『別れのサンバ』 長谷川きよし・著、川井龍介監修

歌とギターが語る人生

長谷川きよし・著
川井龍介監修・旬報社・刊

「今度また、新しい本を出すんだ」

「へえ、何の?」

「長谷川きよし」

「・・・渋いね」

「渋いよ」

 そんな短い会話があった数か月後、マンハッタンのロックフェラーセンターに近いビルの谷間の編集部に、JAPAN POSTの国際郵便が届いた。川井龍介からだった。袋から出すと『別れのサンバ』帯に「歌とギターが語る人生という名の旅」とある。あの、流れるような歌声が記憶の彼方から甦ってきて、静まりかえったオフィスに漂うような不思議な錯覚を覚えた。初めてあの曲を聴いたのはかれこれ中学生の頃ではなかっただろうか。

 長谷川きよしは、1949年に東京で生まれ、2歳半で失明。6歳からギターをはじめ18歳の時にシャンソン・コンクールで4位となり、銀巴里はじめ都内のレストランなどで弾き語りをする。1969年自作の「別れのサンバ」でデビュー、ラジオ深夜放送で流れ大ヒットとなる。加藤登紀子とのデュエットによる「灰色の瞳」や「黒の舟唄」などのヒットを放つなど、唯一無二のスタイルで活動を続け、1993年、名アルバム「アコンテッシ」をリリース。2012年にはNHKの大人の音楽番組「SONGS」に出演、若者からもギターテクニックと歌唱力が好評を得る。現在も京都を拠点に活動を続けている。今年75歳になったというが、同書では幼少のころの記憶から子供時代、音楽との出会い、高校まで通った国立盲学校時代の音楽生活など、少年長谷川きよし、青年長谷川きよしが何を思い、何を考えながら音楽の道へと歩んでいったのかが、川井のノンフィクション作家としての取材力で、長谷川きよしの語り口調までが行間から聞こえてくるような本に仕上がっている。

 クラシックギターからシャンソンに小学校時代に魅力にとりつかれた。高校卒業後社会に出て、ギターで弾き語りをしているときに音楽事務所の目に止まるのには時間がかからなかった。フォーク全盛だった時代に、異色のシンガーソングライターとしてのデビュー。当時よく盲目の歌手ホセ・フェルシアーノと比較されたが、音楽的には全く別の世界観を持っていた。

 70歳をこえて体の衰えを感じるようになったというが、パンデミックが明けてからは、再婚した奥さんのサポートもあって歌うことをまた始めて、80くらいまでなら、マイペースでやっていけるのではないかという気持ちを綴っている。

 同書を監修した川井は、1980年代半ば、毎日新聞記者をやめた後フロリダのデイトナ・ビーチの地元紙で研修し、その帰途NYに立ち寄り、当時私が働いていたNY読売という新聞の新年号で「NYにはいつも音楽がある」という記事を書いてくれた。地下鉄ホームのバイオリン弾きの話だった。いまは便利だ。YouTubeで往年の名曲がどこにいてもすぐ聴ける。クリスマスホリデーシーズンで賑わう五番街も深夜午前0時を回ると静かなものだ。長谷川きよしの「別れのサンバ」を聴きながらグランド・セントラル駅まで歩いた。     (三浦)