に話を聞いた。

在日米軍新基地反対

辺野古新基地建設反対を訴えるてい子・与那覇・トゥーシーさん

地球温暖化解決集会で

辺野古新基地建設反対を訴える沖縄出身者が演説

「沖縄は日米の植民地扱いだ」

 世界の政治指導者が一堂に会する国連総会、国連気候行動サミット、そして国連平和デーを機に22日昼、 ニューヨークのヘラルドスクエアで米政府に国際法を守り軍事主義を捨て地球温暖化の解決に取り組むよう求める集会が開かれた。
「みんなでアメリカの戦争機構を止め、地球を救おう」と題した集会には、約70の米国の平和団体が協賛、米政府に「核兵器廃絶条約への調印、イラン核協定とパリ気候変動合意への回帰、NATO廃絶、全世界の米軍基地の閉鎖」をよびかけた。辺野古新基地建設反対を訴える沖縄の声(「沖縄と共に立ち上がろう」と「沖縄平和連合会」)を代表して、てい子・与那覇・トゥーシーさんが演壇に立った。トゥーシーさんは名護出身で幼少期に沖縄戦を体験。「日本の面積は沖縄の240倍、沖縄の人口は日本の1%。そこに在日米軍基地の7割以上がある。19世紀に日本に併合されて以来、琉球文化は排斥され、ことばすら奪われ、沖縄は無力感を教え込まれた。日米両国から植民地扱いだ。60年代にアメリカに来て、私は自由と人権を学んだ。沖縄の声を聞き、自決権を尊重してくだい」と訴えると、会場から拍手と「米軍は撤退を」という声が巻き起こった。ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズの詩の朗読もあり、熱気あふれる集会となった。(大竹秀子、写真・八巻由利子)

渋沢栄一の功績に触れる

深谷駅

埼玉県深谷市

28歳のころの渋沢

 今年4月、麻生太郎財務相は5年後の2024年に紙幣を20年ぶりに刷新すると発表した。1万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に、5千円札は樋口一葉から津田梅子に、千円札は野口英世から北里柴三郎にそれぞれ変更され、24年度上期から流通を開始する。なかでも1万円札は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来、40年ぶりの人物変更となる。渋沢といえば、その生涯を描く2021年のNHK大河ドラマ「晴天を衝く」(主演:吉沢亮)も発表されたばかりだ。

 渋沢栄一がお札の肖像として候補にあがったのはこれが初めてではない。1963年、渋沢は新千円札の人物選定で伊藤博文と最終選考まで争ったが、当時の技術ではヒゲがないと偽造されやすいという理由で落選した。今回ヒゲがなくても採用された理由を麻生財務相は、「最先端の偽造防止技術を搭載するため」だとしている。現在発表されているその最先端技術のひとつは、銀行券への導入が世界初となる「3Dホログラム」で、お札を傾けると図柄が浮きあがってみえるのだそう。
 また、新1万円札の裏面には東京駅丸の内駅舎がデザインされるが、これも渋沢と関係がある。1914年に建てられた東京駅丸の内口駅舎には深谷市にある日本煉瓦製造株式会社製のレンガが使われたからだ。この会社は渋沢が作った日本で最初の機械式レンガ工場で、赤坂迎賓館や帝国ホテル、東京大学などに使われたレンガもここで作られた。そんな東京駅との繋がりから、20年ほど前に深谷駅が改修された際には東京駅を模して造られた。深谷市で生まれ育った私は、田舎によくある平屋建てから突然立派になった駅舎に驚いたものだ。

青い目の人形を持つ渋沢

 ところで、渋沢栄一って誰? と思う人も多いのではないのだろうか。渋沢は1840(天保11)年、武蔵国榛沢郡(現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれた。幼い頃から家業を手伝い、論語をはじめとする学問や剣術を学び、江戸や京都への遊学を経て、最後の将軍となる徳川慶喜に仕えた。27歳のとき、慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万国博覧会を見学するなどヨーロッパ諸国をまわった際には先進国の社会や技術を目の当たりにして大きな感銘を受けており、この経験がのちの近代経済システム構築に役立ったと言われている。その後明治政府から招聘されて大蔵省に入省し、日本の政治経済の土台づくりに貢献。33歳で大蔵省を辞め、第一国立銀行(現みずほ銀行)の総監役に着任、この銀行を拠点に東京瓦斯(現東京ガス)、東京海上保険(現東京海上日動火災)、帝国ホテルなど、約500の企業や教育機関、社会公共事業の支援に奮闘した。「近代日本資本主義の父」と呼ばれているが、渋沢が関わった事業があまりにも広い分野で数も多いため、その功績をひと言で説明できないことが知名度の低さにつながっているのかもしれない。そして満州事変から2か月後の1931(昭和6)年11月11日、渋沢は92歳でこの世を去った。

