命のビザで大の日本好きに
3姉妹に教えた日本文化と友情
「私たちの母マーシャは1941年2月に敦賀に着き、神戸に2月24日に着きました。当時10歳だった母は、聖マリアカトリック小学校でフランス人尼に可愛がってもらったようです。母と祖母ゼルダ・バーンスタインは神戸を拠点に、東京、奈良、大阪、宝塚などへも日本滞在中の6か月間で足を伸ばし、侍映画を見たり本町を歩いたりした楽しかった思い出を私たちに話してくれました。その時の経験が、後に、米国に渡って母が結婚し、3人の娘を産んでユダヤ系新聞社の記者として働きながら私たちを歌舞伎公演や文楽に連れて行くなど日本文化に触れさせて育てました。特に1992年にジャパンソサエティーの招きで三船敏郎が来米した時、映画「七人の侍」のポスターコンテストがあり、私が描いたポスターにサインをしてもらいました。1部、コピーは彼に差し上げました。すでに日本映画のファンだったのでとても母と二人で感激したのを覚えています。日本から母が持ってきた扇子や日本のポストカードもありましたが2年前に日本の敦賀博物館に寄贈しました。
あと印象に残っているのは安倍首相がワシントンDCのユダヤ博物館を視察した時に、サバイバーの代表の一人として母が安倍首相と握手をして、私もその時に同行したのが忘れられません。ニューヨークにはかつて4000人近くものユダヤ難民が日本経由でたどりついたと聞いています。今、どれだけの生存者がいるのか正確な数字は分かりませんが、母の天草丸に乗っての大航海は現在の私たちの平和な生活につながっています。今も私たちはテレビジャパンの契約をしていて相撲中継などを楽しんで見ているんですよ。日本の文化に小さい時から接した私たち3人娘は、長女ローラがピアニスト、私(カレン)が写真家でイラストレーター、妹ニーナが作曲家と、揃って芸術の世界で生きてこれたのも母が少女の時に日本で体験した日本の皆さんからの温かいもてなしを心から感謝していたから日本の文化を愛情を持って私たちに教育したからでしょう。2年前に3人の合作になる1枚のCDにはそんな母の日本への思いがこもった創作曲と「さくら」が収録されています。タイトルは「マーシャのありがとう」です。CDをかけると遠い昭和の心情が流れ出てきた。 (三浦良一記者)