大江 千里 Senri Oe
(Jazz pianist, Jazz Composer)
明けましておめでとうございます。
円安や物価高の「NY生活」で生活が大変ですが、みなさんはどんな新年を迎えられていますか? きっとそんな中でも笑顔あふれる日を過ごされているのではと思います。僕につきましては昨年は記念になる年でした。ポップスのシンガーソングライターとしてデビューしてから数えて40周年だったのです。林真理子さんがコピーライター時代につけてくださった「スーパースターがコトン、わたしの玉子様」というキャッチフレーズで1983年5月にデビューしました。ジャズピアニスト、ジャズ作曲家としてのデビューは2012年なのでまだ駆け出しですが、それでも11年になります。このように今日までポップスとジャズを通して音楽をずっと続けてこれたことは、みなさんに支えられ応援していただいたからだと思います。
2023年は、出会いの年でした。新しいアルバム「Class of ’88」を6月にリリースしマンハッタンの老舗ジャズクラブ「バードランドシアター」で公演を行いました。これを読んでる読者の方の中にも当日駆けつけて大きな拍手を送って下さった方がいらっしゃるはずです。本当に嬉しかったし励まされました。
チャレンジの年でした。記念すべき年だからこそ「新しいチャレンジ」をしました。アメリカの音楽PRを新しいチームと組みました。元NYのブルーノートレーベルのプロデューサーが新天地を求めてジャズプロモート会社を興しその噂が僕の耳にも伝わりました。すぐさま連絡を取り合いました。
ゼロから築き上げる信頼は時間のかかるものですが、半年一緒に仕事をしてみて感じるのは、予想を遥かに超え、「学び」の連続でした。
アメリカに来るまではこの国は果てしなく大きく自由の国だというようなイメージがあったのですが、最初にそれがぶち壊されたのが2008年の夏、愛犬ぴーすと大陸を車で横断した時です。
「メインストリート」とナビに入れるとなんとか知らない街でも宿を見つけられる。そうニュースクールのクラスメートに聞き、その通りにやってたら夜中にカンサスシティで暗闇の廃線場を示され「ここが到着地です」とナビが終わった時は泣きそうでした。取り急ぎおしっこでもと立ちションしてたら警察らしき車にハイビームで照らされて追跡され慌ててイグニションキーをオンにし全力で逃げました。住宅地を越え線路を越えやっと高速の袂まで来ました。するとその車が笑顔で「道教えてくれてありがとう」と手を振りながら笑顔で高速へ消えていったのです。脱力です。その日はダウンタウンで高速を降りてそのそばの「Super8」に宿泊しました。
オクラホマシティのモーテルに夜中到着しチェックインすると部屋へ荷物を運んでいるうちにぴーすがいなくなりました。大声で何度も「ぴーす!」と叫んでも見つかりません。泣く泣く諦めかけてレンタカーに戻ると「くうん」と車の下からぴーすの鳴き声が。その時も脱力で、力いっぱい抱きしめ後は無我夢中ベッドで抱き合って眠りました。
朝はマクドナルド、昼はタコベル、夜は宿のバーでバーガーを頬張り、どこまでも続く一本道をカントリーミュージックを聴きながら走りました。夕方に砂漠の向こう側にオレンジのような丸くて大きくて美しい夕日が沈むのを見てぴーすと共に車を脇に停めました。静かに悠々と沈む姿、忘れません。あの時の感動が「Hmmm」というトリオアルバムの「Orange Desert」という曲になりました。
あんなに走っても走っても先が見えなかった大陸横断で訪れた場所が、今は飛行機で3、4時間で現地に着きます。初めて会う人との英語のコミュニケーションでの緊張を感じる時僕は「あの旅でいつかこの場所に帰ってこようと思った街に自分の音楽を持って帰って来ているんじゃないか」と自分に言い聞かせます。
この11年で嬉しいのは、一緒に音楽を伝えてくれる仲間ができ、僕は1人じゃないことです。PRはデンバーだし、流通会社はシアトルだし、ラジオプロモーターはワシントンDCと、あの走っても走っても到達出来なかった大陸のいくつかの街の人たちと一枚のアルバムを世の中に広めていくために動く日々です。
あの旅の途中「おそらく僕はジャズはダメだろうな」と弱音を吐きました。運転しながら自分のダメな部分ばかりを思い浮かべて、セドナのモーテルのプールで太陽に照らされキックをしても心は真っ暗闇でした。
しかしながら人との出会いが僕を変えました。「レーベルを起こしてみよう」「OPTを取ってアメリカに残ろう」と言うのも弁護士さんのアイデアです。そうして一つ一つクリアして2007年に今のマネージャーと出会います。気がつくと47歳で帰米した僕も2024年には64歳に、ぴーすは18歳になります。
ジャズピアノ演奏家である僕は同時にジャズの作曲家でもあります。そんな僕の今の最大の夢は、世界中の人が口ずさんでくれるようなスタンダード曲を書くことです。ジャズやポップに関わらずまだその夢は遥か彼方で遠いですが、あの一本道を走り続けた大陸横断のように信じて一生懸命にアクセルを踏み続け心を込めて書いていこうと思います。
最新作「Class of ’88」は全米ジャズラジオのオンエアチャートで24位を記録しました。日本でもデビューした1983年もなかなかラジオで認知されず地方をずっと回っていた頃があり、その頃と今とが被ります。あの時応援してくれる人がいたように、アメリカにも「挑戦」に共感し応援してくれる人たちがいます。デンバーのKUVO JAZZのDJゴメスさんは、若い頃に映画の中で見た「ウルフマンジャック」のような人。「明日のショーは必ず聴きに行くよ」と生放送の会話での約束通り、翌日のライブ2nd setに誰よりも前に居て大きな拍手と声援をくれました。
日本でも23歳の編集者と出会い「ジャズって素敵!」と言うエッセイの連載が12月に始まりました。ひとつの出会いを大切に、それがまた先のひとつへ。そんなふうに僕のアメリカ生活16年目は過ぎています。
2024年、新しい年がやってきました。今年、森山良子さんのジャズアルバムを作ります。全編僕の作詞作曲プロデュースです。日本語が乗りにくいと言われるジャズに素敵な日本語をはめてみんながあっと驚くような世界観を作り上げたいです。
自分自身のオリジナルアルバム9枚目は「実在しない映画のサウンドトラック」というアイデアを持っています。人生は旅。そんな旅が映画になったとしたら? 映画を作るお金も技術もないならば、先にサウンドトラックを作っちゃえという、かなり「無謀な発想」です。
2023年の年末は札幌ジャズ、東京ブルーノート、コットンクラブなど、トリオでカウントダウンまで演奏します。年が明けて24年になると、ソロピアノコンサートで名古屋、芦屋、横浜と回ります。これをみなさんが手に取って読んでくださっている頃、僕は日本で大好きな「富士そば」を啜っているでしょう。
9月21日、22日に再びバードランドシアターでのトリオライブが決定してます。どうかスケジュール帳に書き込んでおいてくださいね。新しい年も挑戦挑戦の繰り返し、「虎視眈々」と、英語もジャズも毎日勉強し続けながら、挫けず頑張りたいと思います。
新しい年、世界が少しでも平和に向かいますように。犠牲になる人が減りますように。そしてこれを読んでくださっている皆さんにとって、何よりも健康で笑顔あふれる素敵な年になりますように。
ぜひ、ライブでお会いできるのを楽しみにしています。