中国と韓国「反日」の理由

ケント・ギルバート・著
祥伝社新書・刊

 本書は2017年に単行本にて刊行された『中韓がむさぼり続ける「反日」という名の毒饅頭』(悟空出版)に加筆・修正を加えて新書化したものだ。著者のケント・ギルバート氏は「日本だったら何を言っても許されると思うな。中国、韓国こそ、歴史を直視せよ」と豪語する。「反日」の根本にあるものを探り、その目的を読み説くための一冊。アメリカ人の立場から冷静に、中国共産党の成り立ちと侵略の歴史、韓国が仕掛ける反日歴史戦を紐とき、東アジア情勢や日本の役割を分析している。
 同氏は、中国は国内外での非道な振るまいをひた隠し、共産党への不満のガス抜きの道具として、また、韓国は、国内政治闘争の手段として「反日」を使っていると述べる。「はたして、中国と日本のどちらが真実を言っているのか、韓国と日本のどちらが民主的なのか、いまこそ国際社会に訴える時だ」と緊迫する香港情勢、米中貿易戦争など最新のトピックを交え、改憲論にも一石を投じている。
 習近平国家主席は、2018年3月に憲法を改正して事実上の「皇帝」と化し、世界の恐怖感が一層高まった。中国人も恐らく内心ではそうだろう。米国では、中国共産党による米国からの知的財産の盗み出しが一向にやまず、再三の抗議にも関わらず改善しないため、鉄鋼製品を皮きりとして関税を上乗せしたり、AIや通信などの技術から中国企業を除外したりし始め「米中貿易戦争」という争いが始まっている。
 米国と中国の軋轢が高まっているなかで、中国と日本の関係はむしろ逆に比較的、緩慢ながらも一時の領有権をめぐる対立時からみても一歩後退している状態に見える。
 そして、韓国では、2018年10月に大法院(最高裁)で日本製鉄や11月には三菱重工に元「徴用工」に損害賠償を命じる判決が確定し、1965年の日韓基本条約や日韓請求権協定で定めていたはずの事柄を実質的に無効化し始めている。著者は「近いうちに、日本企業の在韓資産が現金化されるかもしれない」と危惧する。
 このほかにも15年の「慰安婦合意」の実質無効化や韓国駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への「レーダー照射」事件、日本の戦略物資三品目の対韓国輸出規制強化に対する「日本製品不買運動」やそれへの対抗措置としての日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)破棄をちらつかせるなど、一直線に反日への道を歩み続けた。
 日韓についてはメディアもさかんに史上最悪の状態と報道しているが、著者は、「韓国の反日など、いくら日本人が頭にきても、よほどのことでもない限り、放置しておいても構わないものなのに対し、中国が現在、表面上反日色を抑えているからといって決して油断してはならない」と警告する。「一帯一路」をはじめとする政策、そして他国に対する態度や考え方は「世界秩序を揺るがす危険なものだ」と警鐘を鳴らす。日本の中から見えるアメリカ人の視点による中国・韓国分析として興味深い。(三)

ゴーン被告世界を手玉

(左)国外逃亡したゴーン被告 
(右) ゴーン被告が入っていたとされるボックス。トルコの捜査当局が指紋採取を行ったため白く汚れている。

米有力紙が報じた逃亡劇一部始終

 金融商品取引法違反などの罪で起訴され、保釈中だった日産自動車元会長のゴーン被告(65)が12月31日、「私はレバノンにいる。不公正と政治的迫害から逃れた」と米国の代理人を通じ声明を発表。海外渡航禁止の保釈条件を破って逃亡していたことが明らかになり、世界中を驚かせた。合計15億円もの保釈保証金を納付し、被告の住居の入り口はカメラで24時間監視され、妻のキャロルさんとの接触禁止、パスポートも弁護士が預かっているにも関わらず、日本を出国した方法は各国のメディアに様々に報道され、まるで「映画のよう」とされている。

