命のビザ日米でオンライン会議

杉原の出身地 岐阜県八百津町

ビザ発給当時を回顧

決断の部屋「ビザを出してもいいですか」日本の外務省へあてた電報の返ってくる答えは「正規の手続きができない者に、ビザを出してはいけない」というものだった。ビザを発給しユダヤの命を救うべきか、命令に従って外務官の輝かしい道を守るべきか。千畝は悩み、そして一つの答えを出した
杉原千畝記念館の外観

 杉原千畝は、第二次世界大戦が始まった1939年からリトアニアの首都カウナスで領事代理を務めていた。彼は1940年7月、ポーランドからナチス・ドイツの迫害から逃れ、日本の通過ビザを求めて集まってきた数千人のユダヤ人ら避難民に対し、国の訓令に背いてビザを発給し尊い命を救った。彼の行動は国の政策や自身の職、命の危険よりも人道を選んだ行動として国内はもとより世界中から賞賛されている。

  千畝の出身地である八百津町は、彼の功績を顕彰し、また後世に伝える事が責務と考え、彼の生誕100年にあたる2000年7月に「杉原千畝記念館」を開館した。

 記念館には、千畝の発給した「命のビザ」をはじめ、彼の生い立ちやユダヤ人の足跡を紹介する写真パネルのほか、当時の領事館執務室を再現した「決断の部屋」があり、ビザ発給当時を回顧する千畝の肉声を聞く事ができる。


杉原千畝記念館

開館時間/午前9時30分から午後5時

休 館 日 /毎週月曜日、年末年始

 ※祝日または振替休日の場合は翌日

〒505-0301 岐阜県加茂郡八百津町八百津1071

TEL:0574-43-2460 (代) FAX:0574-43-2460

http://www.sugihara-museum.jp