朝鮮戦争の英雄
朝鮮戦争で、米兵として中国共産党と戦い軍最高位の勲章を授与されたミヤムラ・ヒロシさんが11月29日、アリゾナ州フェニックスの自宅で死去した。97歳だった。12月1日付ニューヨークタイムズ紙が大きく訃報記事を掲載している。それによると、ミヤムラさんは1925年10月26日、24時間営業の食堂を営む日本からの移民の子としてギャラップに生まれた。44年に徴兵され、日系二世部隊、442部隊戦闘団に配属された。この日系部隊は、第二次世界大戦でヨーロッパでの輝かしい戦闘記録を残した。一方、西海岸の日系人たちは、治安上のリスクとして恐れられ、荒廃した内陸部の強制収容所で武装警備下に置かれた。
ミヤムラさんが訓練を終えて海外に派兵された時、既にドイツの降伏は数日後に迫っていた。46年に除隊後、陸軍予備役に入隊し、50年の朝鮮戦争勃発とともに現役に復帰。第二次世界大戦後に人種差別が撤廃され、統合された陸軍の第三歩兵師団の分隊長になった。51年4月24日夜、韓国の首都ソウル近郊の前哨基地を防衛していた部隊(機関銃兵と小銃兵15人ほど)は攻撃を受け、激戦の中でミヤムラ伍長の活躍によって部隊を救った。53年10月、ミヤムラさんは、ホワイトハウスの式典でドワイト・D・アイゼンハワー大統領から、勇気を示す軍最高位の勲章を正式に授与された。朝鮮戦争後は、ギャラップに戻り、自動車整備士として働き、サービスステーションを経営した。孫娘のミヤムラ・マリサさんは、米国空軍士官学校を卒業後、米空軍に入隊、イリノイ州のスコット空軍基地の通信部隊に中尉として配属され2010年5月に同基地で開催されたアジア太平洋アメリカ遺産月間の会議で「祖父がいたからこそ、私は今、軍で働くことができています。彼は生涯を名誉のために生きてきました。それは私にとって大きな遺産です」と挨拶している。
(写真左)1953年に撮影された写真(国立公文書館所蔵)