監視解除後、制限住居から一人で抜け出す

 日産は民間の会社に依頼して、ゴーン被告の行動を24時間に近い形で監視していたが、12月27日に弁護団による刑事告訴を受けて29日に監視を解除。この日の昼ごろ一人で都内の制限住居を出たところを監視カメラが捉えていた。監視解除を被告が事前に把握していたかは不明。ゴーン被告は協力者と落ち合い、JR品川駅から新幹線で新大阪駅に移動。新大阪駅からはタクシーで関西空港近くのホテルに立ち寄り、深夜午後11時ごろにプライベートジェットに搭乗し出国した。ゴーン被告の出国記録はなく、音響機器の運搬に使う大型の黒いケースの中に隠れてプライベートジェット機まで運ばれた。
 通常は保安検査を通って出国審査の手続きが行われるが、ケースはエックス線検査を受けていなかった。ウォールストリート・ジャーナルによると、ゴーン被告の支援チームは20回以上も日本を訪問し少なくとも10カ所の空港を調査し、関西国際空港のプライベートジェット施設がエックス線検査機が大きな荷物に対応していないことを事前に把握していたと見られる。

民間警備会社が手配 

 このプライベートジェットの大阪・イスタンブール間の乗客名簿にゴーン被告の名前はなく、従って出国記録もなく、あるのは民間警備会社の2人。ウォールストリートジャーナルによれば、一人は元米国陸軍の特殊部隊員(グリーンベレー)で、退役後は警備会社を営むマイケル・テイラー氏。アフガニスタンでの特殊部隊訓練などの仕事で米国防総省の仕事を請け負うなどしていたが、2010年に通信詐欺などの罪で禁錮2年の刑が言い渡されている。もう一人のジョルジュアントワーヌ・ザイェクはテイラー氏の会社での勤務経験があった。
 トルコの捜査当局は非合法にトルコに入出国ゴーン被告の逃亡を手助けしたなどの疑いで、プライベートジェット操縦士4人と、プライベートジェットの運航会社の社員1人を逮捕した。しかし操縦士もゴーン被告を運んでいることを知らなかったという。また使われた大型ケースの写真を公開した。運航会社幹部は事情聴取に対して、レバノンの知り合いから「国際的な重要な仕事だ」と言われ頼まれたが搭乗者が誰かは知らなかった。また、遂行しなければ「家族に被害が及ぶと脅され、怖くなり手配した」と説明しているが、かなりの報酬を受けている可能性があり信用性は低いとの見方もある。
 英紙フィナンシャル・タイムズは計画に詳しい人物の話として、この民間警備会社は数カ月前から逃亡計画を進め、日本国内の支援者の協力も含め複数のチームに分かれて異なる国々で準備を行っていたという。ダウ・ジョーンズ通信は、匿名の関係者の話を基に、脱出計画には日本人も含む国籍の異なる10〜15人のチームが関わったと報じた。

レバノン政府が関与か 

 レバノン政府が逃走に関与した疑いが各メディアが報じている。英紙インディペンデントのアラビア語版は政府関係筋の話として、ゴーン被告の脱出計画について「レバノンの治安、政治関係者が少なくとも(実行される)数週間前には把握していた」と報じた。地元テレビのアルナシェラによれば、ゴーン被告がベイルートの空港に到着した際、被告に「近い友人ら」が出迎えた。レバノン政府関係者も出迎えたとの報道もある。
 レバノン外務省の政治問題担当のガディ・フーリー氏は、ゴーン被告がフランスの旅券とレバノンの身分証明書(ID)を使って合法的に同国に入国したと述べている。フィナンシャル・タイムズは鈴木馨祐外務副大臣が12月20日、レバノンのアウン大統領を表敬訪問した際、ゴーン元会長の送還を要請されたと報じた。日本外務省幹部は「やり取りは今回の逃亡を予期させる内容ではなかった」としている。会見と脱出が近い時期になったのは偶然としている。
 レバノン到着後、ゴーン被告は大統領と非公式に面会、「レバノン市民としての保護」を約束したと報道されたが、大統領府高官は2日、「ゴーン氏は大統領府に来ていないし、大統領に会ってもいない」と改めて強調した。
 ゴーン被告の妻キャロルさんはベイルート生まれで、この逃亡計画に深く関与しているとほとんどのメディアが報じたが、ゴーン氏側は「家族は関与していない」と2日、発表した。 ゴーン被告は現在、ベイルートにあるキャロルさんの家族の家に滞在。レバノン政府から厳重な護衛を受けていると伝えられている。ウォールストリート・ジャーナルによれば、ゴーン被告の日本からの渡航先は、レバノン以外にフランスやブラジル、アメリカなども検討されたという。フランスのパニエリュナシェ経済・財務副大臣は2日、仮に被告がフランスに入国したとしても日本には送還しないと語っている。