記念館のある地区公民館

 さて、新1万円札についてのニュースが発表されたあと、深谷市にある「渋沢栄一記念館」には突如として多くの人が訪れるようになった。地区の公民館も兼ねた記念館には渋沢の写真や資料、肉声を再生できるスピーカーのほか、研修室、図書室や体育館も併設。その体育館を横切り記念館の裏側に出ると、右手に論語を持った高さ約4メートルの立像が日陰にひっそりと置かれている。実はこの銅像、以前は深谷駅前ロータリーにあったのだが顔と体のバランスが悪く、「地元の偉人なのにカッコ悪すぎる」と市民からクレームが殺到。そこで現在の坐像と交代させられ、立像は記念館の裏手に移されてしまった。身長150センチと小柄だったが腕力は強く、米俵一俵を軽く持ち上げていたという渋沢。小さいながらもムキムキの筋肉質というところか。

渋沢栄一の銅像と解説員の塚田さん

 記念館では4人の解説員が在籍し、資料を前に20分ほど渋沢の生涯とその功績について丁寧に説明してくれる。解説員のひとり、塚田さんに新1万円札について尋ねてみた。すると塚田さんは名誉なことだとする反面、すこし寂しそうな表情で懸念する。「キャッシュレス化が進むいま、5年後の日本ではいったいどのくらいの日本人が現金を使っているのだろうか。その時に紙幣がほとんど流通していないのであれば、我らが渋沢栄一のお札を目にする機会はあるのだろうか」と。青空の下、心配顔で立つ塚田さんを微笑ましく見つめた。もうお札になってもあまり意味がないかもしれませんね、その言葉は胸にしまった。それでもいいではないか、かつての2千円札を誰もが新札のまま保存しているように。論語を片手に堂々と立つ渋沢栄一の銅像を見上げた。渋沢先輩、それでも私は世界屈指の新技術が導入されたあなたの紙幣を手にする日が待ち遠しいですよ。(本紙/高田由起子、写真も)

シャクシュカ

NYで食彩 世界味のめぐり

51 イスラエル&モロッコ

 ブルックリンのグランド・アーミー・プラザがみえるアパート最上階に住むユダヤ人のエトワールさんが、モロッコからイスラエルに伝わったと言う「母国」の味を披露してくれた。
 辞書には「シャクシュカ」は、チュニジアなまりのアラビア語で「混ぜる」という意味だとある。ヘルシーフードとして近年世界で人気上昇中のこの一品は、「トマトソースの卵料理」と紹介されることもあるが、エトワールさんは「温かいサラダのこと」とし、「私は好きじゃないけれど、卵を入れてもいいのよ」と、この日は私のために卵を加えてくれた。
 基本の味はトマト。エトワールさん流は、トマトだけでなく「彩りがいいから」とクマト(スペイン発トマト新品種)を加える。皮を剥いたトマトやクマトを左の手のひらに乗せて、右手にもった包丁でクイッと小さく切って油をしいたフライパンに落とす手さばきは、料理上手というのが一目瞭然。細切りしたグリーンベルペッパーとニンニクを混ぜて出来上がり。ゆっくり直火で薄皮を焦がしたグリーンベルペッパーは「水で洗うと味が落ちる」と言いながら、丁寧に焦げめを手で剥がす。味付けは塩・胡椒のほかパプリカ(粉末)2種。イスラエル産の「ハンガリアンパプリカ」は辛い味、身近で手に入る「パプリカ」は甘酸っぱい味。そもそも「パプリカ」とはハンガリア語だと今回初めて知った。「分量は?」と尋ねると、「モロッコでは、スプーン1杯とかカップ1杯じゃなくて目で見てって言うのよ」と笑う。

