ジャズピアニスト浅井岳史の南仏18旅日記(3)
前夜の素晴らしいコンサートとパーティーの余韻を感じながらぐっすり眠りこけたいところであるが、残念ながら今夜のコンサートの後は移動。というので、4日間お世話になったホストのオロールにお別れを言いたくて、早く起きた。寝ぼけ眼で彼女にお別れをして再びベッドに戻る。再び目が覚めたときには、太陽がさんさんと輝き、彼女はいなかった。またしても置き手紙。「ありがとう!」と返事を書いて、荷物をまとめ、庭の鶏と隣の猫に挨拶して、家を出る。何故か寂しい。
さて、今日は最後のコンサートが引き続きフーラの街である。着いてから思い出した。この会場は去年も来た。綺麗な花が咲く綺麗な会場である。今夜は、いつものようにトリオで演奏したが、最後の三曲は地元の二人のミュージシャン、女性ボーカリストとギタリストが合流。
演奏が終わったら、例のように食べて飲んでの大パーティだ。昨年も一昨年も来てくれている人、「来年は是非私にコンサートをホストさせてくれ」と申し出てくれる人も現れて本当に嬉しい限りだ。フランスの田舎なのだが、意外にインターナショナルで、南フランスでリタイヤ生活を楽しむイギリス人夫婦がいて、ロンドン帰りの私とロンドンの話で盛り上がった。ロンドンには毎月、ニューヨークには時々行くという。今度のロンドンギグには必ず来てくれるという。ロンドンのポーランド系の人たちからいただいたお酒、ズブロッカでトリオの打ち上げを乾杯。パスカルは大の酒好きで、その喜びようと言ったらまるで子供だった。もちろんボトルは彼に「預けた」が、直ぐに空になるに決まっている。でもプレゼントしていただいた方に、こうしてフランスで喜んで飲ませていただいたことを報告したら、そちらもたいそう喜んでくれた。ポーランドの人は基本的にフランスが好きである。ルイ15世の王妃はポーランドから来たMarie Leszczynska、したがってブルボン王朝にはポーランドの血が流れている。ショパンもポーランドからパリにやって来た。英雄ポロネーズのポロネーズは、フランス語のPolishである。
パーティーが一段落すると膨大な機材を片づける。何台かの車に一通り積み込んで、さあ解散かと思ったら。何やら主催者がシャンパンのボトルを開ける。昨日に引き続き、本当の身内での打ち上げはこれからなのだ。フランス語での会話には全部はついていけないが、一緒にいて楽しいことには変わらない。とっぷりと夜が更けて午前様でパスカルの家に帰宅して就寝。
そして、最終日。昨夜は午前3時にベッドに入ったのに、今朝は7時に無理やり起きる。早く起こしてしまってパスカルには申し訳ない。ご夫婦に朝食をいただいて、車でLa RochelleのTGVの駅まで送っていただく。
La Rochelleはパスカルによると、昔は奴隷の三角貿易で栄えた悪名高き街だそうだ。私の知る歴史では、フランスの新教徒(ユグノー)たちの牙城であったが、ルイ14世のリシュリュー総裁がユグノーを包囲した。その包囲を逃れて新大陸にやってきた人たちが作った街が、ニューヨークのNew Rochelle、私はそこに去年まで住んでいた。そこにも何かの縁を感じる。が、今のLa Rochelleはその暗い歴史とは裏腹に、とても美しく活気のある海辺の街だ。
昨年はほぼ同じコースを辿ってTGVでパリに戻った。フランスには小田急線よろしく、途中で切り離して、それぞれが別の目的地に向かう列車がある。昨年は乗る電車の車両番号をどうやって見つけたら良いのかわからずに、あわや切り離されて全然違うところに行くところだったのが、たまたま食堂車で会った車掌さんのおかげでそれが判明し、次の駅で降りて、重い荷物を引きずって1分間で16両以上の距離をプラットホームを駆け抜けた。
でも、今年は去年の経験を生かして、少ない荷物と多少の知識でゆっくりと車両を確認して間違いなく電車に乗ることができた。年の功とはこういうことを言うのだろうか。
4時間の快適なTGVの旅の末、午後一時過ぎに無事シャルル・ドゥ・ゴール空港に到着。本当にホッとした、これで飛行機さえ飛べば明日のNYのギグに間に合う。
随分と長いチェックイン、セキュリティーを終えて搭乗ロビーにやって来ると、これも去年と同様、搭乗ゲートにピアノが置いてある。パリは、北駅でピアノで出迎えてくれて、帰りは空港でピアノで送り出してくれる。北駅では、フランスに敬意を表して「マルセイエーズ」を弾いたが、空港では感謝の気持ちを込めて即興でバラードを弾いた。ロンドンから始まって、パリ、南フランスと続いたドラマチックな20日は、20分かと思うくらいに楽しく充実した旅だった。自分でも理解するのに時間がかかりそうだ。本当に本当にありがとう! (終わり)
(浅井岳史/ピアニスト&作曲家)www.takeshiasai.com