映画化もちかける

 二ューヨークタイムズによると、ゴーン被告は米アカデミー賞作品賞などを受賞した「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」のプロデューサーを務めたジョン・レッシャー氏と東京で12月に会い、自分の物語を映画にできないか打診したという。ゴーン被告は過去にライブドア事件で有罪判決を受けた堀江貴文氏にも連絡を取っており、堀江氏によれば1月に会う予定だったという。

スーツは男の戦闘服

サムライスーツ・ジャケットを
デザインする

村井カズトシさん

 1966年 東京 浅草橋生まれ。仕立て屋(テーラー) 3代目として生まれ、幼少の頃から祖父、父の仕立て、縫製をする姿を見て育った。20歳でファッション学校を卒業後、トータルビューティー、トータルファッションを目指し(ファッションとフィットネスの融合)、24歳までスポーツクラブのフィットネスインストラクターとして身体をデザインする。
「健康をデザインする」をスローガンに、ユニフォームデザインと合わせて、
外見と内見のトータルデザイン、トータルビューティーを目指す。29歳で法人ビバーチエを設立、現在24期目を迎える。
 30歳代は毎年イタリア、イギリスへ商品視察、仕入れへ行き、欧州のスーツ事情、ファッション事情を視察する。35歳で中央区銀座へ自社サロンを開店。41歳で港区六本木へ開店。50歳で上海新天地にサロンを開店。今までに3店の開店を通じ多くの企画、販売、イベントを試みる。
 日本国内には、サムライの販売代理店を7拠点設ける。日本国内では、会社経営者を中心に、プロスポーツ選手、金融機関の顧客を中心に販売、スタイリングを手がけている。
 2017年2月からニューヨーク・ソーホーのWAZA SHOPにてサムライスーツ、ジャケットの販売、卸売を開始している。
 今年からは、ニューヨークの地においても「日本高品質」をモットーに 「サムライ・ジャケットスーツ(SAMURAI JACKT SUIT)」の販売、レンタル、スタイリングを目指している。村井さんは、「世界の意識の高い人々に袖を通してもらい、モチベーションを高めてもらう事を商品の目的にしています。メンズの商品は『男の戦闘服』をモットーにビジネスで勝つためのまさに男の戦闘服と人々に伝えています。ただ、服を身に纏うだけでなく、想いを着る、志を着るをテーマに、選ばれし男は、サムライを身に纏うべしという言葉、想いを大切にしています」と語る。
 日本国内では、カスタムメイドのオーダースーツ、ジャケットが主力商品ですが、アメリカ、ニューヨークでは、袖詰めのみのプレタポルテ商品で展開を進めていきたいと考えている」という。
 各商品は、裏地に着物柄、和柄をコーディネートし、侍の刺繍を各所に入れ、着物、羽織の考え方を取り入れている。
「江戸時代の徳川幕府による贅沢禁止令から、表の生地はねずみ色一辺倒の着物で、せめて裏地だけは自分の思いを入れたいとのことから、各色、各柄の裏地が多数出て、皆裏地を見せ合い、自慢し合っていたという史記も残っている。その考え方を、この現代に生かし、各人の個性、想いを大切にしたい」とも。
 生地産地は、悠久の1200年の歴史を誇る京都 の産地を中心に生地の仕入れ、生産は、国内有数の工房のある、名古屋、九州を中心に制作。企画、デザインは村井さん自身が26年のキャリアを生かして、毎回手の切れるような製品を作るごとく、その想いを込めて、一点一点、刀、真剣を作る想いで、ミリ単位でこだわり、制作している。 (三浦良一記者、写真も)

酒蔵でボランティア慰労

 酒蔵ミッドタウンで12月30日昼、ニューヨーク日系人会(JAA、スーザン大沼会長)の敬老会、図書室係などのボランティア25人を招いた年越し蕎麦の慰労会が開催された。
 これは酒蔵のオーナーであるTICグループ社長の八木秀峰さんが毎年招待しているもので、参加者たちは当日、天ざるや熱い天婦羅そばをごちそうになった。スーザン大沼会長から感謝の言葉と野田美知代事務局長から八木社長に花束が贈られた。八木社長は東京で令和元年春の叙勲で旭日双光章の叙勲を受けてきたばかり。「これからも日系社会のために感謝の気持ちを忘れずに精進してまいります」と挨拶していた。