 フライパンのまま食べる。辛さ控えめにしてくれた「シャクシュカ」は、温かくてお腹にやさしい味だった。通常はパンなどと一緒に食べるという。
 この日は、たっぷりレモン汁を加えたキノワサラダも用意された。「イスラエルの気候がオレンジやレモンに適しているの」と言いながら、イスラエルが開発した海水を農業水に変える技術や灌漑システム(点滴灌漑)が世界に普及していることを自慢げに話してくれる。木製のレモン絞り器具はこの台所に欠かせない道具のひとつ。料理は自己流というエトワールさん。「母の料理はフレンチスタイルのモロッコ料理。母から料理は習わなかった。とてもきれい好きで、台所では子供たちに料理を触らせなかったから」。
 エトワールさんは、モロッコで生まれ育ち、10代後半で家族でイスラエルに移住。外交官の米国人との結婚後は、スリランカ、パキスタン、日本に住んだ。特に通算9年住んだ日本が大好きで、包丁や食器は日本で買い求めたものを好んで使う。英語、フランス語、スペイン語、ヘブライ語、そして日本語も堪能で、感謝祭にはターキーとクスクスを家族に振る舞う一方で、ユダヤの祝祭には必ず特別な料理を作る。エキゾチックな顔立ちの美しい人なのに、ご本人は「老けてしまったから」と、残念ながら写真なし。
(小味かおる、写真も)


<材料と作り方>

トマト、クマト、グリーンべルペッパー(日本でいうピーマン)、ニンニク、卵、オリーブ油、パプリカ(粉末)2種、塩、胡椒

①ニンニクは薄切り、は直火で薄皮を焦がしておき、少しさめたら指で焦げ目を取って細長く切っておく。
②トマトとクマトは湯剥き、少し冷めてから小さく切る。
③油をしいたフライパンに、トマトとクマトを入れ、5分ぐらい弱火にかける。(水分が出るので水などは足さない)
④パプリカ、細切りしたピーマンとニンニクを加えて、できあがり。
⑤卵を入れる場合は、④に卵を割り入れ、蓋をして数分蒸す。

NY共同貿易レストランエキスポ 食品132社が参加

過去最大規模!

 ニューヨーク共同貿易の第26回ジャパニーズ・フード&レストラン・エキスポが21日マンハッタンのメトロポリタン・パビリオンで開催され、過去最高の132社が出展した。同社大畑正俊社長は「かつて健康に良いと言われて注目された日本食は今クオリティーと味の時代になっている」と話し、ニューヨーク日本総領事館の溝呂木佑典領事は「日本に対す評価は時代と共に変わり、驚き、反感、無関心から再評価の時代になっている」と挨拶。畠山一成ジェトロニューヨーク所長は「着任1年で共同貿易をはじめとする日本食関係者の多大の貢献を身を持って実感する」と述べた。


 今年初出展した和歌山県の伊藤農園は、みかんジュースを出品。「オレンジとは違う酸味と苦味がバーなどでも受けるのではないか」と同社専務取締役の伊藤彰浩さん。福島県からは栄川酒造、国権酒造、有賀酒造などがそれぞれの自慢の酒を披露した。京都から黄桜、兵庫県豊岡市からお米のコウノトリ育むお米も常連で参加。創味食品はカレーのルーが出荷2年目。同社の西川誠さんは「アメリカ市場の開拓ははまだまだこれから」と話していた。

いまり堂々の1位 NYこなもんコンテスト

表彰台で笑顔の優勝いまり(中央)、2位風月(左)、3位フジヤキソバ(右)

風月、今年も2位
ジャパンフェス

 ジャパンフェス実行委員会は21日と22日にお好み焼きやたこ焼きなどの粉もんフェスを開催した。マンハッタンで1ブロックを閉鎖、1万人規模のストリートフェスティバルになった。地元ニューヨークのほか日本からの出店者によるコンテストを開催。日本から4店舗参戦し、計9店舗による日米対決となり、人気投票の結果1位は、東京から出店した「お好み焼きいまり」が総合得点631票のダントツで優勝した。2位は昨年に続き北海道のお好み焼き「風月」(総得点380票)。3位は、地元ニューヨークから出店したフジヤキソバ(332票)だった。

 日本コナモン協会の熊谷真菜会長=写真右=は「ジャパニーズソースは日本の食文化のアイドル。皆さんに喜んでいただけて将来はアメリカ全土にもじわっと広がっていけたらうれしい」と話していた。