新しい年にあたり日本の地方を考える

 2024年元旦に起きた能登半島震災から1年が経過した。9月には豪雨災害にも見舞われる中、復興は遅々として進んでいない。年末の12月19日になってやっと、奥能登の動脈である国道249号線について、何とか年内に通行が可能となるという発表があった。復旧の前提となる幹線道路の開通に1年を要したのである。もっとも、完全な復旧ではなく、迂回区間は残るし、緊急車両などに限った通行となる箇所もあるという。驚いたことに、断水もまだ完全に解消していない。

 これでは、奥能登という国土の一部が国から放棄されていると言われても仕方がない。そこには、立憲民主党の米山隆一議員が震災直後にネットでの論争で「集団移住も選択肢」と述べ、多くの都市の有権者が共感したという問題がある。こうした現象を受けて、財政規律も意識しながら能登へ割くリソースに枠がはめられたのは想像に難くない。それにしても、国道と水道が1年経っても完全復旧できないというのは言語道断だ。日本の地方はそこまで切り捨てられようとしている。

 時の流れは残酷であり、早くも2025年が幕を開けた。日本の歴史で言えば、戦後80年が経過したわけだが、それは団塊世代が80歳の大台に乗りつつあるということも意味する。大きな人口の塊が経済活動の現場からは静かに退場していったのである。労働人口は坂道を転げ落ちるように減っていき、規模の経済も比較級数的に損なわれつつある。敏感な資本や人材はすでに海の向こうへ去っていった。

 そんな中で、もう地方に割くカネはない。いっそ人口は地方から都会へ集約していくほうが、行政コストは抑えられる、そんな議論が大手を振ってまかり通っている。移住者に冷たく、特に高学歴の女性には機会を与えない地方財界などは、滅んでも誰も同情しないのかもしれない。誰もが「コスパ」を語る時代、人もモノもカネも都市に集中させるほうが効率的という意見はジワジワと拡大している。

 結論から申し上げれば、これは間違っていると思う。

 何よりも日本という国家は、徳川政権が戦国大名との和解により間接支配によって全国を統治したことで成立した。そのため、小国ながらも多様性を抱え、これを強みとしてきた。峠を越えればお国言葉が違い、甘味から酒肴に至る食文化も全く違う。この多様性がコミュニティの結束を高め、付加価値生産の原動力となっていた。その徳川政権は黒船によって滅んだのでなく、米本位制度に固執して財政破綻する中で、西国雄藩のダイナミックな経済力に圧倒されたのであった。人材や資金力という意味で、当時の地方、具体的には薩長土肥という勢力は代替可能な統治能力を有していたのである。明治維新においては、地方が国を救ったのであった。

 この法則は現在にも当てはまる。欧米の真似も十分にできない東京は、シンガポールやソウルに追い越されても、屈辱や奮起も感じない中で世界的には沈みつつある。そんな中で、日本文化の価値は外国の消費者によって再評価が進み、その対象は全国に広がっている。今こそ、地方が自らの価値創造能力を再認識して、東京を経由することなく世界と相互に直結すべきだ。日本が衰退を克服して先進国経済の水準に留まることができるかどうかは、この点に掛かっていると言っても過言ではない。

 半世紀前に田中角栄は、産業の一極集中を避けて地方への分散による列島改造を説いた。当時は公害と地価高騰を拡散するとして散々批判されていたが、問題はそこではない。角栄の発想には知的、文化的な価値創造へという産業構造転換の思想が欠けていたのである。

 それはともかく、今、新しい年のスタートにあたり、すっかり衰退慣れした日本の経済社会を好転させるためにも、改めて地方にフォーカスする時期が来ている。DXにしても、ジェンダー平等にしても、地方が遅れている現状は問題外だ。改革という意味でも、地方が一気に東京を追い越し、その文化的深みを維持しながら韓国のように準英語圏に入ってダイレクトにグローバル経済にアクセスすべきだ。地方の改革は、日本再浮上の最後のチャンスではないか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)