邦人女性が殺人未遂

大学の同僚女性の顔を殴り刺す

 マサチューセッツ州マウント・ホリヨーク大学の芸術教授、八柳里枝(はちやなぎ・さとえ)容疑者(48歳)=写真=が12月23日夜、同州レベレット町に住む同大の同僚女性(60歳)の家に無断で入り込み、石、植木用バサミ、暖炉用器具などで顔に危害を加えたと、警察が発表した。
 地元紙デイリー・ハンプシャー・ガゼットの報道によると、八柳容疑者はその同日深夜(24日未明)に911に電話、警察は容疑者と血まみれになった瀕死の同僚を発見した。八柳容疑者は警察に「侵入者」の説を主張、血みどろの自分の服は怪我をした被害者を抱いていたためと警察に説明したが、警察は病院で被害者から事情聴取した結果、加害者が八柳容疑者と分かった。被害者は八柳容疑者が「何年もの間、愛していたのに分かって欲しかった」と言われたと、警察の調書にある。23日夜に招かれてもいない被害者の家に入ったのは「自分の気持ちを伝えたかったため」だとも、警察で述べている。 被害者女性は突然、八柳容疑者から「ずっと前からあなたのことを愛していた」と告白を受けた。女性は「受け入れることができないと伝えると直後に石や暖炉の火かき棒や植木ばさみを掴んで女性に殴りかかったという。女性は「思いは報われないこともない」ことを伝えると攻撃の手を止め、落ち着きを見せたという。怪我は何者かに襲われたことにして警察に通報し、救急車を呼ぶことにしたが、病院到着後に女性が八柳容疑者が犯人だと告げ、その日のうちに殺人・武装未遂容疑で逮捕された。来月4日にオレンジ地方裁判所で聴聞会が開催。

想田監督の新作「精神0」

MoMAで2月に招待上映

 想田和弘監督の新作ドキュメンタリー映画「精神0」(英語題名:Zero, 2020年、観察映画第9弾、128分、日本/米国)が、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の第19回ドキュメンタリー・フォートナイト映画祭へ正式招待されることが決まった。今年のラインナップの「センターピース(目玉作品)」としてプレミア上映される。
「精神0」の主人公は、2008年に発表した「精神」(観察映画第2弾)の主人公でもある精神科医の山本昌知医師夫妻。
 1960年代、精神科病院の鍵を外す運動の先頭に立った、山本昌知医師。精神科診療所「こらーる岡山」を拠点に、患者本位の医療を実践する「赤ひげ先生」の姿は、映画「精神」で描かれた。その山本も、82歳。ついに医療の現場から引退することになった。長年山本を命綱のように頼りにしてきた患者たちに、動揺が広がる。一方、山本の仕事を陰で支えてきた妻の芳子は、重い認知症を患い介護を必要としていた。まだ肌寒さが残る春、二人の新たな生活が始まる。
 上映は2月14日(金)午後7時から(想田と柏木による質疑応答付き)と、2月18日火)午後4時から。

NJとNY結ぶ橋とトンネルまた値上げ

E-Zパスのカープール割引は存続決定

 ニューヨーク・ニュージャージー港湾局は5日(日)、約4年ぶりに同局が管轄しているニュージャージー州とニューヨーク市を結ぶ全ての橋とトンネルの通行料金を値上げした。対象となったのは、ジョージワシントン橋、リンカーントンネル、ホーランドトンネル、ベイヨン橋、ゴーサル橋、アウターブリッジクロッシングの6つで、一般車両の現金での通行料は1ドル上がって16ドルになった。EZパス利用者の割引料金も、オフピーク時間帯は11ドル75セント、ピーク時間帯は13ドル75セントに、それぞれ1ドル25セント値上がりした。
 なお、これらの橋とトンネルでEZパスを利用し3人以上が乗車する一般車両に対する優遇措置である「カープール特別割引プラン」に関して、昨年12月頭に利用者に対してEメールなどで「同プランは1月5日をもって廃止する」と通達があったものの、直後に大勢の利用者から抗議が殺到し議論が起きていた。結局、1月2日にまた利用者には「 近い将来の料金所の無人化に向けての準備は継続するものの、『1月5日に同プランは廃止する』とした決定は白紙撤回し、当面同プランは存続させる」との通達が行われた。但し、今回の通行料値上げ
は同プランにも反映し、1ドル25セント上がって7ドル75セントとなった。 また、翌6日(月)には、ニュージャージー州とペンシルベニア州を結ぶペンシルベニアターンパイクなどの料金も値上がりした。

