パリ五輪、男子20キロ競歩を父の遺影と共に応援

【寄稿】石黒かおる

 日本中が期待に胸を膨らませていた2020年東京オリンピック。コロナ禍で1年延期になり、多くの人がどんなにがっかりしたことか。私の父、石黒昇は、1964年の東京オリンピックに男子20キロ競歩の選手として出場した。選手引退後は「日本競歩を強くする会」の副会長を務め選手の育成に尽力した。56年後に再び東京で開かれるオリンピックを心待ちにし、地元埼玉県戸田市を走る聖火ランナーにも決まっていた。「生きている間に2度、東京でのオリンピックを体験することができるなんて夢にも思っていなかった」と、競歩選手のメダルへの期待、そして聖火ランナーの大役を楽しみにしていた。しかし、東京オリンピックが1年延期となり、その後、食道癌と診断された父は聖火のトーチを握ることなく、21年2月に永眠した。どんなに無念だったことだろうか、走らせてあげたかった。

 21年8月に札幌で行われた東京オリンピック男子20キロ競歩では、日本は銀メダルと銅メダルを獲得した。私は父の遺影を持って札幌に応援に行きたかったが、コロナ感染対策のため現地での応援も断念せざるを得なかった。

 24年のパリ・オリンピックでは、どうしても父の遺影を掲げて応援したい。父をパリに連れていきたい。その思いを抱きしめてパリに行った。

 今年のパリの夏は立っているだけでも汗が噴き出るほどに日差しが強く猛暑だった。男子20キロ競歩は8月1日午前7時半スタート。エッフェル塔とトロカデロ広場を結ぶイエナ橋からセーヌ川沿いを歩く1キロの距離を往復するループで行われた。当日、私は午前5時に起床、午前6時ごろに雷と激しい雨が降り、レースの開始時間が30分遅れてのスタートとなった。フランス人の友人が調べてくれた応援スポットに何とかたどりつき、応援場所を確保。スタート時間には雨も止んだ。私は「お父さん、パリに来たよ、一緒に応援しようね」と父の遺影に話しかけた。父の遺影を持ち応援する私を時事通信社が取材してくれ、翌日、日本で記事にもなった。残念ながら日本勢はメダルには届かなかったが、パリの地で日本の選手を応援できて父も天国で喜んでくれていると思う。その日の午後、日本の知人から「石黒さん、パリですか?男子20キロ競歩のテレビ中継に石黒さんが映っていましたよ」と連絡があった。優勝したエクアドル選手の応援団の横で父の遺影を持つ私が運よく映っていたようだ。大声を張り上げるエクアドルの応援団の声援に押しつぶされ、応援スポットを間違えたかとも思ったが、偶然とは言え、今となってはいい場所に立ててよかった。これも天国の父の導きだったのかもしれない。(いしぐろ・かおる、ジャーナリスト)

(写真)1964年東京オリンピックで着用したランニング姿の石黒昇の遺影を手に。ランニングのゼッケンの裏には当時2歳だったかおるさんの写真を縫い付けていたことは亡くなる2年前に知った。Photo by  Olivier Dussurget