女性和太鼓集団鼓舞 20周年「万葉の森」

写真・Mutsu Watanabe

 今年で結成20周年を迎えるニューヨークの女性和太鼓集団「鼓舞組」の公演「万葉の森」古き和歌の鼓動が12月27日、市内イーストビレッジのジョンソン劇場シアター・フォー・ザ・ニューシティーで開催された。今回のショーは、日本最古の和歌集である万葉集から20首の和歌を選び、その和歌の鼓動をパフォーマンスで表現した。日本語の持つ美しさ、和歌の中から伝わる古き日本の情景や人々の心情や鼓動を感じさせた。演奏した和歌の一部と内容を紹介する。

 初春の令月にして気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を疲き蘭は珮後の香を薫らす

 これは令和という元号の由来にもなったという万葉集の和歌。この和歌をプロローグとしてショーが始まった。照明、ナレーション、ライブビデオパフォーマー、それぞれの演出家が鼓舞の曲目が始まる前の空気感を作り出していく。令和という新時代の扉を開いた今こそ、古き時代の人々の世界観を覗くという試みでもある。時は7世紀後半から8世紀前半の飛鳥時代。人々は何を想い、何に命を燃やしたのか。今日に至るまでたくさんの長い年月が流れ、世界は大きく変わったが「きっと変わらないものもあるはず。忘れてしまっていることもあるかもしない。そこで感じるものを見つけて」と観衆を誘う。

  熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

 この歌の通り、未知の世界へと漕ぎ出でようとする大勢の人々を鼓舞する躍動感、鼓動の高鳴りを表現した。衣装のバックプリント《鼓舞組》の文字は手縫いで描かれたもの。

新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事

 新たな年の初めに降り積もる雪のように、喜ばしい事や祝うべき事がますます積り重なっていけという希望溢れる和歌。これはタイトル通り、良いことがたくさんありますように、という気持ちを全力で表現。衣装のミニ浴衣は一人一人帯の柄や色が異なる。

  リーダの宮本やこさんは「新しい時代になり、令和の元になった万葉集を紐解くことで古(いにしえ)の人々の思いが良く理解できた。私たちも結成20周年の年になるので、新たな気持ちで進んでいきたい」と演奏後に語っていた。

「ゲルニカ」その2

「絵を描くのは部屋を飾り立てるためではない。敵と戦うための武器なのだ」
パブロ・ピカソ

「ゲルニカ」制作当時ピカソと生活を共にしていたドラ・マール。彼女自身、写真家でもあり芸術家でもあったのですが、彼女はピカソが絵の描き始めから完成までを3000枚に及ぶ写真で記録しています。
 完成作品はモノクロですが、当初は色づけも考えられていたようで、随所に金色などの紙が貼られていました。彼女の記録によると、終盤まで、牡牛の目の下には紙で作られた一粒の赤い涙が貼りつけられていたそうです
「ゲルニカ」の持つ影響力について書いてまいりましたが、ではそもそもなぜロックフェラー家は、このタペストリーの「ゲルニカ」をスペインに送り出したあとのMoMAにではなく、国連に飾ることにしたのでしょうか?
 調べると、国連へのローンの話は、ネルソン・ロックフェラー氏の死後、1985年に未亡人のハッピー夫人とペレス・デクエヤル国連事務総長(当時)との社交の夕食の席でまとまったとされています。
 ネルソンは、MoMAの設立にもかかわった母親(ジョン・ロックフェラー2世の夫人)譲りの美術愛好家で特に近代芸術のコレクターとして有名でした。その彼が喉から手が出るほどに所有したかったのが「ゲルニカ」で、ピカソ本人に打診したものの断られ、それではと、1955年、タペストリーでの再現をピカソに発注したのがこの作品です。ネルソンが生まれ育った邸宅にはフランドル地方で織られた「一角獣の狩り」などの名品が飾られていました。(いまはクロイスターズ美術館で観られる大作シリーズです。ちなみに、映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』の1シーンでホグワーツ城のなかで「囚われの一角獣」のタペストリーが使われています。)タペストリーはネルソンにとってとても馴染みのあるアートのかたちだったのです。
 タペストリーの「ゲルニカ」は、ネルソンが、ニューヨーク州知事時代、オールバニーの知事公邸に飾られていました。ハッピー夫人とデクエヤル事務総長との会食でこのタペストリーを国連に貸し出すことが決まった背景にはもう一つ、国連本部をニューヨークに誘致するにあたり、ネルソン自身も精力的に動き、父親のジョン・ロックフェラー2世から用地取得の寄附も取り付けるなど、大きな役割を果たしたことから、夫人にとっては夫の思いを引き継ぐという側面もあったのではないでしょうか。
 ロックフェラー家には実業家であるとともに慈善事業家としての伝統があります。初代のジョン・D・ロックフェラーは言わずと知れたアメリカの石油王ですが、自身は貧しい家庭の六人兄弟の二番目として生まれています。高校卒業し、経理の仕事に就き、20代で事業を起こし、その後石油関連の事業で一時90%の市場を独占するまでの大実業家となります。
 敬虔なクリスチャンでもあり収入の10%を寄付することも欠かしたことはなかったようです。ただ彼が55歳のとき病を得て余命一年と宣告されたのを機に、今一度自分の人生を振り返り、58歳の若さで事業から引退をしたときには、自らの使命を「莫大な財産を貯めること」から「莫大な財産を世の中のために使うこと」に変え、世界有数の慈善事業家となりました。
 世の中のために財産を使うとは、誰よりも強く世界の平和を願っていたということかもしれません。国連のたったひとつの目的は「よりよい世界を築くこと」。そのために、それぞれがそれぞれのできることに、心を尽くし、祈りを結集させる努力を怠らない。第二代事務総長のハマーショルドが言っているように、国連は人々を天国に導くものではなく、地獄から救いだそうとするものです。長く忍耐力のいる、痛みの多い道のりです。
その道のりにひるむことなく、まっすぐによりよい世界を築く「いまを生きる当事者」としての責任を感じます。
「ゲルニカ」のタペストリーを目にするたび、目撃者でもあり、証言者でもあり、当事者として襟を正す気持ちがしております。(筆者は国連日本政府代表部幹部の配偶者でニューヨーク在住)

その6:コート・ダジュールへ

ジャズピアニスト浅井岳史の2019南仏旅日記

 今日は5日間お世話になったウゼから、旅の後半の拠点となるコート・ダジュールへの移動である。同じ南フランスでも、スペインの国境がちらつくプロヴァンスと、イタリア国境にほど近いコート・ダジュールは車で真剣に走っても3時間ではいけない距離がある。文化も食事も違う。きっと言葉も違うのであろう。そもそもニースは1860年までイタリアであったのだ。
 さて、アパートをチェックアウトする前に昨夜、絵図で発見したローマの水路の遺跡まで早朝散歩することにしていた。実際に歩くとかなり距離があり、かなりの山を下ることになってしまったが、頑張って山道を下り、綺麗な花が咲く草原を横切り、2000年も前に作られた水路を見た。これは、この近くにある有名な世界遺産の水道橋PontDeGardの上流なのだ。改めてローマ人たちの技術の高さに驚く。と共にここの人たち、アパートのフィリップも、ウゼの城の貴族も、サングラスを拾ってくれたトニーも、全てローマ人の末裔なのだと気が付いた。昔からかなり高い文明を培ってきた民族なのだ。食べ物から建築から全ての芸術度が高くて当たり前である。予想外にたくさん歩いて街に戻ってくると古い石の街の門が迎えてくれた。これには感動する。
 さて、優しいフィリップは私たちが荷物を運ぶのを手伝ってくれる。車に荷物を積んでいると、なんと一昨日城でサングラスをウブリエから拾ってくれたトニーがアパートの前にある街のゴミ捨て場に来ていた。ばったり出会って「ワイン受け取ったよ。ありがとう。君のことをサイトで見たよ。僕はドラマーでこのあたりで演奏している。今度は一緒にやろう」と将来のプロジェクトまで話し合ってしまうことになった。サングラスを落としたことから始まったこの巡り合わせ! やはり、南フランスは私を呼んでいる! フィリップは私たちがグダグダGPSをセットしている間も待っていてくれる。なんて優しい人だ。車を走らせると、今日はウゼのランパート(環状道路)にマルシェ(市)が出ていて大渋滞であったが、ちょうど停まったところが最初の夜に食べたバーガー屋さんで、ご主人夫妻と大声でお別れをした。まるで絵に描いたような中世の街ウゼに相応しいエンディングであった。
 途中高速に入る前に、こだわりのコーヒーを出すPaulに寄って今回初めてのクロワッサンを食べる。今まで食べたものでベストだ! 思わずふたつ目を買って食べた。それに、従業員の少女たちが甲高いアニメ声フランス語でお客さんの対応をしている姿がとても可愛い。
 さて、一直線でコート・ダジュールを目指しても面白くない。山の上に造られた中世の石の街ゴルドの奥にあるAbbaye Notre-Dame de Sénanqueに寄ることにした。12世紀に造られたこの修道院は、ラベンダー畑が美しいことで世界中に知られ、プロヴァンスの代名詞として数々のポスターに登場している有名な修道院だ。まだ写真を始めて間もない頃、ここに来てラベンダーを撮ることが夢であった。数年前に初めて来た時は冬でラベンダーは咲いていなかったので、今日は長年の夢が叶う日でもある。
 ウゼから2時間、数年前に「ラベンダーの蜂蜜で焼いたチキン」を食べて感動したゴルドを横目に見ながらさらに山奥に進むと、灰色一色で一目で古いことがわかる修道院に着く。新調した望遠レンズでラベンダーの写真を撮った! 感動。その後、コート・ダジュールに向けてお馴染みの高速道路A8に入る。海が見えてくる。熱海かと思う風景が嬉しい。ニース、モナコ、そしてイタリアの標識が出てくる。ニースを超えると高速道路は山に向かい、かなり登る。そして、モナコの標識で下に降りると、私たちの第二の故郷(大げさ)Èze(エズ)である。
今回はいつものアパートホテルが取れなかったので、近くに本物のアパートを借りることにした。かなりプライベートなアパートのようで、オーナー夫妻と何度もメッセージを取り交わして到着時間を連絡してあった。偶然にも玄関でオーナーご夫婦に会う。今回の旅は全てタイミングが怖いくらいドンピシャである。部屋に案内されると、ため息を飲むようなエズのパノラマが窓一面に広がり、そこにプールがあり、向こうにはキャップ・フェラの半島と地中海が一望できる。ここに1週間暮らすのだ! モナコに住んでいるというえらく格好良い夫婦がかなり複雑なガレージ(狭い)やら庭のプールの入り方を教えてくれた。プールは朝から夜10時まで入れるとの事。
 早速夕飯の買い出し。おなじみのCasinoが8時で閉まってしまうので、車でちょっと離れたところに買い物にいき、食材を調達。家で自炊。そうなのだ。私たちは旅人ではなく、ここで暮らすのだ。
 暮れなずむ山沿いの中世の村エズと、夕日を浴びてオレンジに光る地中海の水面を見ながらベランダで食事。クーラーはいらない。爽やかな風に当たっているだけど至福の気持ちになる。神様ありがとう!(続く)
(浅井岳史、ピアニスト&作曲家)
www.takeshiasai.com

プロジェクトJアート2020

21日から46丁目のNY公立図書館で

NY日本人美術家協会
グループ展開催

 1972年設立のニューヨーク日本人美術家協会は21日(火)から3月27日(金)まで、NY公立図書館(東46丁目135番地、3番街とレキシントン街の間)にてグループ展「プロジェクト・Jアート・2020」を開催する。
 出品作家は、飯塚国雄、松田常葉、越光桂子、藤木イサク、藤原未佳子、古川文香、TOSHIKO、シモン千加子、竹下ヒロ、遊真あつこ、YUKAKO、織田愛子、林幸江、石田純一郎、柏木文子、長倉一美、小野田昌子、渡嘉敷亨の同協会会員アーティスト18人。ペインティング、ドローイング、版画、ミックスドメディア作品を展示する。
 入場無料。開廊時間は月〜木曜が午前10時から午後8時、金曜は午後6時、土曜は午後5時まで。日曜休館。レセプションは25日(土)午後2時から4時まで、2階コミュニティルームにて開催。問い合わせはEメールJAANYoffice@gmail.com(松田さん)まで。